284話:ガルバディア王家の関係(1)
女王グシェアネスは、宰相や補佐官らが居室から出ていくと、ふうっと息を吐いて後ろにのけ反った。
「……陛下」
侍女長がたしなめるのを手を振って、やりすごす。いつもならやかましい年嵩の侍女長も、ここのところは、グシェアに口うるさく言わなかった。
今年の冬は、霧が深かった。〈霧の厄禍〉の前ぶれだろう。グシェアも各地へと巡礼をするように赴かなければならず、夫エヴェリヤンに任せて、王太子ムディアンとともに、王都をほとんど留守にするしかなかった。
数日前に帰城したグシェアに、宰相をはじめとした大臣たちは、王の決裁を仰ごうと列をなし、今日もまた日がな一日拘束されていたのだ。長年付き合いのある侍女長は、こういう時の思いやりを忘れない。
(歳を取ったな……)
就寝の準備を他の侍女たちと進める侍女長には、老いが線を描いている。
グシェアが玉座についてから、六十余年。わずかばかり老けたグシェアと異なって、貴族の末端出身である侍女長は、当たり前に歳を重ねる。
小言を聞きたくても聞けなくなる日は、近いかもしれない。
寝衣に長外套を羽織らせてもらいながら、グシェアは、そんなことを思う。〝絶対女王〟の名を戴く〈導脈〉を宿した自分と、同じ速度で老いていく人間のほうが少ないかもしれない。
(子どもたち……だけだろうな)
王太子ムディアン、王女ティアラン。
それ以上に、
(……イディオン)
第一王子は、グシェアを凌駕する力を蓄えている。
昨年の冬は、今年ほど霧が発生していないとはいえ、これほど大変ではなかった。まちがいなくそれは、修行を終えたイディオンの影響が大きかった。
昨年、ガルバディアの南部モロル近くでは、珍しく霧が深くたち込め、鳥型の蟲が多く出現した。耕地に〈姑悪〉や〈雲虹〉が群れで降り立つのを見た時、グシェアは土地を傷めずにどうやって捌いてやろうか悩んだ。
グシェアは自身が火力過多であることを認めている。どうせ魔力は有り余っているのだから使ってしまったほうが、手っ取り早い。だいたい焼き払ったり、水で押し流したり、地割れを起こして呑み込んでしまえば、片づく。グシェアが苦手なのは細部の魔力調整であり、加減であった。蟲だけご丁寧に駆除するのはあまり得意でなかった。
ところが、イディオンは一瞬でやってのけた。
炎の環。視界にいる一匹一匹の下に、正確に現れたその環は、うねるように螺旋を描いて、収斂する業火ですべてを殲滅した。
空から戻ってきたイディオンの目は、青銀が強く輝いていた。与えた白い長外套は、華々しく凱旋したように見え、怜悧な容貌に王者の風格があった。
(この子は……)
グシェアは、はじめてメイベ・ガザンと対峙した時と同様に、息子の力量にぞっとする高揚を覚えた。
立派になった、と。
数日後、兄の凱旋を見た弟太子ムディアンは、決然とした面持ちで、グシェアネスを内密に訪ねた。
「母上! 私は、王太子という地位から辞退したく思います!」
「あっけらからんとしているね、お前は」
ムディアンは、はきはきとしていた。そこに、兄への卑賤な気持ちはなく、敬意と己の実力を見定めた人間の爽やかさだけがあった。
「兄上のほうが強いので、仕方ありません!」
「困ったものだな……」
グシェアネスは王者の美貌を歪めながら、息子に話す。
「イディオンは、たぶん承知しないぞ?」
「兄上がシェイラータ導師に操を立てているのは存じております!」
「お前ね、それはちょっと意味が……」
「ですが、私は意志を変えません! 自分より強い身内がいるのに、引かないほうがどうかしています!」
「せめて、次の星都大陸会議を終えるまで待ってくれ……簡単に王太子を変えたりできないんだよ。手続きって大変なんだ」
そうこうしているうちに、大陸会議が近くなった頃、グシェアネスは、旧知のメイベ・ガザンから文を受け取った。
〝シェイラが、わたくしと一緒にアベルに向かうわ。イディオン王子を必ず派遣させてね? 本人には、シェイラが来ることは内緒でよ、内緒で。お互いをびっくりさせましょう! きっと、ふたりともあっという間に恋に落ちるわ!〟
この旧友は、実は恋物語が好きで、シェイラータと息子イディオンをくっつけようと画策しているのだ。
そして、乗らないグシェアではなかった。にやりと紅唇に弧を描く。
「面白いじゃないか」
こうして、シェイラとイディオンの再会は、グシェアネスとメイベの余興で仕組まれた。
ところが、星都から戻ってきたイディオンは、驚くべきことに国を留守にしたいと言い出した。
さすがのグシェアネスも、たまげた。
イディオンはこの三年憑きものが憑いたみたいに修行に明け暮れていた。体が成長したのに合わせて、令嬢たちとの見合いや顔合わせの機会が増えていたにもかかわらず、ことごとくを棒に振り、戦闘狂の魔導師になった。師であるラムルの暴力的な教え方が、拍車をかけたのは言うまでもない。
そのイディオンが、憑きものが落ちたと思って戻ってくれば、瞳の縹のなかには透徹な光を宿して来たのである。
「母上、お許しください」
「イディオン、お前は王子だ。国を長期に渡って留守にするなど……さすがの私も許可できない。城下に下りるのとはわけがちがう。お前は、恋にうつつを抜かして、王子としての役目を疎かにする人間ではないだろう?」
戦闘狂の魔導師とはいえ、さりとてイディオンは、王子として務めなければいけない公務は担っていたし、政にも目立たないようにしながらも意見し、宰相たちを唸らせていた。さすが、エヴェリヤン殿下の血を引いていると、大臣たちは、王廷会の審議にかける前にイディオンに相談をしていたほどだ。いなくなっては、王宮にいる皆が困る。
「王子としての役目は放棄いたしません。それは私の信念に悖ります。そんなことはいたしません。ですが、私は……シェイラの役に立ちたいのです。協力し、子どもたちを助けたく思います」
「それは国にいてもできるであろう。シェイラータには、遠方から助力してやればいい」
「……彼女の、隣にいたいのです。彼女の隣にいくと、三年前に約束しました。そのために、魔導師になりました。この三年をたえました」
「ならば、シェイラータをこちらに呼べばいい。なんなら、婚約者にでも、妃にでも据えるがいい。私が……いや、余が許す。彼女には、金では解決できない借りがある」
ねじれていたグシェアとイディオンの関係が戻ったのは、シェイラのおかげであった。グシェアネスは、それを一度たりとも忘れたことはなかった。




