242話:家族というもの
「どうだろう」
一方のヴィクトルは、特に憂えている感じではなかった。悄然とするひばりを、むしろあやすように語る。
「それが普通だったからね。悲しいと思ったことはないよ。聖王家のみならず、魔導師や魔術師……それが偉大な人物であればあるほど、どこも似たようなものだ」
「それって、虚しくならない?」
「虚しくはない。今の立場を生まれながらに得ているからこその役割というものだ」
「そうかな……。それって、あたしは虚しい」
「……君は、そうだね。そうかもしれない。おだやかで安心した世界から来ただろうから」
頭を、なでられる。ぎゅっと胸が高鳴って、どきどきとした。
男の人の手だ、と思う。
誤魔化すように、ひばりは頬を膨らませる。
「今、絶対にあたしをばかにしてるでしょ?」
「ばかになんかしてないさ」
「平和ボケしてるって言いたいのはわかってるんだから」
「そこまでは思わないけれど……まあ、こちらにいる人間とはそもそもの根本がちがうと思っている。少しだけうらやましいという気持ちがないかと聞かれると、それは嘘になるね」
「うらやましい?」
「ああ、うらやましい」
ヴィクトルは、手を止めて、どこか遠くを見つめる。
「こういう生まれでなければ、私も家族というものを持ち得たのだろうかと思う」
ひばりは、その遠い視線の先を見た。そこに、シェイラの影があるのを悟る。
「私も、ふつうの家族というもののなかに、生まれ落ちてみたかった」
ヴィクトルは、それ以上を、ひばりに踏み込ませなかった。いつもの距離。いつもの線。繕われている関係性が露呈する瞬間。
けれど、その横顔は、ひばりしか知らなかった。
(もう変わっちゃったけど……)
ひばりは、心のなかで嘆息する。
また、ヴィクトルとのことを思い出してしまった。王妃のことを考えていたはずなのに。
(ほんとうは、あまり行きたくない)
トレド妃から誘われた〈貴婦人の集い〉には、真意を言えば、参加したくなかった。そこに行けば、ひばりが求めていることが叶うのではないかと一縷の望みに賭けているだけで、関わりたくはない。
「──お顔色が悪いようですが、お加減は問題ございませんか?」
にわかに声をかけてきたのは、斜め後ろを歩いていた護衛官の男だった。
ユベック。オルリアに多い金髪を、護衛官らしく刈り込んでいる。この一年くらい前からひばりの護衛を担っていて、緑の目がきりっとした男だった。アマリアと同じく、もとは聖堂教会の修道師だという。
「ありがとう。大丈夫。ちょっと午前中の疲れが残ってて」
「……ご無理なさりませぬよう。御身はお一方のみです」
ユベックは、横に来て告げる。
「私も同席しますゆえ、気分が悪くなりましたら、すぐにおっしゃってくださいませ」
「……ありがとう」
緑の、強い視線を受け取ると、ひばりは、そっと頬を赤らめて前を向く。
なんとなく、気まずい。
(落ち着かないと……)
ひばりは、つい数週間前に、この男から告白まがいのものを受けていた。
「御身を、心配しております」
その時、ひばりの居室にはたまたまこのユベックしかいなかった。いつも滞在しているアマリアは茶器を下げに数分席を外していて、本来もうひとりいるはずの侍女は、その日体調を崩して代わりのものがいなかった。
ひばりと、ユベックのみであった。
「ありがとう、わたしは大丈夫」
ひばりは、心配されて、たしかそう返した。聖女としての務め。重責。ヴィクトルとの関係性。さまざまなものがのしかかっていたから、もしかしたら表情に出ていたかもしれない。曖昧にそう返した。けれど、次の瞬間には、思ったよりも近くにいたユベックに虚を突かれた。
「ほんとうでございますか」
「ユベック……」
一歩、下がる。後ろ手に、テーブルの縁をさわった。
「ヒバリさまの、ありがとうは、距離を置くための言葉ではございませんか?」
内心、ひばりは目を見開いた。
どうして、そんなことがわかるのだろう。
ありがとう。
そう言えば、皆悪い気はしない。でも、それ以上を踏み込ませない。
それが、ありがとう、という便利な言葉であった。ひばりが、この数年で身につけた処世術としての台詞。
「私は、心配しております」
ユベックは、ひばりの前で膝をついた。
物語の騎士と姫君。そんな構図のようであった。
「異界よりいらっしゃって、もうだいぶ経つとはいえ……、それでも、あなたさまは孤独を抱えていらっしゃるのではございませんか」
「…………」
「我らの問題であるはずなのに、大任を負わされて……あなたさまの気持ちを思うと、私は心が痛い」
その言葉は、ひばりの失くしたなにかに嵌まるように聞こえた。
「私は元は修道師でございますが、人身御供のようになっている姿を見ていると、あなたさまを喚んだ魔術を作り上げた魔導師オルリアが憎く思います」
「……ユベック」
「あなたさまは、ただ、普通の生活を送っていただけなはずですのに……」
ユベックの言葉が入り込んでくる。ひばりを見上げる緑の目とかち合った。
「その御心を、私が慰めて差し上げたいと思うのは、おこがましいことでしょうか」
「なに、言ってるの……?」
「わかりませぬか」
無言に、交わされるものがあった。見上げる緑の瞳、その瞳を受ける、ひばりの栗色の視線。
緊張を、孕んだものだった。
「ただいま、戻りました」
明るく戻ってきたアマリアの声が、その緊張を破った。
ひばりは、はっとして顔を上げ、ユベックは何事もなかったかのように元の護衛としての位置に戻る。赤実ヒイラギの模様が際立つ壁紙に沿うように立っていた。
結局、それからユベックとふたりになる機会はない。そもそも、あの一瞬が、本来であれば起こり得ない時間であった。
聖女であるひばりが、異性とふたりきりになるなんていう時間は、婚約者であるヴィクトルとしか起き得ないものだった。
内心でかぶりを振りながら、ひばりは、王妃トレドの応接室へと向かう。
(あれはただの事故)
背筋を伸ばす。
王妃をはじめとした貴婦人たちが待つ場で、今日もひばりは惑わされないようにしつづけなければならない。




