259話:精霊樹海
男は、テベディヴと名乗った。三十、四十ともわからぬ年頃の男で、痩せた体は不健康に見えたが、イディオンたちが捕縛した者たちも、似たように線が細かった。首と称する箇所は骨が浮いているように細い。
(枝のようだ)
イディオンは、そんな感想を得る。
特徴的なのは、それだけではない。平均して上背がある。比較的背の高いイディオンよりもさらに、頭ひとつ抜けているのが、テベディヴ率いる一行であった。
イディオンとシェイラは、彼らに取り囲まれるように導かれる。イディオンでさえ、圧迫感を感じる。
「大丈夫?」
頭を下げて尋ねれば、小柄なシェイラからは憤慨したような返答があった。
「大丈夫に決まってます」
「ほんとうに?」
「木々に囲まれているのと思えば、なんともありません」
イディオンは場ちがいなことに吹き出しそうになったが、シェイラに怒られそうだったので、たえて平静を繕った。切り替えるために、話題をべつにする。
「どこに連れて行かれると思う?」
「玉薔薇の都かと。地図によれば、集落と思しき影があります。そこが女王のいらっしゃる場所なのかもしれません」
「ぼくたちが来た理由を知っているのか?」
「さあ。わかりません。ただ、女王陛下にしろ、他の方々にしろ、わたしたちには視えない精霊が視えますし、交流できます。それで、なにかを知っているのかもしれませんね」
シェイラの言に、イディオンは肯く。
さきほどの戦闘では、彼らは本気を出していなかった。こちらの実力を試したかっただけだろう。〈極光の壁〉を見た時のような、精霊魔術の気配は感じられなかった。
イディオンは、シェイラをちらっと瞥見する。
シェイラも、わかっているからこそ、さっきのような実験を提案したにちがいない。随分と楽しそうな顔をしていた。魔法が好きなのだ、彼女は。
ふたりの力を合わせて魔法を使うというのは、あの日以来であった。うれしくもあり、イディオンとしては少々複雑でもあった。
気分がよい。自分の届かないところまで届いていく万能感を得られた。そこまではいい。
(シェイラの魔力が入ってきた)
それが、問題だった。
魔力香──葵葉草と甘橙の混ざったような香りは、エリスという草の根の香りだと最近知った。ユベーヌの民たちが扱うまじないのなかに見知った香りがあって、教えてもらったのだ。
その香が混ざってくる心地は、幾分、たえがたい感覚であった。正直なところ、二度とやりたくない。
イディオンは、もう一度、シェイラを見る。
──彼女は変わった。イディオンに見せてくれる顔は、少し前とあきらかに異なる。
かつては、幼い自分との約束があったから、いろいろ話してくれたのを知っている。けれど今は、イディオンに心を許して、自分を曝け出してくれている。
喜ばしくも、自らに言い聞かせる。
(役割を忘れるな)
自分がなんのために修行を重ねたのか。ガザン老師に答えたことはなんだったのか。なんのために、シェイラの隣にいるのか。
ぎゅっと爪が食い込むほど、拳を握りしめる。
「少しだけ……」
「ん?」
シェイラが周りにいる森人たちに聞かれないように爪先立ちで、イディオンに囁く。
「女王陛下のいらっしゃるところが、どんなところか楽しみです」
破顔する。生のままの笑みを向けてくれる。
「観光というものができるのかわかりませんけど、一緒にいろいろ見て回りましょうね?」
「……ああ、そうだな」
ただひとつだけ、イディオンは思う。
──はにかむ彼女の気持ちを、少しだけでも求めてしまいたいと思うのは、欲張りであろうか、と。
琥珀の蝶が舞う。
釣鐘蔦が翠を灯す。
樹々クラゲは、浮遊しながら光の泡を吐き、樹海ヘビは、古代の大木のあいだを蛇行しながら浮揚する。樹冠天井をたゆたう魚たちから落ちてくる晶石ウロコは、貴重なもので、森人の子どもたちが先を競って見つけていた。ウロコは螺鈿のように、陽光を反射する。
大木という大木、苔と蔓にびっしりと覆われた、光と緑、水の世界であった。
精霊や精霊界というものを視認できないシェイラたちにも、不思議な場所として映る。水のなかにいるようなのに、深い呼吸ができ、体のなかまで緑が取り込まれるようだった。
シェイラとイディオンは、呆然と見上げる。
「滞在場所にご案内します」
テベディヴはそう言って、先に進む。
蔦でできた揺り遊具や寝網。枝と枝で結ばれた歩廊。ところどころに、宵燈が吊り下がり、大木を中心に階段が螺旋を描いて、高所の家につながる。
物見遊山の大人や子どもたちが、木の洞や幹、根本の家々から出てきて、シェイラたちをそれぞれの場所から見た。皆、テベディヴと同じく、白金は遊色に輝き、虹色の瞳を持つ。
シェイラたちは、あきらかに、見下されていた。
「いやな目だな」
イディオンがシェイラに言う。
シェイラは顔色を変えず、堂々と胸を張りながら答える。
「邪険に思われている時ほど、こちらは明るい空気を出したほうがいいですよ」
「なるほど?」
「同じ感情になったら負けです。わたしたちは喧嘩を売りに来たわけではないので、堂々としていれば問題ありません」
「それは、心ノ理学?」
「いえ」
シェイラは、はたから見ても満面の笑顔で答えた。
「ただの経験知です」
テベディヴたちによって案内されたのは、奥のほうにある大木に根ざす家だった。木戸を叩くと、間もなくして、頭を下げた三十ほどの女が出てくる。
「客人だ。しばらく、面倒を見てやってくれ」
「……わかりました」
女は人目を気にするように少しだけ顔を上げた。シェイラは、その瞳を見て内心で驚く。
(虹がない)
あるのは素朴な茶色の瞳だ。そう言えば、髪も遊色をたたえていない。
「しばらく、このモーラが、あなた方の世話を焼きます。寝室の案内や、食事の用意も彼女に」
テベディヴはそう言って、引き連れた者たちと一緒に踵を返そうとする。
シェイラは思わず、呼び止めた。
「お待ちください。女王陛下がお待ちなのでは……? わたしたちも陛下にお会いしに来ました。あまり悠長に過ごすことはできません」
ルーマンにいた頃から、ここに来るまでのあいだに、一月半かかっている。帰りはもっと時間は短縮されようが、こうしているあいだにも〈気高き魔女の騎士団〉は動いて、子どもたちを狙っている。
──〈朧竜〉というものを知り、彼らの目的を突き止め、〈霧の厄禍〉に備える。
シェイラの寿命もある。ゆっくりと過ごしている時間はないのだ。
テベディヴは、虹の目に何色か漂わせた。思案したのち、返答がある。
「それは残念です。陛下は昨日から、眠りについておられます。次のご起床は、一ヶ月後となりましょう」
淡々としたテベディヴの言い様に、シェイラは唖然とする。
「それまで、どうぞごゆるりと。旅の疲れを癒やされてください」
テベディヴは、慇懃にゆったりとした動作で、なかに入ることを促し、そのまま去っていった。
「……ご案内します」
二の句が継げずにいると、モーラという女はおどおどとしながら、幹のなかにシェイラたちを案内した。




