243話:聖都の深更(1)
──深夜。
ヴィクトルは、路地裏の影に潜むように自身に{希薄}をかけた。木骨造のあいだに漆喰が塗られた壁には、オルリア聖教の壁画が描かれている。モルベンドの秋月は、下弦を描いており、薄闇の月光に、古き魔導師たちの戦いを絵から浮かび上がらせる。
「──あそこか」
ヴィクトルは、紅い眼光を眇める。目のいいヴィクトルには、五棟離れている先でも、細部まで見える。聖都にある小規模教会。まだだれもいない、そこを睨んでいた。
「はい」
返事をしたのは黒衣の魔術師。目深に長外套を羽織り、口元しか見えない。
ロゼイユ家に古くから使える{隠形}を生業とする魔術師であるという。ベイドル・ロゼイユの手足となっているものだ。男なのか、女なのか、それさえも判別がつかない。
「殿下、ご無理なきようお願いいたします」
一言世話を焼いたのは補佐官のグスターであった。この男は、執務のみならず、ヴィクトルの護衛も担える。優秀な男なのだ。とはいえ、グスターが護衛として働くことは少ない。ヴィクトルの実力が、護衛としての動きを許したことがない。聖剣使いとして他の追随を許さない実力は、建付けとしての護衛を、グスターに担わせているにすぎなかった。一方でヴィクトルは、この男に信頼を置いていた。安心して背中を任せられるというのは、全力で前の敵に集中できる。
グスターに無言で肯くと、ヴィクトルは、注意を前に戻した。瞳に、無詠唱のうちに{強化}を施す。紅い光は、教会横の隙間、下水道につながる鉄蓋を捉える。
晩秋に浮かぶ、〈細蟹〉の遊糸が揺らいだように見えた。{転移}の光を掻き消したと思われる揺らぎは、ひとりの臙脂色の長外套を現出させる。〈荊棘の剣〉──〈気高き魔女の騎士団〉の背負う、呪いの紋章。
背丈からして男。帆布頭巾で、顔は見えない。
間もなくして、鉄蓋から這い上がってきたのは、べつの人間だった。
聖職者──十いる枢機卿のひとりだ。
(アロウラ枢機卿)
原理派の二番手。現総主教一派に属する。
禿頭の枢機卿は、幾人かの修道師たちに手を引っ張られながら、小太りの体をどうにか人孔から出す。あまりにもの待遇に、周囲に悪態をついているようだった。
(なにを……)
なにをしている?
ヴィクトルは、さらに眼光を鋭くして、アロウラ枢機卿と騎士の男の手元に注意をやる。深夜とはいえ、人がいるかもしれない通りで、どのようなやり取りをするというのか。
男たちの手元では、麻袋がやり取りされていた。受け取り方、重みに対する手の下がり方からして、おそらく金貨や、それに類するもの。魔女の騎士から、枢機卿と従者に渡される。
一方で、アウロラ枢機卿は何事かを騎士に告げていた。金銭を受け取る代わりにもたらす情報。それはなにか。
ヴィクトルは、注意を耳に、さらに{強化}を耳にも付加しようとしたところで、騎士と、長外套越しに視線がかち合った。{希薄}が、{看破}される。
瞬時に、ヴィクトルは靴底を蹴る。
(逃げられる!)
騎士が、身を翻すよりも先に、ヴィクトルは現出させた聖剣とともに、飛び込んだ。
きんっ、という高い金属音が、深夜に木霊する。男がヴィクトルの聖剣を受けたのだとわかった。
──両手剣。
(まさか教会の人間か?)
ぶんっ、と振るわれた剣の軌道と構えには、見覚えしかない。聖堂教会の流派に属するものだ。
ヴィクトルは思いながら、騎士の逃走を阻むために、懐に踏み込んだ。ぐんっと体を下げながら、聖剣を触媒とした風を放つ魔術を描く。騎士が防ごうと、両手剣を構える。
風の刃が放たれる。攻撃を受けきれなかった騎士は、後方に吹き飛ぶ。
後ろ足に、ヴィクトルは、腰を抜かしたアウロラ枢機卿を振り返った。
「で、で、で、殿下……!」
「そなた、今なにをしていた」
傲然と、ヴィクトルは見下ろす。
「わたくしは、ちがいます、ちがいます、ただ、金を……っ」
「金がなんだっ!!」
亡者め、とヴィクトルは、内心で罵倒する。
聖職者の皮をかぶり、落ちぶれたと言いながら、自分たちの蓄えと保身ばかりを考え、あまつさえ、教会に属しながら呪術を生業とするものとつながろうとする。
──腐っている。
聖堂教会は、腐りきった果実で、それでもこのオルリアではまだ影響力がある。
ヴィクトルも、聖王家の人間として蔑ろにできない。
(お前たちが……)
吹聴した聖女や、聖剣という代物のせいで、ヴィクトルはどうしようもなく{導線}を走らされている。こんな組織さえなければ、と脳裏に葡萄色の長外套がちらつく。怨嗟が募る。
「殿下っ!!」
ヴィクトルを、補佐官グスターの声がはっとさせた。
鍛えられた直感で、横から薙がれた攻撃を交わす。短く宙で翻りながら、その刃先を見た。
──戦斧。
「だらしねえ」
斧がヴィクトルが立っていた壁に食い込んでいた。ぱらっぱらっと漆喰壁が砂礫と土埃になって落ち、造作もなく重々しい戦斧が引き抜かれる。
臙脂色の長外套。隻眼の男。
「だらしないな、エペストス」




