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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【6/6完結予定】  作者: 稿 累華
第12章:線上の聖剣使い

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234話:懐かしい輪郭

 懐かしい光景を見た。


 ヴィクトルが平時の授業を終えると、応接間で彼女が魔導書をめくっている。ゆるやかに波立つ薄色の髪が落ちてくると、耳にかける。そうすると、横顔がよく見えた。きれいな輪郭が、少女の頃でも、美しかった。



「──ラータ」



 ヴィクトルが名を呼ぶと、彼女は──シェイラは、ぱっと顔をあげて、それからゆっくりと花が開くように笑むのだ。


「おかえりなさい、トール」


 当たり前の、日常だった。


「なにを読んでいたの?」

「呪文学の系譜を」

「呪文学?」

「古い呪文です。共通文字で統一される前に扱われていたもので、先生から学んだほうがいいと教わったんです」


 先生、という言葉にヴィクトルは苦みを覚える。


「リマス師?」

「はい」

 シェイラは言いながら、魔導書を閉じる。


「彼の話は……あまり鵜呑みにしすぎないほうがいいのではないかな……?」

 置かれた本の背表紙を眺めながら、ヴィクトルは言った。


 準師リマスは、オルリアの大学府に所属しながら、聖堂教会と協力をして、研究を行っている。


 ──呪法や、呪術の研究だ。


 魔導師に叙されるほどの卓越した知識と技量。それを持ち得るのが、呪法を研究するリマスという男であった。


 古文書などを解読しながら、古い廃れた呪術の知識を編纂しまとめ上げる。教会側は、呪術の撲滅を謳っていたから、リマス師の研究とは相性がいい。学術的な立場と、宗教的な立場の合致で協力関係にあった。

 聖魔術を確立した魔導師オルリアと聖女、どちらも祖先に持つ聖王家としても、あらゆる呪いや呪術は払う対象であったから、意向に差異はない。リマス師と聖堂教会の研究は、特に問題のないことだった。


 だが、ヴィクトル自身は、リマスという男がどうにも好きになれなかった。


 学びと称して、シェイラの時間を独占している男が、気に食わなかったのもあったかもしれない。けれどもっと、生理的な嫌悪のようなもので、ヴィクトルはリマスが好きになれなかった。


 リマスは、愛想よく笑みを浮かべ、人の話をよく聴く。


 評判はよかったけれど、その笑みはどこかうすら寒く見えるのだ。温突(おんとつ)と筒の張り巡らされた室内に、厳寒の風がすうっと入ってくる。そういう寒さが、リマスという男にはあった。二重窓を張り巡らしていなければ、隙間を突かれてしまうような卑しさを、ヴィクトルはその男に感じていた。


「……先生は、いい方ですよ」


 けれど、ヴィクトルの言葉に、シェイラは不思議そうにしていた。


「わたしの悩みも聞いてくれますし……」

「悩み? 私がいるのに?」


 ヴィクトルは茶化すようにシェイラの隣に腰かけた。

 シェイラが慕う師のことを言い過ぎるのはよくないと思って、話題を変えるのを選んだ。


「もちろん、トールはいますが……」

「婚約者の私には話せないこと?」

「ちがいます。その……あなたのことは、きちんと信じてます……ただ、先生だからこそ相談できることも……」


「妬けてしまうなあ」


 少し、本心があった。


「トール……」


 ヴィクトルが、背中を見せるようにすると、シェイラは慌てたように、ヴィクトルの背に手を置く。頭がもたれかかってきた。


「……わたしの気持ちは、知っていますでしょう?」

「知っているけれど、つい試してしまいたくなるものなんだよ」


 ヴィクトルがゆっくりと振り返ると、シェイラはむっとした顔をした。


「そういうの、よくないですよ?」

「なにがよくないの?」

「試す行動です」

「だって、ラータの反応はいつもかわいいからね」

「か……っ」


 シェイラは、ヴィクトルの言葉に顔を真っ赤にする。腹から笑いが込み上げて吹き出す。


「トール!」


「君はいつもいい反応をしてくれる」

「もう、そうやって試すのはやめてください」

「かわいい君が悪い」

「……っ、もう」


 シェイラは、ぷいっと向こうを向いて、首筋から耳まで赤くする。色白の彼女は、恥ずかしくなると、そうやって全身を赤くして、あとから出てきた汗を乾かすように服に風を入れるのだ。自分の感情に伴う身体反応を制御しきれていないところも、ヴィクトルの好きな姿だった。


「試すような男はよくないんですからね」


 シェイラは案の定、ぱたぱたと胸元に風を送りながら言う。


「よくないって?」

「母さんが言ってたんです」


 その言葉に、ヴィクトルはぴたっと手を止める。シェイラの話を聴くようにする。


「女を試すような言動をするような男には、ろくな男がいないって」


「なんだいそれは」


 とぼけながらも、シェイラから出てくる母の話は貴重だった。

 むごい記憶が伴っている。そんな記憶と結びつく母の話をしてくれるのは、シェイラがヴィクトルを信頼してくれている証だった。


「男を見定める時に覚えておきなさいと言われました」

「何歳で聞いたの?」

「たぶん、五歳くらいです」

「五歳で、そんな話をする?」

「ユベーヌに根ざす旅芸人は、いつとも知れず、出会いがあるから、身を守るために知っておけと言われたんです」

「なるほど?」

「ちょうど、滞在していたどこかの街で、わたしに絡んでくる男の子が何人もいたから、教えてくれたんだと思います」


「へえ」


 ヴィクトルは、シェイラとの距離を詰めた。声を低め、頬に、手を添える。


「それは、さっきよりも妬ける話だね?」

「とっ……」


 シェイラの顔がまた、真っ赤になる。そのまま、抗議の声が放たれた。


「そ、そういうところですよ、そういうところ!」

「べつに試していないよ?」

「だから──」


「本気だけど?」


 ヴィクトルが唇を寄せようとすると、近くにあった座褥(クッション)を投げられた。


「わたしで遊ばないでください!」


「遊んでいないのだけどなあ」


 飛んできたものを受け止めながら、ヴィクトルは悠然と応じる。驚くほどの不敬罪だったが、見咎めるものはもちろんいない。


「男は、女から誘って、やっと寄ってくるくらいがちょうどいいって言ってたんですから!」

「へえ。じゃあ、ラータから誘ってくれるのかな?」


「トール!」


 赤くなって喚くシェイラに、ヴィクトルはまた声を上げて笑う。


 楽しい、なごやかな一時であった。

 毎日の降り積もるような信頼と愛情が、ふたりのあいだにはあった。



(ラータ……)



 覚醒が、近い。


 場面が変わる。三年半前のガルバディア王都。

 そこで、雨に濡れて血だらけになった彼女の姿があった。ユベーヌ文字を体中に刻んだ彼女が。

 自分が仕出かしたこと。知ろうとしなかったこと。誤魔化してきたこと。その結果、供物となってしまったのが、だれよりも大事な彼女だった。



「──あなたのためよ、聖剣使いの坊や」



 老師の声が、聞こえる。



「あなたのために、シェイラは魔法を使えるようになりたかった。聖剣使いとなって危ない戦場に立つ……いえ、聖剣使いになるその前から、シェイラはあなたの隣に立って一緒に戦うために、ずっと魔法を使えるようになりたかった。もし死ぬのであれば、あなたの隣で一緒に死にたかった。そのために、シェイラは呪術にまで手を伸ばして、魔法を求めた。そして、実現した」



 彼女の愛情を疑ったことはなかった。ひたむきで真っ直ぐで、だからこそ危うかったものを、ヴィクトルは自分の気持ちで誤魔化してきた。



 ──君のままでいい。

 ──魔法が使えなくても、隣にいてくれればいい。



「その言葉は……、ぼくを認めているようで、ぼくの、魔法が使えるようになりたいという気持ちを、まったく無視した否定でした」



 イディオン王子から聞いた台詞が、よぎっていく。


(私は……)


 私を、だれよりも想ってくれる君を、否定しつづけていたのか。


(ラータ……)


 彼女に、謝りたかった。謝って、それから……



 ──必ず、助ける。



 老師に誓った。問われたことに、答えた。

 削られたものを、取り戻す。そのためなら、たとえ、なんだって……



「ヴィック……!」



 ふいに、ヒバリの顔が浮かんだ。


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