238話:父としての情
ヴィクトルは、深い驚きを覚えて、ロゼイユ公を見る。
紫紺の目はやはりなにか感情をたたえているように見えなかった。
「……私は、しばらく、普段よりもいっそう無機質に見えたことでしょう」
「…………」
「それから次第に、いつもの自分の感覚を取り戻しました。日々が過ぎていき、ふとした時に不思議と彼女のことを思い出す、そんなことの繰り返しでした」
「……ああ」
ヴィクトルは肯く。覚えのある感覚だった。
「気づけば数年が立ち、ある時、彼女はどうしているだろうと、しきりに気になった時がありました」
「……それで、見つけたのか」
「今思えば、直感のようなものでした。星詠みを訪ね、エリオーネの居所と未来を訊いたのです。──そして、彼女に待つ不幸と、娘の存在を知りました」
ベイドル・ロゼイユは、語る。
アールヴ大山脈の山路で見つけたエリオーネの骸は、すでに食い荒らされたあとで、もはやなにも残ってなかった。周囲にはひとりのものだけではない、血や骨が飛び散り、転倒する幌車のみが残されていた。
愕然としたという。
エリオーネから教えられた、寂しいというものを通り越え、ベイドルはその場で佇んだ。だが、雪道から山の側面──小さな洞穴のようなほうに引きずられるような跡があった。その跡の先、岩屋のなかを覗くと、凍え震える小さな姿を見つけた。
「……シェイラータは、驚くほど、エリオーネにそっくりでした。特に、瑠璃の目が彼女そのもので、私はその場で引き取ることを決めました」
けれど、ベイドルはおよそ感情を持たない男だった。だから、引き取った娘の存在をどう扱えばよいのかわからなかった。シェイラのほうも、表情の少ない子で、この子は自分の血を継いでしまったのだろうと思った。差し当たって、ロゼイユ家の誇る教育を受けさせるに留まった。
それでも、ベイドルのなかにあった寂しいという感情は、満たされた。シェイラはたしかに表情の少ない子だったが、ベイドルと異なって、ふとした瞬間に笑みを見せることがあって、その横顔を見ると、エリオーネのほほ笑みを思い出した。愛おしいという感情を、娘を通して知ることになった。
「殿下と……婚約してしばらく経ってからが、より顕著だったように思います」
「…………」
「娘は、殿下を心から慕っていたと思います。ですが……」
シェイラは〈導脈欠損症〉と診断され、ヴィクトルは聖剣使いに選ばれた。
そこから、すべての歯車がおかしくなっていった。ベイドル・ロゼイユもまた、大貴族としてその運命に巻き込まれることになった。
──聖女ヒバリの召喚。
これによって、水面下で政争が起きたのだ。
オルリア聖王家と聖教会は、ともに独立した存在で、表面上は互いの立場を尊重する。けれど、その実は、幾百年とつづく政治的な絡み合いによって、国営に影響を及ぼす派閥同士のつながりがあった。
原理派と王統派、そして貴族派。三つ巴まではいかない。貴族派の力は弱い。
けれど、聖女こそが王国の要であると主張する原理派と、魔導師オルリアの血統を継ぐ王族こそが国の礎であると謳う王統派には、根本の考えにちがいがあり、政治においても教会内部においても、対立の諸要素となった。
とはいえ、聖女は六百年、現れていない。そのあいだに、王統派のほうが力を持ち、教会においても総主教の選挙では、王統派が鍵を持ち、大きな混乱につながっていなかった。
だが、ヒバリの存在によって、原理派は脚光を浴びる。あからさまに、聖魔術の{治癒}と{解毒}を披露し、民衆の支持を得る。信じられない速度で原理派は力をつけ、そして数年前の総主教選挙では、圧勝をしたのだ。
聖王家と教会、政治と宗教、この対立は避けられない。
聖剣使いの選定や聖女の召喚は、〈霧の厄禍〉の前ぶれ。国内の混乱は防がなければならない。そうして選択できることは、ひとつしかない。これまで、そうしてきたように。
──聖剣使いと、聖女の婚約。
それが唯一の解決方法だった。
そして、推し進めることができるものも限られる。どの派閥にも属さず、中立を保ち、第三者として意見を挟める家柄。オルリア貴族序列第一位の大貴族──ロゼイユ家こそが、この婚姻を取り持つのがふさわしい。
そういう流れに、ベイドル・ロゼイユは否が応でも、立たされることになった。
ベイドルは理知的な男。冷静で頭が切れる。感情には乱されない。己が娘がたとえ、もとより聖剣使いの婚約者であったとしても、切り捨てるのがベイドル・ロゼイユという男のはずだった。
──だが、シェイラは?
(シェイラータは、どうなるというのだ)
娘は、ヴィクトル王太子を慕っている。想いを寄せている。王太子の横に並び立つために、旅芸人上がりの娘が、たゆまぬ努力を静かに積み上げてきたことを、だれよりもベイドルが知っていた。
よくやった。その一言をかけてやればよかったものの、言わなくてもベイドルは、シェイラの努力はゆるがぬものであるとわかっていた。
たとえ、魔法が使えなかったとしても、大貴族の血を引く彼女の立場は確実なものだ。
──聖女が現れぬかぎりは。
(シェイラータ……)
夜に、涙をこぼすこともできずに、一心に魔導書などを読みふけり、なにかを魔法紙に綴る姿に、ベイドルは憐れさを隠せなかった。
判断を悩む。自分がするべき行動。
シェイラの気持ちを考え、それでも王統派と原理派を取り持つのであれば、婚約を破棄したうえで、聖女との婚約を取り決め、娘を愛妾の座に据えるのが一番であった。
だが、果たしてそれは本人が望むことなのか。王太子ヴィクトルも望むことなのか。召喚された聖女の立場は……
悩んでいるうちに、槌は落とされた。
シェイラ自身が罪を犯し、この舞台からの幕引きを選んだのだ。
(なぜ……)
血に沈む、娘を見る。
(お前は、ほんとうにそうしたかったのか?)
薬水瓶によって眠りに落ち、聖堂教会の牢獄に囚われた横顔を見やる。
「不甲斐ない……父親だ」
感情を持たぬベイドルは、シェイラのためにできることはもうない。教会裁判では破門が決まった。ロゼイユ家当主であるベイドルには、娘を放逐するより取れる術がない。
国内で、ベイドルの手で守ってやることは、もうできない。
──そして、当時、研究のためにオルリアを訪れていた老師を尋ねた。




