288話:父への不審(1)
ヴェッセンダリアの陣から、ガルバディア王宮の陣へと{転移}する。距離が増すごとに魔力消費が増す{転移}は、主要都市に城塔を設置してあった。各国宮城内にも、使用者が限定されたうえで置かれている。ガルバディア王宮への直接の{転移}は、イディオンがいたからこそ叶った。
「これは……」
宮殿内の転移城塔から出て、シェイラは言葉を失った。
勤め人が何人も倒れていた。おそらく不寝番の者たちだろう。侍女や侍従、近衛関係なく、倒れた体が、松明や宵燈に照らされている。ぬらっと光って、鮮血であることがわかった。
目を伏せる。ぱっと、イディオンが走り出した。シェイラも、スヴェリもあとを追う。
つづく道でも倒れた者たちを見つける。皆、息がない。抵抗したあともほとんどなかった。夜襲が潜むように行われたことがわかる。
「……なんで」
隣を走るスヴェリが、内心が漏れ出たようにつぶやく。
「なんでですか、殿下……」
シェイラは、眉をひそめながら、足を進める。ややもせずに、宮殿奥にある居館へと辿り着いた。王族の居住空間で、許可がなければ館そのものへも入れない。夜の静寂に沈む居館には、人気を感じられなかった。
「ばらばらに分かれましょう。わたしとスヴェリさんは、ムディアン殿下とティアラン殿下のもとへ。イディさんは……」
「ぼくは、母上のところに行く」
シェイラの提案に、イディオンは肯いた。{転移}してからずっと、青ざめた様子のスヴェリはぽつりと言う。
「ティアラン姫は、今、宮にいない。地方のご友人を訪問されている」
「では、スヴェリさんは──」
「お前は、ぼくと来い」
シェイラの発言を、イディオンが強く遮った。縹色が、スヴェリを見据えている。
「聞きたいこともある」
主従の視線に交わされるものがあった。
シェイラは、それを認めると、長外套を翻す。
「わたしは、ムディアン殿下のもとへ」
「頼んだ」
イディオンはそう言うと、スヴェリを連れ立って先に進んだ。
シェイラは、急ぎムディアンの居室へと階段を上がった。
深夜の窓から射し込む月明かり。照らされるようにして、血痕がつづいているのを認め、シェイラは走る。血は、辿り着いたムディアンの居室からつづいていた。次の間には、不寝番の侍女が死んでいた。
シェイラは、扉を突き破るようにして入室する。
「ムディアン殿下!」
すぐに、手を伸ばして倒れているムディアンの姿が目に入った。シェイラは駆け寄る。脈を取り、指先を鼻の下にやる。
(まだ息がある)
シェイラは、すぐに自分の脈から、{修復}を発動させる。左手の親指が光って、銀色の魔力光がムディアンに注がれる。
(……どうか)
──どうか、命だけは……
シェイラは、まぶたの裏に浮かんだガザンの死を振り払うように、ムディアンへと力を注ぎつづけた。
〜*〜
イディオンのなかには、冷たく凍える、己への怒りがあった。
(父上……)
わかっていた。父であるエヴェリヤンが、母グシェアネスに、言い知れぬ感情を抱いていることを、理解していたつもりだった。
(ぼくが、判断を見誤った)
イディオンは、己を攻め立てたい怒りを御しながら、頭を整理する。
──父を疑うことになったきっかけは、シェイラの言葉だった。
「王配殿下は、なぜ、イディさんにそのようなことを言ったのでしょうか」
四年前。シェイラはイディオンに疑問を口にしたのだ。
「なにが……?」
蛍モミのうえだった。シェイラから、母の思いを聞いたばかりのイディオンは、泣きやんだ顔を見られたくなくて、伏せながら目元を拭った。恥ずかしくてたまらないだけでなく、シェイラの体に身を寄せて香ったぬくもりに、落ち着かないものを持て余していた。体が小さくても心は十六で、そのくせ、小さい姿にかこつけて、彼女に甘えた自分。
イディオンの内心は、当時ぐちゃぐちゃで、シェイラの言葉を咀嚼しきれずにいた。
「王の器ではない。女王陛下がそう言ったのは真実でしたが、それ以上にイディさんへの気持ちと願いが込められた言葉でした。なのに、なぜ、エヴェリヤン王配殿下は、その言葉そのものが本音だとおっしゃったのでしょう……」
イディオンは、シェイラの真剣さに徐々に冷静さを取り戻していった。
蛍モミのうえは、静かであたたかく、けれど、淡く光るなかで夜の闇との差が浮き彫りになった。
「そんなことを言っても、イディさんを傷つけるだけなのに。陛下とイディさんの関係を悪化させるだけなのに。わたしは、とても違和感を覚えます」
イディオンはその時、父と母の関係をすでに見抜いていた。父が抱いている母への屈折した感情も、わずかながら理解していた。
母の力。母の輝き。それはあらゆる羨望を浴びるもので、同時に隣に立つ父の陰を濃くするものだった。
父の実家であるクレイアス家は、ガルバディアでも一二を争う魔術師の名門だ。父エヴェリヤンは、そこの長男として生を受け、〈導脈〉の力も申し分なく、順当に行けばクレイアスの当主となるはずの人生であった。
ところが、突然、即位して十年が経つ母の王配として、選出された。
父はクレイアス家の後継者ではなくなり、ガルバディア王家の力を継ぐ種として、利用されることになった。




