282話:イディオンの答え(2)
イディオンは語る。
「たとえば、ヤルチェだよ。彼女は、魔法が使えなかった。厳密には、フィシェーユの魔法のうち、歌唱や舞踊魔術が使えなかった。それは、なぜだった?」
「……舞台に出ることを求められていたからです」
「そうだ。だが、その舞台を求めるのもまた、花の祭典という催しがあったからだ。出場したい、優勝したいという師らの願いが歪んだ結果だった。だが、舞台への出方を調整したら、ヤルチェの魔法が使えないことは、問題にされなかっただろう? やり方を変えたからだ」
「…………」
「精霊女王の国はどうか。あそこは、虹の目が絶対という枠組みがある。選ばれた民だという思想がある。だから、虹の目がなく、精霊魔術が使えないことが不都合とされた。蔑まれる理由になった」
シェイラは、思い起こす。女王国のあり方、根づいた考え。それはたしかに、〈極光の壁〉というものに囲われた枠組みであった。
「──ぼくだって、そうだよ」
イディオンは、てらいなく言った。
「元素魔術が絶対とされる国。その強い力が求められる王族。そこに生まれたから、魔法が使えないことに困った。問題だと思った。王族として国を守ることができないと思い、絶望した。だけど──」
イディオンがシェイラを見る。
「あなたが、国を見守っていただろうと言ってくれたんだ」
「…………」
「その言葉で、魔法が絶対だという枠組みから解放された。魔法がなくても、ぼくの願いは叶えられる。魔法がなくても、王族としてやれることはある。国を、守ることができる。
──魔法が使えなくてもいい。今まで嘘のように聞こえていた言葉を、心から、そう思えたんだ」
「魔法が、使えなくても……」
シェイラは、その言葉を噛みしめる。
「答えは、ずっと、ぼくのなかにあったんだ」
イディオンは、星を見上げる。それから、自分の手を見て、シェイラの顔に戻ってくる。
「これが、ぼくの答えだよ、シェイラ」
紺青の空に揺れる銀の髪と、縹色の瞳は、いつものように冴え冴えと輝いていた。
イディオンの答えは、静謐に、シェイラのなかにとけて、染み込んでいった。
──自分が求めていた答え。苦しかったあの日々。
これまでの子どもたちの苦しみと喜び。教師たちと話し合って、やってきて、よかったこと。導き出してきたこと。そういったものが、イディオンの言う〈魔法が使えない〉問題の枠組みを、調整してきたことになっていたのであろうか。
それは、青銀の光に照らされて、焼きついた影が薄くなっていくようであった。
(イディさんは、やっぱりすごい人です)
シェイラの誇り。やさしく、隣にいてくれる人。魔法ではない力で、シェイラの心をとかしてくれる人。
──立派になったイディオンの隣に、ただずっと、いられたらいいのに。
叶いようのない願いが、鋭いかなしみとともに、募った。
(もし……)
もし、シェイラがかつて、魔法が使えなくてもいいと、心の底から思うことができていたら、ちがっただろうか。寿命を削らずにいたら、イディオンの隣に、長くいることができただろうか。
「──君のままでいい」
ふいにまた、ヴィクトルから言われた言葉が、強くよみがえった。
(……トール)
彼は、シェイラに教えてくれようとしていたのだ。
魔法が使えなくても、隣にいることはできる、と。
彼は昔から、変わらず、シェイラを認めようとしてくれていたのだ。
(今更……気づいてしまいました)
底に沈殿していたものが舞い上がるように、過去のかなしみが思い出された。
(ありがとう、を言えてません)
気づくと、悔いだった。少女の頃の自分が、流せなかった涙を流している。
目を強く瞑る。胸元の青銀石を掴む。
「……答えを……くださって……ありがとうございます」
シェイラは、イディオンに告げる。
後悔しないために。今を大切にするために。
「ずっと、考えてくださって……あなたの、真心をくださって、ありがとうございます」
「……ああ」
イディオンのやさしい肯きに、シェイラは笑む。
「イディさんは……、すごい人です」
「ああ」
「ほんとにすごいです」
「……うん」
「立派になりました」
「……もっと、褒めてくれてもいいよ?」
シェイラがやわらげようとしている空気に、イディオンも乗っかってくる。少年のような顔で見てくるので、笑いが込み上げてきた。過去のかなしみが沈殿していく。
「はい。やさしくて、ひとつのことに熱心で、それを成し遂げてしまう、すごい方です」
「……ちょっと修飾語が多すぎて、嘘くさい」
「そうですか?」
不満そうな声に、シェイラは、小首をかしげながら、きょとんとする。
ほんとうのことなのに。
「じゃあ……」
どうやって言おう。
「わたしの誇りで、」
どうやって、告げたら、シェイラの気持ちは伝わるだろうか。
「わたしの──」
自覚して、象られたばかりのものが、滲んだ。
「だれよりも、今までで一番……尊い、方……、です」
目を逸らす。顔が紅潮して、耳がわずかに赤らんだ。
鼓動が、はやくなっている。
「……シェイラ」
横目に、イディオンが、ひどく驚いた顔をしているのがわかった。
ふたりのあいだに、夜気が滞留する。
「……ぼくも」
ぽつりと、されど木霊する柳弦が爪弾かれた。
「ぼくもだよ、シェイラ」
目を合わせては、いけないと思った。
合わせたら最後、シェイラは引けなくなってしまう。だから、それを宵闇に沈むなかで聞いた。
「ずっと、あなたを……」
イディオンは、なにかを察したようだった。言葉の終わりは、闇のなかにかき消えていく。
言いようのない沈黙が、あった。
「──ぼくは、」
きゅっ、と漆黒の手甲がこすれる音が聞こえる気がした。
「ぼくは、移ろわないよ、シェイラ」
シェイラは、はっとした。上げたくなる顔をこらえた。
「魔法は使えなくてもいい。今も、そう思っている。だけど、あなたから教わった魔法を使う。使って、成し遂げたいことがある」
やっとそこで、シェイラは顔を上げた。
イディオンは、立ち上がって、シェイラを見下ろしていた。
「それが、ぼくが魔法を使う理由だ」
「……それは、なんですか?」
星都で再会した時、イディオンは教えてくれなかった。シェイラは気になって、あの時と同じように尋ねた。
「──言わない」
同じ言葉が、繰り返される。
「絶対に、言わない」
イディオンは、そう言うと、ひらりと屋根から下りて、室内に戻ってしまった。
シェイラは、寂しくはなかった。置いてきぼりにされる感覚もなかった。
答えだけが、ただ、気になった。




