289話:父への不審(2)
「私は……グシェアと戦場に並び立つ夢を見ていた」
いつだっただろう。幼い折、父はイディオンがわからないであろうと思って、きっとそんなことをつぶやいた。
「お前と同じくらいの頃に、戴冠式でグシェアを見てね。神々しく、美しかった。斎王国が信仰する月の女神とは、きっとこのような姿であろうと思った」
イディオンは、きょとんとしながらも、父の言葉を記憶に焼きつけた。
「この方に仕え、ともに霧の戦場に並び立ちたいと、当主になることを強く胸に刻んだものだよ。勉強も、魔法も、がんばった。お前と同じようにね。だから、彼女と結婚することになった当初は、うれしかった。憧れの人の隣に並び立てると」
父は、イディオンの小さな頭をなでる。
だが、ふと手を止めると、父の顔は蝋人形のようにぞっとするほど表情を失くした。
「だが、ちがった」
「……父上?」
「私が努力したものは無駄であった。配偶者になった結果、私に待っていたのは、政だった。グシェアは政が苦手だった。一方の私は……少なくともグシェアより得意だった。魔法の才は無論、グシェアのほうが上だ」
「…………」
「私が、やらねばならなかったのだ」
父の真意は不明であったが、横顔には、幼いイディオンにわからぬものが浮かんでいた。不安になったイディオンは、おろおろとしながら一言、尋ねた。
「でも、父上は、母上をお好きでしょう……?」
イディオンはいつも、仲のよい父母を見ると心がぽかぽかした。
「……そうだね」
イディオンの問いに、父は一度目を大きくして、それから柔和にいつものように笑んだ。
「私は、心から、グシェアを愛しているよ」
イディオンは、思い出したことに、秀眉をひそめる。
シェイラの言葉を冷静になってから噛み砕き、そうして、イディオンはたしかに、そこには得体のしれない違和感を覚えた。これまで直視しようとしなかった父と母の関係性をよく観るようになった。
明晰な父は、イディオンに不審を抱かせるような痕跡を残していなかった。ただの違和感。かんちがい。思い込み。そうとでも呼べる偶然の重なりのように見えた。
だが、四年前の秋霞が発生した頃合い。王都に突然、霧が凝集し、〈雲虹〉や〈蒼鷹〉が襲来し、シェイラが命脈を削ることになったあの時。
まるで、図ったかのように、当時の都には、魔法が使えなかったイディオンと、まだ魔法を習いはじめたばかりの妹ティアランしかいなかった。予測された秋霞に合わせて、母もムディアンも、来訪していた聖剣使いもおらず、力を持つ貴族家の当主たちも、全員セゾンに出払っていた。
秋霞はセゾンに出るから、一時的であれば王都の守りは弱まったとしても問題ない。
判断し人員を調整したのは、父エヴェリヤンであったのだ。
まともに考えれば、一部の守りを王都に残すことが正しい。だが、貴族たちの信頼を束ねる父の発言と影響力は絶大だ。本来なら、懸念事項となるべきことを、「エヴェリヤン殿下が言うのであれば問題ない」と皆の判断を蒙昧にさせるほどの影響力があった。
──もし、あの時、シェイラがいなかったら、どうなっていただろう。
おそらく王都は壊滅的な被害を受け、イディオンはその衝撃で立ち直れなかっただろう。
父は、イディオンを徹底的に追い詰めたかったのかもしれない。
思い至ると、イディオンは、父がおそろしい獣を内に秘めている気がして、ぞっとした。同時に、子として否定したい自分がいた。
(父上ほどの方がそんなことを企むはずが……)
しかし、情報を集めているうちに、奇妙な一致を見つけてしまう。国内における呪術事件の前後では、父の采配があったのだ。
一見、なにもおかしなところはなかった。
たとえば、王都で呪具が蔓延し、査問院の取り締まりが強化されるようになったのは、父の命によるものだった。けれど、取り締まる前もまた、父の命によるものだったのだ。
「王都にさまざまな商人たちが出入りできるように、少し規制をゆるめよう。そのほうが、都の商いが闊達となる」
その発言がはじまりだった。
「少し、規制をゆるめすぎたようだ。呪具が闇商会を伝って取引されている。ゆるめ方を調整しよう」
その発言で王都の取り締まりは強化された。
規制を緩和していた時期は、〈猿猴〉の魔法陣などが出回っていた頃と重なる。シェイラが黒檀と査問院からの調査を命じられていた頃だった。
同じようなことが、王宮内の警護でも起きた。{守護}の家系であるペリメル家の嫡女エヨンは、ムディアンの{守護}を担っていたが、魔法をかけ忘れる事態が起きた。
暗殺されそうになった同じ日に、また襲撃を受けるということが重なった。警護役として許されない失態としくじりであった。
エヨン・ペリメルは懲戒を受け、{守護}の任から外されたが、ムディアンを直接襲撃から守ったイディオンは、エヨンから奇妙なことを聞いたのだ。
「言いわけであることは百も承知です……! ですが、私は消費された{守護}をきちんとかけ直そうと思ったのです」
「……実際にはしなかった」
「しようと思ったところで、エヴェリヤン殿下に呼び止められたのです。問題はないだろう、と。むしろ、一度目を守ることができたのは私の{守護}があったからこそだと褒められて……」
エヨンは恥ずかしそうに目を伏せる。
この魔術師はどこか自信と不安が白黒入れ替わることがあって、褒められたことでまともな判断ができなくなってしまったのだろうと思えた。
「そのまま、ムディアンにかけるのを忘れたということか?」
「……はい」
結局は言いわけでしかない。
イディオンは溜息を噛み殺しながら、エヨンの話を聞き終えた。外されたエヨンの代わりに、ムディアンの{守護}の任に着いたのは、エヨンの兄で、その兄は、他の貴族たちと同様に父を慕っていた。
これもまた、たまたま父が関与したことであった。
そういうことが他にもいくつかあって、イディオンは、父への疑いの目を濃くしていった。
イディオンは、シェイラの手伝いで国を出るのは、よい機会であると思った。
父が油断するかもしれない、と。
出国を止めようとする母に対して、父はむしろ、後押しをするように許可を出した。イディオンを外に出したがっていることは明白であった。
イディオンは、シェイラを手伝いながらも、国外から監視し、父を追い詰める必要な情報を集めるつもりでいたのだ。
だが、
(父上は、それほどまで、母上を……)
王家を、恨んでいたのであろうか。
イディオンは、自分の判断が浅かったと悔いを深める。
「──スヴェリ」
イディオンは顔色を失って後ろをついてくるスヴェリに声をかける。
「お前は……知っていたのか」
「…………」
「お前は、父上の凶行を知っていたのか?」
「知らねえよ!」
低い声で問うたイディオンに、スヴェリは声を荒らげた。
「知るわけがねえだろ! 俺だって、さっき呼ばれて、登城して、それで……」
スヴェリが語るには、エヴェリヤンから呼ばれると、すでに城には、何人もの死体が転がって、エヴェリヤンと、近くには臙脂色の長外套を被っている人間が複数いたという。
「副団長って呼ばれてたんだよ……」
「……そうか」
「悪い……夢かよ」
スヴェリには、いつもの余裕はいささかも滲んでいなかった。そこには、十年以上前に自信を失い、野犬のようになっていた、魔法が使えなかった男の気配だけがある。
「街でふらついてた俺を見つけたの……殿下だったって、知ってるよな……」
「……ああ」
「俺にとって、殿下と陛下は、牢獄から出してくれた恩人なんだ……」
「……そうだな」
「なのに……冗談かよ。なんで、殿下が……」
スヴェリは茫然とつぶやきつづける。
イディオンは、前を向きながら、ひとつ、尋ねる。
「スヴェリ、お前は父上に、特異な{転移}の力を、分析させたり活用させたりしたか?」
「……どういうことだ?」
「{転移}を宿した石を作ったり、お前の体を医療魔術師に分析させたりしたか?」
「それが……なんだって言うんだ?」
スヴェリの返答は、是と同義であった。
イディオンは、頭のなかでばらばらになっていた情報がつながっていくのを感じる。
四年前の王都襲撃。調整された王都の人員配置。{転移}や{隠匿}で逃げおおせる呪術集団。父の、副団長と呼ばれる立場。魔女の騎士たちが、頻繁に高位魔術の{転移}を活用できる理由。
すべてが、父に因果の紐が結びついている。
(スヴェリには、酷すぎる)
──お前は、父上に利用されていたのだ。その特異体質を見出されて、使われていたにすぎない。
イディオンは、気づいたことを黙っていた。足を、はやめる。これから、起きることを予感しながらも、母女王の居室に急ぐ。
そうして、扉を開いた。




