256話:精霊女王国
まもなく出口が近くなった頃、岩窟内の様相は際立って変化していった。
壁面にまばらに見られたファル石が増え、彩りを増していく。紅、橙、黄、碧、翠、紫が、濃淡ゆたかに階調を描き、呼応するように輝く。石と石が、光と光で言の葉を交わしているようであった。色彩は、シェイラたちの瞳も反射して、地の底から昇ってくるように、高揚させる。
つづくのは、広大な空間に広がる六角柱状の晶石群。木々のように、下から根をはやし、天井に届いて、梁のようにいくつもの手を伸ばす。木漏れ陽から射し込むような光が、白磁や青磁の柱状晶石に澄んだ光を届ける。
岩石迫持を進む下は、深くを流れる鉱脈水が七色に輝き、そのうえを棲み分けるように澄明な清水が流れていた。苔や藻さえ輝いて、幌車の轍を美しく彩る。
いっとき、呼吸をするのを忘れるほどであった。いくつもの岩門を越えて、シェイラは思わず隣を歩むイディオンに声をかけた。
「イディさん……」
イディオンも高く、広い空間を見上げている。
「こんなにきれいな場所があるんですね」
「ああ……」
「わたし、はじめて見たかもしれません」
「……ぼくもだ」
感動が、ともにあった。
まぶたの裏に写すようにしてから、道のりを進んだ。
「もうすぐだ」
ホサルがそう言い、サリヤが舞い上がって踊る。子どもたちは顔を出して、大人たちも、たえ抜いた三日の終わりに、晴れやかな顔になった。
「出口だ……!」
巌窟最後の隧道を抜けた先──清澄で濃い緑樹に包まれた風景が、エレンシア精霊女王国のはじまりとなった。
視界全体に、青緑の原生林、狭間にひそく色の靄が忍んで、いささか雲海の様相を得る。突き抜けるようにして、大きく真っ白な岩の柱が島のように見えた。
シェイラは岩窟を抜けた先の風景に言葉を忘れた。幻のような、絵物語に出てくる光景がつづいている。
「──あれは、〈魔導霧〉じゃないな」
冷静に判じたのは、イディオンだった。
一行が出てきた窟から見下ろせるさまに、顎に手をやり、なにかを考えている。
「〈魔導霧〉じゃない?」
「ああ。あれは、ただの霧だな。見れば、わかる」
イディオンが断言するのであれば、そうなのであろう。
秀眉を寄せたのち、背後の越えてきた山脈と岩窟、もう一度樹林のほうを見る。
「ごめん、シェイラ。少し上を見てきても?」
「はい、もちろんです。あれがただの霧なのであれば、問題ありません。先に進んでいます」
「頼んだ」
イディオンは言うと、上昇飛行していった。
シェイラは、一団のほうを振り返って声をかける。
「では、ここをくだりましょう」
イディオンは小一時間ほどしてから戻ってきた。ちょうど陽が傾き、野営の準備をしようとしているところだった。森に入る手前、まだ岩がごろごろとしている、なめらかな岩肌に野営地を取った。知らない森では、なにに出くわすのかわからない。それゆえの判断だった。
そこにひょろっと銀髪の姿が下降してくる。
「おかえりなさいです。遅かったですね」
シェイラが出迎えると、イディオンはなにかを担いだ状態でおむもろに返事をした。
「気になることがあって、山のほうと森のほうどちらも上空まで見てきた。おかげで、ちょうどいい獲物も見つけられた」
イディオンはそう言って、背から、どすんと重みのあるものを下ろした。
「ひっ」
シェイラは、素で変な声が出た。器用に足が縛られ血抜きがされているが、あきらかになにかの鳥だった。飛び退いてあとじさる。
「イディさん……」
「たぶん、キジだと思う」
「こりゃあ、たまげた!」
喜んだのは、ホサルをはじめとした男衆たちだった。イディオンが持ってきたキジと思しき鳥に群がる。大きさが異様ではないだろうか。魔獣たちも驚くような巨大な紫のキジだ。どうやって飛んでいたのだろうか。
「おそらく桔梗キジだ……! 随分と昔に、絶滅したって聞いてたが、こっちじゃ生きてたのか!」
「……狩ったらまずかったか」
ホサルの声に、イディオンがぼやく。
「これ、ほんとうに、そのなんとかキジ? 食べれるやつ?」
覗き込んできたのは、サリヤだ。イディオンの横にずいっと頭を突き出す。未だに、諦められていないようで、平気で距離感を度外視してくる。豊満な体を押しつけるようにする。
シェイラは、その時、砂岩を呑み込んだ気分を覚えた。わずかに表情がこわばる。無意識に前に歩むと、ふたりのほうを見ないで言った。
「では、調べてみましょうか」
シェイラのなかで、〈命脈〉の魔力が動く。今日はほとんど魔法を行使してないから、魔力には余剰がある。左の親指に通している触媒が反応する。隙間ある指輪。藍色ファル石と蛋白石の止まった銀の指輪が、医療魔導を発動させる。
──{解析}。
かざした手を通して、シェイラの脳裏に立体走査が浮かび上がる。医療魔導師であり、十二老師のひとりサルオンから教わった魔導。死したキジの状態の分析を終えると、シェイラは冷然と結果を告げた。
「大丈夫です。食べられます。特に毒物などは見当たりませんでした」
長靴の踵を翻す。
「シェイラ?」
「……わたしは、森のなかを少し見てきます。知らない獣がいるかもしれないので」
イディオンに、背を向ける。そのまま、シェイラは夕闇に沈む樹林のなかに分け入っていった。




