246話:ヴィクトルの忠告
「どうかされましたか?」
教会からの帰り道、ひばりが数日前のことを思い出して顔を暗くしていると、侍女のアマリアが声をかけた。アマリアはほんとうに主人をよく見ている。ひばりはありがたくて仕方がない。それでも、内心を吐露することはできなかった。
大丈夫、と返事をしながら、ふと窓から見えた慌ただしい様子を口にする。
「なにかあったの?」
通廊の縦仕切り、四つ葉模様の狭間飾りから見えるのは、外を急ぎ移動する衛兵や官吏、貴族たちの姿だ。なにやら落ち着きがない。そういえば、今日は司祭や修道師たちも、なにか表情がよくなった気がする。
ひばりが外を覗いた先を確認して、アマリアは思い至ったように答える。幾分、表情が陰った。
「……おそらく、枢機卿が亡くなったためです」
「え?」
「詳しくは知りませんが……。それに、王太子殿下の補佐官さまも、突然お亡くなりになったようで……」
「ほんとなの?」
ひばりは驚いて、アマリアを振り返る。
「グスターのことだよね?」
「はい。ヴィクトル殿下を護衛中に殉職されたと……」
「ヴィックは?!」
殉職と聞いて、ひばりはアマリアの腕を掴む。
「殿下はご無事です」
「……よかった」
ほっとする。一方で、グスターのことを考えると、暗澹としたものが漣のように訪れた。不要なことはあまり喋らない補佐官であったが、ひばりにも時折困ったことはないかと声をかけてくれるような人だった。亡くなったと聞いて、気持ちいいはずがない。
「そのような形なので教会も、城内も、落ち着かないのです」
「……そう」
ひばりは、沈鬱に肯く。
そのような状態で、ひばりに求められることはわかっている。八年、伊達に聖女をやってきているわけではない。
「わたしが、しっかりしないとね」
皆の希望になるような姿を見せなければいけない。たとえ、貴婦人たちになにを言われたとしても、ひばりは、聖女であることを求められている。……もはや、それしかないのだ。
けれど、背筋を伸ばした思いは、数日後、瓦解する。
久々に、ヴィクトルが、ひばりの部屋を訪れたのだ。だれが見ても、疲弊し、憔悴しきった顔に、ひばりは一瞬言葉を忘れた。今にも倒れそうなほど、やつれた顔をしている。
「ヴィック、顔色悪いよ。わたし、{治癒}しようか? 怪我じゃなくても、そこまでの疲労なら効くと思うから──」
「いや、いい」
近づくひばりに、ヴィクトルは振り払うように首を振った。これ以上、寄ってくれるなというのがいやでも伝わる。胸が、ずきっと痛んだ。
いつも愛想よく、仮面を貼り付けていた王太子の姿ではない。見たことがない、ヴィクトルのぶっきらぼうな姿であった。取り繕うほどの余力がないのだ。
痛む胸を持て余しながらも、ひばりは心配の色を濃くする。
「でも──」
「──君に、忠告しに来た」
なおも言い募ろうとしたひばりを、ヴィクトルの厳しい紅い視線が射抜いた。
ひばりは、びくっとする。そんな目を向けられたこと、はじめてだった。
「これ以上、母上と、母上の主催する会と、懇意にするな。君の評判に関わる」
昨日も、ひばりは〈貴婦人たちの集い〉に招待されたばかりだった。先日のようにあからさまなことは言われなかったが、王妃トレドや、貴婦人たちに薦められるままに、香や夢結輪などを持ち帰ってきたばかりだった。侍女たちのあいだで流行っているおまじないは、貴婦人たちのあいだでも流行っているのだという。少しだけ興味もあったから、受け取ってしまった気持ちもあった。
「わかってるけど……」
ヴィクトルの言っていることはわかる。評判がよくない理由も察する。
だが、ひばりは、聖王妃からの誘いをどう断ればよいのだろうか。
(近づかないでほしいなら……)
守ってよ。
ひばりは、自分のなかで苛立ちが生じるのがわかった。ちょうど、もらった香を焚いていた。
──忠告するくらいなら、婚約者として、わたしを守って。
かぐわしい香りのなかに自分の気持ちを隠すように俯く。
ヴィクトルは、ひばりの発言に感じ入るものがあったのだろうか。一瞬、ばつの悪そうな顔になって、思案したような間があってから、幾分ためらうように口が開かれる。
「君の言い分もわかる。母上から誘われれば断りづらいだろう」
そうだ。なにせ、一国の王妃だ。ひばりは、もとはただの庶民。王妃から誘われたら、ついていくしかない。
「──だが、君は聖女だ。王妃である母よりも、立場は上になる。断ったところで、なにも心配はいらない」
ヴィクトルのその言葉に、ひばりは俯いていた顔が、ぼうっと持ち上がった。
蝋人形。アマリアにもらって使っていない、その人形を思い出す。
「人の気持ちを変えることができるって言われてるんですよ」
アマリアは、たしかそう言っていなかったか。
ひばりは、その人形のような顔で、ヴィクトルを見つめる。
「だから、距離を置け。近づくな。断ったところで、なにも問題はない」




