249話:虫食いの紅葉
シェイラが、変わった気がする。
イディオンは、子どもたちと遊んでいる淡紫の姿を目にしながら、そう思う。
彼女が遊んでいるのは、旅芸人の子どもたちだ。イディオンとシェイラは、ある一座の旅に同行させてもらっている。
──エレンシア精霊女王国。
女王に謁見し、〈朧竜〉について知る。
今世まで実在するか判然としない人物であったとしても、そこを目指せば、わかることもあるかもしれない。たしかめるためには、大山脈アールヴを越えるしかない。越境の路はほぼ一本に絞られている。ユグラウル岩窟。鉱脈水の通るそこを抜けた先に、玉薔薇樹林の都はあるのだという。
{転移}が使えないからには、旅を選ぶしかなかった。
「ありゃだめだ」
偵察に向かわせたスヴェリが断言した。
「障壁がある」
「どんな障壁だ?」
ルーマンを出る前日、〈クチナシの酒場〉での会話だった。イディオンは顎に手をやる。
「〈極光の壁〉ですね」
訳知り顔で、シェイラが言った。驚いた様子はない。
「〈極光の壁〉?」
イディオンの聞き返しに、シェイラは肯く。
「アールヴの山頂より、さらに高い場所から降り注ぐ魔法による障壁です。強力な魔法ですが、高度を上げないと見えません。一国の{防護}障壁とは比べ物にならないほど頑丈で、あらゆる魔法を通さないと言われています」
「そんな魔法があるのか?」
あるなら、{防護}障壁の代わりになっているはずだ。
「精霊魔術によるものです。だから、真似したくても使えないんですよ。まあ、イディさんなら、もしかしたら表象できるかもしれませんけど」
シェイラが付け加える。
たしかに、可能性はある。
イディオンは、頭の隅に置いておく。
「女王国のものたちは、大山脈があることで隔絶されていると聞いてきたが、それだけではないということか?」
「そういうことです」
「俺はお手上げ」
スヴェリが、両手を上げる。
「{転移}して、向こう側に抜けようと思ったが、文字通り壁に衝突した感覚があった。信じられないくらい痛かった」
「いい気味だ」
イディオンがぼそっと言う。
「ひどくねえ?」
スヴェリの様子に、シェイラがくすくす笑う。
「{転移}が使えないのであれば、魔女の騎士たちも女王国へは行けないということですね。女王国の子どもたちはねらわれないということになります」
安心です、とシェイラがまとめる。
ふと、イディオンはその言葉に疑問を覚える。
そもそも、高位魔術である{転移}を、魔女の騎士たちが息をするように使えているのは、なぜだろうか。まるで、スヴェリのように高位魔術を使うことのできる人間が、いるようではないか、と。
イディオンは思考を深めようとして、けれど、シェイラの真面目になった顔を見て、中断する。話題が女王国への入国手段に戻った。
「そうすると、女王国に行くためには、ユグラウル岩窟を通るしかありませんね」
「行商人たちが通る道?」
「そうです。ただ、この時期は、秋霞が出るので、行商たちはあまりあの辺りを行き来しません。霧が濃く出る地域ですから」
「じゃあ、どうする?」
イディオンの問いに、シェイラは耳飾りをさわりながら答える。
「わたしたちだけで行くという手もありますが、岩窟内は未知です。{転移}が使えないのであれば、旅慣れしている方と一緒のほうが不測の事態も防げます」
ちりん、と爪で一度弾いてから、シェイラは不敵な笑みを浮かべた。
「ユベーヌの民をさがしましょう。旅芸人の一座であれば、この時期でも、行き来する可能性があります」
そうして探し出した一団が、パトダ一座であった。
イディオンたちは、今、その一座に護衛として雇われ、旅をともにしている。一座は、冬を女王国で過ごす予定なのだという。岩窟を抜け、女王国へ辿り着くまでが、護衛の期間であった。
シェイラは、子どもたちと木々のあいだを走り回っていた。イチョウやブナ、カエデの梢から、秋陽が射し込む。七、八歳の子どもたちは力が有り余っているから、一緒に走るのは大人だって大変だ。それを、ものともせずに子どもたちと全力で走り抜ける。
イディオンは、その姿にぬくもりを感じる。体が小さく、まだシェイラのことを信用しきれていなかった時、毎日話しかけに来てくれたことが懐かしい。そういうぬくもりは、再会してからも感じることがあったが、彼女に感じる最近の変化は、それより深いものだった。
「イディさん」
息を切らしたシェイラが、枯れ倒木に腰かけるイディオンのもとへやって来る。倒木は、モジホコリなどの粘菌や、裏紅傘などの茸が生えている。それら菌や倒木そのもの、林床からたち昇るにおいとは異なって、シェイラはふわっと香る。走った体温を含んでいる香りを、いつものようにやり過ごす。
「おかえり」
「つかまっちゃいました」
シェイラが笑いながら、長外套を脱いでイディオンの隣に座る。軽く出た汗を手巾で拭ってから、秋風に目を閉じた。そよぐ雁渡しを感じる横顔に、髪が揺らぐ。薄色は風に揺られて、白い肌を梢から覗かせるようにする。
イディオンは、束の間、言葉を忘れて手を止めた。
間もなくして、開いた青金色の目と、視線が重なる。逸らしながら、尋ねた。
「……移ろいを感じている?」
「はい」
シェイラがほほ笑む。その笑みに、変化を感じる。
無防備な、と言えば聞こえが悪い。生のまま、と言えばいいのだろうか。これまで、イディオンが見たことのない、シェイラータその人にふれている感じがするのだ。
「秋は……移ろいが濃い気がします」
「濃い?」
「はい。木々も獣たちも、冬に備えて、どんどん色を変えていく。移ろう色が濃くなって、空気のにおいも濃くなるんです」
「……うん」
その話には、哀感が混じっている。残りの命脈を感じているのだと、イディオンは知っている。
「それに、」
シェイラは、イディオンを見た。
「あの日を思い出します」
──あの日。イディオンの魔法が成功して、紙吹雪が舞った日。
シェイラが見上げる。
色づいた葉が落ちていく。ふたりを囲うように、さらさらと揺れながら落ちていく。
イディオンも見上げる。
同じ日を、思い出している。
ちらっとシェイラを見上げると、目元がゆるんでいた。そこにあるのは寂寥ではなく、喜びを感じている姿で、イディオンはほっとする。
「あの日、か」
イディオンは笑みを返す。
「ぼくにとっても、あの日は特別な日だ」
「……はい」
シェイラが笑うと、ひらっとその肩にカエデの葉が落ちた。美しい紅葉色だったけれど、虫食いのあとが残る葉を、そのままにしたくなかった。
「落ちたよ」
手を伸ばす。
イディオンからは、反対の肩だった。おのずと距離が近づく。
「きれいな葉っぱだ」
はい、と取ったものをシェイラの前に出すと、思ったより顔が近かった。さっきと同じように、しっかりと目が合う。
イディオンは手が止まった。そのあいだに、わずかな変化を見た。
「……あ、ありがとうございます」
シェイラは目を見開くと、さあっと秋が色づいたように、首筋から頬まで、紅葉の色を広げた。顔が、ゆっくりと逸らされる。
沈黙が広がる。
「──お姉ちゃん!」
シェイラが子どもたちから呼ばれる。シェイラは立ち上がって、ぱっと逃げるように去っていった。
あとには、虫食いの葉を持ったままのイディオンだけ残される。
(なんだ、今のは……)
シェイラが変わったと感じる、ひとつだった。




