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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【6/6完結予定】  作者: 稿 累華
第13章:千六百年を生きる弟子

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248/253

248話:フラン

 大地が震えている。

 極北の陸塊(りくかい)から訪れた(こがらし)が、万籟(ばんらい)の声を鳴らす。


 フランは、そうっとまぶたを開いた。薄目に光が差すことはない。あるのは黒白とした闇で、親しいものだ。闇の魔術で定義を受けない、原初の闇。フランの眼瞼(がんけん)は、そこにつながっている。



「──どうかしたかい?」



 団長の声だ。

 フランは、首を振る。真っ白で真っ直ぐな髪が、ゆるゆると背骨を流れているのだろう。


「特に、なにも」

「僕には、君が立ち上がって外を見ようとしたのかと思ったけど」


 ちがうかな、とヘライン団長は、たしかめる。

 聡い人だ、とフランは思う。この目に、その姿を映したことはないけれど、不思議な声の根を辿ると、人の機微に敏感なものの気配を感じる。


「わかってしまいましたか?」


 フランは、唇に弧を描く。もう十年以上前、まだ光を宿していた頃の姿を思い起こしながら、唇を描く。


「わかるさ。僕と君の仲だからね」


 そう言って、ヘラインは、気に入りの椅子からフランを立たせる。肘を絡ませて、フランが歩きやすいように立ち振る舞う。


「そこ、段差があるよ」

「勝手知ったる場所でございます。そんなこと、わかっていますよ?」

「躓くんじゃないかと心配なんだ」

(めし)いた者をなめないでくださいませ。見えない分、他の感覚が鋭いのです」

「それでも心配というものさ」

「まあ、お優しいのですね」


 フランは、もう一度笑みを向ける。きれいに見えているだろうか。

 ゆっくりとフランの足取りに合わせる団長が、どのような顔をしているのかわからない。心配という言葉を使いながらも、実は酷薄な顔をしているかもしれない。


 だが、フランは、なんとなくそれはないだろうと思った。もう何年も前から、団長の声には偽りのにおいがしない。以前は感じられた偽善者の粘つき。左手を失くしてから、団長の声には、人への思いやりと心からの憐れみの色を感じる。

 ──盲目の、元精霊使いであるフランに対しても。


 十五年前に、虹の色を失くし、十年前には光そのものを失った。

 団長は、そんなフランを憐れんでくれている。



「透明に、なってしまいたかったのです」



 フランがそう言った時、団長は深い声で、フランの心にふれてきた。


「どうしてそう思ったのか、もう少し聞いてもいいかい?」

「……消えてしまいたい。そう言うと、陳腐に聞こえてしまいますでしょう?」


 あの時、フランはどこを歩いていたのだろうか。灰ネズミが、足元をかすった気配だけ覚えている。


「死にたい、ということ?」


「ちがいますの」

 それもまた、陳腐だ。


「透明になってしまえば、だれも、私を認知できなくなるでしょう?」


 フランは、だれにも認識されたくなかった。ただ、宙をただよう空気のようになりたかった。そうして、虹の輝きを持つ子が、育つのを見守りたかった。



 ──フランは、精霊女王国の、エテルの森の生まれであった。翠風が気持ちよく、精霊たちのかそけき声に包まれ、光の泡が浮かぶ。おだやかな森で、フランは一生を終えるのだろうと思っていた。……子が、虹を持たないとわかるまでは。


 フランの生んだ子は、瞳に虹を持たなかった。女王国ではそれを不吉と称する。精霊の祝福を受けなければ、女王であり、魔導師エレンシアの加護を受けられない。

 当時まだ若かったフランにとって、それは恐ろしいことで、まだ産褥の痛みに喘ぐなか、這いつくばって森を抜けた。そうして、森を抜けた叢草(むらくさ)の地で、下弦の月に祈りを捧げた。



 ──どうか、あの子に虹を授けてやってください。



 毎夜、毎夜、祈りを捧げに行った。エテルの森には、ひそかな迷信があったからだ。

 下弦の月から、祈りをつづければ、新月の夜に、原初の淵底より来たる精霊が、願いを聞き届けてくれる、と。


 足のあいだから、血が流れようとも、白い衣がその血で染まろうとも、祈りを捧げた。


 そうして、新月の夜、ついに、フランは視たのだ。群集する宵燈(ランプ)(そう)は、新月の夜のみ、濃紫の光を宿す。黒白とした暗闇に深紫の光が文様を描くなか、原初の精霊を目にした。

 どのような姿形をしていたのか、フランは思い出せない。本来は、目にしてはいけないものだからだ。原初の精霊と、どのような言葉を交わしたのかも詳細は思い出せない。

 けれど、ひとつ尋ねられたことは覚えている。



《おまえのいのりは、真なるものか》



 フランは、是と答えた。己の子。子の未来のため、母としての真なる願い。

 返事を聞き届けると、精霊は、濃色の闇に帰っていった。


 そうして、翌朝、フランの子は虹を宿したのだ。精霊への祈りは願いとなり、聞き届けられた。フランは喜んだ。歓喜した。少女のようにはしゃいだのを覚えている。


 だが、はしゃぐフランをよそに、虹の目を持つ夫は、フランを病魔の精霊を見る目で言った。



「化け物め」



 子の代わりに虹を失ったフラン。夫は、罵ると、幹の扉を出て行って、もう二度と戻ってこなかった。あとには乳飲み子と、虹を失ったフランのみが残された。


 苦しい日々は、むしろ、それからがはじまりだった。


 森人──女王国の者たちにとって、虹を失うということは罪過の象徴であった。一年のおおよそを玉薔薇の褥で眠って過ごすエレンシア女王は、起きるとまず、罪人から虹を奪うことからはじめる。

 フランは罪を犯していなくても、罪を犯しているのと同じになった。子のためにそうしたことに後悔はなかった。


 だが、フランを苦しめたのは、虹を持たない母がいることによる子の立場だった。


 子どもとは残酷だ。平気で意味を理解していない言葉を口にする。ぶつける。残虐なことをする。育っていく子が石を投げられ、無視され、仲間はずれにされていく。最初は優しくしてくれていた子も、親が指差すようにすると、同じように指差すようになった。

 そうして子が五歳を迎えた時、決定的なことが起きた。



「お母さんのせいだ」



 子は、泣き腫らした顔でフランにそう言った。体は擦り傷だらけで、ヨモルの葉の傷薬を用意しようとしたところ、言われたのだ。



「お母さんが、虹を持ってないせいだ」



 だれよりも愛おしい子に、そう、言われた。


 子どもとは残酷だ。前後や、周りを考えない。その言葉の影響力を知らずに、聞いた言葉や思った言葉を、そのまま放つ。


 お前のために私は……


 そんな気持ちがなかったかと聞かれれば、嘘だろう。少しはあったと思う。

 だけど、同時に思ったのは、「ごめんね」という言葉だった。


 ──お前に精霊の祝福を与えられずに生んでしまって、ごめんね。


 だから、私が巻き取っただけだ。巻き取って、償っただけ。お母さんのせい、は正しい。私のせいなのだろう、きっと。

 フランは、また五年ぶりに夜な夜な、あの宵燈(ランプ)草の草地に祈りを届けに行った。



 ──どうか、私を透明にしてください。



 透けてしまえば、だれも私を見ない。見られなければ、子もいじめられない。透明であれば、子をやさしく見守ることができる。


 そうして、願いは叶えられた。


 {隠匿}という術を授かり、代償として、フランは盲目となった。隠匿は、素晴らしい魔法であった。精霊を介さない魔法。意のままに、物や人を隠す魔法。

 けれど、フランは光を失った。子を見守ることができない。育つ姿を見れない。



「お母さんは、化け物だ」



 子から最後に言われたのは、その言葉だった。


 フランは、エテルの森を去り、草地を抜け、湿原の沼地へと足を向けた。そこには、沼人が住まう。沼人は、虹を持たない人々の集まり。──成れの果て。


 さまよい歩いているところを、フランは、団長に見つけられ、騎士団に招き入れられた。以来、隠匿の呪了師(じゅりょうし)として、副団長として、滅びた国の(ただ)れた大地で、騎士たちを見守っている。



 ──大地が、脈動している。青い炎で枯れ草が焼けるにおいと、北風が吹く音がする。



 フランは、へラインの肘をつかみながら、まぶたにその光景を描いていた。


「行こうか、フラン。僕たちでなければ、できないことをしよう」


 ヘラインの言葉に、フランは強く肯くと、転移陣を用いて、光となった。


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