260話:女王国の選民主義
モーラという女は、びくびくしながら動いていたが、シェイラたちの世話には抜け目がなかった。
大木内部は空洞になっていた。外周が螺旋階段となって、二階、三階とつづく。一階は食事場や厠、水浴び場。三階までの作りで、二階、三階が客室になっていることを丁寧に案内される。
ふと疑問に思って、シェイラは尋ねた。
「モーラさんは、どこで寝起きされるんですか?」
「……わたしは……地下で」
じんわりと、いやな気持ちになった。石の下にムカデやヤスデを見つけた時の気分だ。
「ほかに上の部屋はないんですか? 地下だと暗いですし……」
「わたしは、いいんです。それで」
モーラは、跳ねのけるように返答する。シェイラに三階、イディオンに二階の部屋を与えると、そのままさっさと降りていってしまった。
「最初から距離を詰めすぎだよ」
イディオンに苦言を呈される。
「すみません、つい」
気になってしまったのだ。
「精霊魔術が使えないかもしれないって?」
荷を寝台に下ろして、イディオンは問う。やわらかそうな羽毛の掛布に、緑を貴重とした素朴な織物がかけられていた。横には、スズランの形をした宵燈がある。
「……そうです」
それは、たとえ大人であっても放っておけない。
悄然とするシェイラに、イディオンは寝台に腰かけながら言う。
「シェイラのいいところだけど、今回はあまり首を突っ込みすぎないほうがいい。一時的な滞在だし、女王国は見たところ、より特殊な環境だ。ぼくたちがいたところとは異なる。下手なやり方をすると、さらに彼女の過ごしにくさにつながる」
「……はい」
「ぼくらは、彼女に対して当たり前に気兼ねなく接する。それだけでも、ちがうんじゃないか?」
「ええ」
「シェイラは、得意だろ?」
イディオンに問われて、シェイラは微笑する。
「はい」
「じゃあ、そうしよう」
イディオンにそう言ってもらうと、シェイラは胸のつかえが取れるようであった。
焦ったところで、女王とすぐに謁見できるわけではない。
シェイラは開き直って、とりとめもなく、されど、十分に充実した日々をイディオンと送ることになった。
まずは滞在場所からの散策。ふたりで、浮遊するクラゲや海ヘビ、晶石魚などを観察したり、斑水苔、釣鐘蔦、鏡薇などを採集した。
「ヴェッセンダリアの研究者たちが喜びそうです」
「そうしたら、しっかり写生しないと」
イディオンが得意の絵を担当し、シェイラがふたりで話したことを書きまとめる。
のちに、『女王国の生態記』という題名で出版されることになるふたりの共著は、この時にできあがったものだった。〈極光の壁〉がなくなって、女王国との行き来が増える時代になると、この生態記の完成度は話題にのぼることになる。
シェイラとイディオンは、もちろん動植物の観察だけを行っていたわけではない。
時に二手に別れながら、女王国の文化や風習というものにふれていった。ユグラウル岩窟という道があるのに、この国がどうして斎王国のように、鎖国のような有りさまになっているかも、参与することで知っていくことになった。
とにかく、排他的、なのだ。
二週と経過したが、未だにシェイラたちは遠巻きに見られ、近づこうとすると、家の戸を閉められたり、子どもたちは蜘蛛の子のように散っていく。
さすがのシェイラも仲よくなる方式は諦めた。一年過ごすのであれば過ごし方をもっと考えたであろうが、残り二週でその思想がどうにかなるものではない。問題なく女王への謁見を済ませることだけに重きを置くことにした。
イディオンは、淡々と彼らのあり方を一言でまとめた。
「──選民主義?」
シェイラは確認する。
「ああ。精霊によって、自分たちは選ばれた存在だと思っているのだろうな」
イディオンの台詞に侮蔑は載っていなかった。客観的に見えることを言ったにすぎない。そういう声色だった。
「言い得て妙ですね。それが根本にあるから、余所者を受け容れず、外へ出て行こうとしない。特に困ることもない。加えて、山脈に隔てられ、唯一の通行場所となるユグラウル岩窟には、女王国にはいない魔獣が跋扈し、蟲が湧く。出ていくわけがありませんね」
「こちら側も労して来てみれば、住民たちはあの様子だ。過ごしづらい。やりづらい。よほどのうまみがなければ、来ることはない」
「そういうことですね」
地理的な要因、心理的な要因、そういったものが大きく影響している。
「……やっぱり、蟲は出ませんね」
シェイラは、ぽつりとつぶやく。ふたりで、気になっていたことだ。
「ああ。それどころか、〈魔導霧〉も発生しない。やってこない」
「なぜだと思います?」
このサージェシアで、〈魔導霧〉が出ない地域が存在する。
女王国は蟲が少ないと聞いていたが、少ないどころではない。出ないのだ。気象事象としての霧は発生するものの、蟲を湧かせる〈魔導霧〉が、《《ま》》《《っ》》《《た》》《《く》》《《生》》《《じ》》《《な》》《《い》》。
山向こうからすると異常事態で、〈霧の厄禍〉が予言されている今、多くの人間にとってうまみのある話だ。要因となる事柄は、突き止めたほうがいい。
「〈極光の壁〉があるからだと思う」
イディオンは、断言するように言った。
「あの壁が、〈魔導霧〉を防いでいると?」
「そうとしか言いようがない。独特なにおいさえしないからな」
霧のにおい。あまい、鼻をつくいやなにおい。
「ですが……」
シェイラは、その仮説には賛同しきれない。
「入ってこないのは理解できますが、〈魔導霧〉が《《生》》《《じ》》《《な》》《《い》》《《理》》《《由》》はわかりません」
「……ああ。それはぼくもわかっていない」
イディオンは足を組む。手には、水差しに飾ってあった天蕗の茎があった。黒い手甲の先から伸びた長い指が、澄んだ空色の茎をくるくると回している。
外からは、子どもたちの遊ぶ声と、不思議な歌が聞こえる。わからない言葉。精霊たちと交流する歌声なのであろう。竪琴で清廉な光を織り上げているような声で、美しい。
「シェイラはどう考える?」
ぼうっと周りを眺めているあいだに、イディオンは思考していたらしい。
聞こえてきた問いに、シェイラも考えが戻る。
「……イディさんの話を聞くと、精霊魔術によって、〈魔導霧〉が発生するのも防いでいるという線が濃厚かもしれません」
だが、疑義は残る。
「そんな大規模な魔術を施せるのでしょうか……」
「精霊魔術は、大地の魔術と似通うものがある」
「ええ」
「大地の魔術は、およそ大地と呼ばれるところであれば、あらゆる地脈を辿って、たとえ魔力量が少なかったとしても大きな魔術を行使できる」
「はい」
「なら、精霊魔術も、この精霊の宿る大地であれば、大規模に行使可能じゃないか?」
可能性はある、とシェイラも思う。イディオンの論証に疑念はない。
(なぜでしょう……)
引っかかりを覚える。
そもそも、検討としている事柄自体がまちがっているのではないか。
そんな予感のようなものが働くのだ。
「……〈魔導霧〉が発生しない要因については、断定は避けたほうがいいかもしれないな」
イディオンはシェイラの顔色をちらっと確認すると、予感をすくいあげるように言う。
「もう少し調べてみてもいいかもしれない」
「……そうですね」
「あとは、女王に直接尋ねてみるのもひとつかもしれない」
天蕗を水差しに戻して、イディオンは、にっと笑う。
「それが一番はやく解決しそうだ」
シェイラも、たしかに、と肯く。
「お答えしていただけるとよいですけれども」
その答えは、まもなくわかることになった。
数日後、女王エレンシアが目覚めたと、テベディヴが幾人かを伴ってやって来たのであった。




