287話:女王と王配
グシェアネスとエヴェリヤンの出会いは、もう六十年以上前のことだ。
グシェアは、先代父王が突然身罷って十七で即位した、見た目どおりの若い女王であった。その時、戴冠式に列席したヤンは、四つの子ども。まさかこれより、十数年後にこのふたりが、婚姻関係を結ぶことになるとは、だれも思っていなかった。グシェアも、思い至っていなかった。
自分のことを見上げてきた、つぶらな縹色の瞳。
つまらなかった戴冠式で、グシェアはそれだけはしっかりと覚えていた。
ガルバディア王家は、魔導師ガルバーンより受け継がれてきた強大な〈導脈〉をさらに強力にするべく、貴族たちのなかで強い力を持つ者を伴侶としてきた。結果、絶対女王グシェアネス、という史上最強とも呼ぶべき逸材を生んだ。
そして、そのつがいとして、白羽の矢が立ったのが、エヴェリヤン少年だった。
クレイアス家。ガルバディア貴族列席第二位の名門。
当主として育てられたエヴェリヤン少年は、十六を迎えると、当時二十九のグシェアネスと婚姻を結んだが、十年前とほとんど見た目の変わらないグシェアネスは、成長したエヴェリヤンのおかげで、ちょうどよい年頃の夫婦に見えるようになった。
「──年増を押し付けられたとは思わないか?」
初夜の儀。グシェアが長外套を寝椅子に脱ぎ捨てて、裂け目から白い腿を出し悠然と足を組んでも、青年になったエヴェリヤンはぴくりとも眉を動かさなかった。
けれど、月光を受けて眩く輝くグシェアのほうを、陶然と見上げた。
「思わない」
「お前より、十三も上だぞ? 歳の近い娘のほうがよかったと思わないのか?」
グシェアは見上げるエヴェリヤンの顎をすくって見下ろしてやる。
「……思わない」
「なぜ?」
「なぜって……」
エヴェリヤンは、縹色にきれいな〈導脈〉の輝きをたたえていたからだ。
「憧れの人だから」
その月面をたたえたような純情な様子に、グシェアはいささかたじろいでしまった。
頭を掻きたくなったが、その仕草はがさつに見えると侍女から叱られたことを思い出す。グシェアは、どうすればよいのだと一瞬考えあぐねいてから、にやっと笑んだ。
「──余に尽くせるか?」
「そのつもりだよ」
「余の力を受け止められるか?」
グシェアは、十六のエヴェリヤンの膝に立ち、縹を覗き込む。
「ああ。どれほどでも」
返答に、グシェアは笑みを深めると、口づけを施した。
それから、初夜を越え、ふたりは夫婦として足並みを揃えていった。
グシェアネスが戦場で活躍し、エヴェリヤンは内政を治める。グシェアが母としての大らかさを持てば、ヤンが父として慎重な判断を。グシェアが感情的になれば、ヤンが論理的に。
そうして、五十年以上、ふたりで月日を過ごしてきた。子も三人生み、仲睦まじく、過ごしてきたはずであった。
(ちがった……のか……)
曇った思考では、考えきれない。体も痺れて、魔力が練れない。
「──ただいま、グシェア」
血と葡萄酒に沈んでいるグシェアのところに、エヴェリヤンは戻ってきた。後ろに何人か知らない影を連れ立っている。
エヴェリヤンの姿が出て行った時と異なって血濡れであることに、まぶたが、かすかに動く。
「取ってきたよ」
ごろっ、とその手から、蒼玉のようなファル石が落ちて、血の沼に沈む。
(……ムディアン)
我が子を手にかけたのか。
強い悲しみが、グシェアのなかに広がる。
「待たせたね」
エヴェリヤンはそう言うと、沼にためらいなく膝をついてグシェアの体を持ち上げる。
さながら、助け起こすようにされながらも、グシェアはとどめを刺されるのだと、ぼんやりとした思考でわかった。唇を重ねられて、そうして胸に一突き、短剣が刺される。めり込む執拗さに、夫の愛を感じた。
(ヤン……)
流出する血とともに、悲しみが広がる。魔力が吸い取られるとともに、体が冷たくなっていく。唇を離されて、言葉が届く。
「君を愛している」
グシェアは、瞳の光を消していきながら、重なった縹色の奥に、小さな子どもだったエヴェリヤンを見た。
自分を見上げてきた、四歳の子ども。憧れの人と言ってきた頃。
(そう、か)
愛は、変わっていない。
だけどきっと、グシェアは夫のなにかを理解できていなかったのだろう。
(だめ……だな、まったく)
イディオンの気持ちといい、夫の気持ちといい、細かい機微を理解できないのは、どこまでもグシェアだった。魔法もそうだが、細かいことはあまり得意ではないのだ。
「……ああ、わた……し、も」
グシェアが囁くと、エヴェリヤンは縹を瞠った。グシェアを手にかけながらも、喪失を広げていく夫に泰然と笑みを返す。
──自分の愛は、いつか届けばいい。
(……すまない、ヤン)
いつ、置いてきぼりにしまったのであろう。そんなつもりはなかったというのに。グシェアは、がさつだから、ほんとうに気が利かない。
(仕方ない、か……)
先に〈霧の峡谷〉の岸辺で待っていよう。
(そこで……)
話そう。なにを置いてきぼりにしてしまったのか、ふたりで話そう。
両手を広げて、待っている。
そんな大らかさもまた、自分らしさであった。
胸から大きな石が転がる。そうして、夫の胸に抱かれながら、グシェアは唇に笑みを残し、命のぬくもりを消していった。




