229話:救出劇
「──大丈夫だ。絶対に間に合う。見つけられる」
シェイラは、イディオンの強い瞳を受けて、恐慌しかけた己の感情との距離を思い出した。後ろに下がる。俯瞰する。冷静さが、戻ってくる。
(そうです。大丈夫です)
まだ、十五分しか経ってない。だったら、絶対にリヨンは見つけられる。
シェイラの思考が戻ってくる。思い浮かべてほしいとイディオンに言われた魔法がどんなものであればよいか、思考を回転させる。
隠蔽をする魔術、あるいは呪術。
高度なものだ。とても、高度。
(これはきっと……)
三年。いや、もう四年近く前になる。
シェイラがガルバディア大学府の黒檀と査問院から命じられた調査でも、おそらくこの隠蔽するなにかが使われていた。結局突き止められなかったのは、この高度な隠蔽による影響が大きい。王都ガルバーンの{霧喚び}の隠蔽にも、おそらく使われたものだ。
〈気高き魔女の騎士団〉に、魔導師の目をかいくぐるほどの、隠蔽の技量を持つものがいる。
(その術を破る魔法)
なにがいいのか。
どんな魔法であれば、突き破れるのか。
イディオンが表象してほしいと言ったのであれば、イディオンが思い浮かべられるなにかであれば、この術を破ることができるということだ。
(考えるのです)
リヨンを助けるため、見つけるために。
考えながら、シェイラとイディオンは、ターニャ師を伴って、廃教会のあるという場所を目指す。術を破った瞬間に入ることができるように。
(すべての術を無効化する魔法)
はじめシェイラは、そんなものを思い浮かんだ。だが、内心で首を振る。モルリオールで、完璧というのは難しい、という話があった。完璧を求めるのであれば、それに値する〈ゆえある裂け目〉の設定も必要なのだ。
よいものが思い浮かばない。
(この術は、完璧に近いものです)
シェイラはそれに気づく。四年前もそうだが完璧に近い術だ。おそらく、あらゆる{探索}に類する魔法を無効化する。
(だったら……)
この魔法にも抜け目があるはず。完璧というのは、それだけ諸刃なのだ。
(あるいは……)
大きな代償を払って行使しているか。
──かつてのシェイラのように。
「……イディさん」
辿り着いた場所で、口を開く。
シェイラたちの目には、ただの草地と、奥のぼんやりとする防霧林しか見えなかった。ターニャ師には今目の前に教会堂の扉があるのだという。
イディオンが、シェイラを見据える。
「代償を払った魔術を無効化する魔法を、この領域に展開してください」
「シェイラ」
それだと、シェイラが魔法を使えない。
イディオンはそう言いたいのだろう。
シェイラは、イディオンを見上げる。信頼を言葉にのせた。
「イディさんにリヨンさんを任せます。それができたら、魔法を解いてください。そうしたら、すぐ使えますから」
「……わかった」
「──頼みました」
シェイラは、後ろ足に下がる。ターニャ師の腕を引く。
「私はなにをすれば……?」
「危険なので、ターニャ師はここで待っていてください。道案内を、ありがとうございました」
シェイラたちが下がった先で、イディオンは瞑目していた。体中の青銀の〈導脈〉が活性化しているのがわかる。シェイラに言われた魔法を、思い浮かべているのだろう。〈表象魔導〉とはそういう魔法だ。
「──{顕現}」
直後、視界に入る周囲一体で、硝子という硝子が割れる音がした。見えない障壁が、透明な破片となって砕け落ちていく。イディオンがすぐに姿を消す。
シェイラは、目の前に現れた扉に走り込んだ。
不可視の──イディオンの魔法で制限される感覚を得る。
扉を抜けた先が、聖堂教会の十角空間。その祭壇のうえに縛り付けられたリヨンの姿を認める。同時に、リヨンのうえに乗っていた子どもが、イディオンに蹴り飛ばされるのを。
「リヨンさんっ!」
「シェイラ!」
シェイラが叫ぶのと、イディオンが{顕現}したものを解いたのは同時だった。
シェイラはすぐに〈命脈〉の魔力を迸らせて、突き飛ばされた子どもとはべつの──見覚えのある庶務員に魔法で編んだ紐を投げつける。
短剣が、紐を弾いた。
イダが、シェイラを見る。
「{隠匿}を破るとは」
「なにをしたのですか……!」
イダは短剣とはべつの手で、なにかを、持っている。
「べつに。もともと狙っていたものをいただいただけです」
「まさか{感応}を……?」
「……なぜ、それを知っているのです」
イダの声が冷めた。シェイラを訝るように見やる。
「──俺が教えたからだ」
シェイラは、その瞬間、横耳に男の気配を覚えた。
炎をまとった礫が飛んできて、シェイラは{防護}を発動させる。
「……マーロ」
イダが、現れたマーロ・スパンを睨むようにした。
「そんな顔で見るな。任務は果たしたんだろう。文句は言うまい?」
「わたしが動きにくくなったのはお前のせいか」
「優秀なイダ・ロータには、少しくらい負荷があったほうが、面白いだろう?」
「魔導師どもに情報を流して、なにになる。わたしは無駄になることがきらいだ」
「さてな。暇つぶしだ。どうせ、黎明の世は一年後。楽しみがあってもよかろう?」
「……ふざけた真似を」
イダのつぶやきを聞きながら、シェイラは足元に魔法陣を展開した。腹の底から生じた怒りが、円陣の縁をなぞるように業火となって、風を巻き起こす。イダとマーロと頭上に向かって、獅子が咆哮をあげたかのような炎柱が立った。
──だが。
「さすが魔導師。だが、単純すぎる攻撃だ。俺には、効かん」
大地の強靭な盾。
それが、咆哮を防ぐ。
「これでは、どうですか」
シェイラは言ったそばから、水飛沫を放った。辿り着くそばから、跳ねた魚影が、氷となる。
マーロの戦斧がそれら魚影を振り払うが、振り払った飛沫は、氷となって体全体に飛び散っていく。
シェイラは、視界の隅に、マーロの後ろで藁人形を準備するイダの姿を捉えた。
まずい。
(あれは致死性が……)
「──シェイラ師っ!」
どーんっ、という轟音で、床下から突き抜けたのは、大地に張る太い根だった。蛇の頭を模した巨大な音が、マーロとイダの姿を宙に放る。
追ってきた、ターニャ師が棒杖で魔法を放ったのだとわかった。魔術師として技量を上げたことに驚きとうれしさを覚えつつも、シェイラは認識して寸暇のうちに、イダの手のなかにある藁人形を燃やし尽くす。
「……っ」
イダが顔を歪ませる。
「退避するぞ」
マーロの声が聞こえる。
シェイラは距離を詰めた。
(だめ!)
シェイラは、イダの服を掴む。手につかむものを。リヨンの大事な魔法を。
(返して……!)
それは、リヨンが自分の苦境と戦った証なのだ。
{転移}させるものか。絶対に、逃がさない。
「──ああ、もう、ほんとに邪魔だなあ」
シェイラは束の間、脇の気配が疎かになった。
そこに、少女の声。リヨンに跨っていた少女。
(この子は……)
──〈導脈〉が、薄い。
「メリル」
シェイラは捉える。男が少女を呼ばう。鉈だ。それが、脇腹に吸い寄せられる。
腹に突き入れられる前に、しゅるしゅると伸びてきたのは蔦だ。おそらくターニャ師の大地の魔術。植物の力。それがシェイラの胴体に巻き付いて、後方に体を引っ張られる。
(だめ……っ!)
シェイラの体が後ろに流れ、同時にマーロの{転移}で三人の姿が消える。
「魔法が……!」
リヨンの魔法が。
シェイラは手を伸ばしながらも、諦めるしかなかった。
「──大丈夫か! しっかりしろ」
イディオンは、リヨンを助け出してすぐに、近くの草地に{転移}して彼女の体を寝かす。
(出血がひどい。脾ノ臓が近い)
体全体を確認する。帯びる魔力も弱々しい。まるで、〈導脈〉を抜き取られたみたいだ。今は、毛細のような細い脈しか感じられない。これでは致命傷を補えない。
イディオンはすぐさま思い描く。
──{治癒}。聖魔術。
その魔法は、本来、聖女しか使えないはずの魔法だ。聖魔術は、他の元素魔術と比べて多様性がない。四種類。そのうち、あらゆる傷を癒やす{治癒}、あらゆる毒を消し去る{解毒}は、異界から召喚された聖女しか使えないのだ。
(大丈夫だ)
問題ない、とイディオンは唱える。散々、修行中に自分に使ってきた。
──イディオンは一度、聖女ヒバリから{治癒}を受けたことがある。目にしたことがある。
だから、問題ない。きちんと、表象できる。
まもなくして、リヨンの傷は塞がっていく。顔色も戻っていく。
イディオンは、ほっと息をつく。
「リヨン!」
イディオンのもとへ、駆け上がってくるレーネとセアスの姿があった。学寮へ戻れと言ったが、心配で来たのだろう。よろめきながら、シェイラがターニャ師に連れられて姿を現す。
「リヨンさん……っ」
シェイラは、横たわるリヨン・ペリメルの姿に縋りつくように顔を寄せる。
「……大丈夫だよ、シェイラ」
イディオンは声をかける。
「彼女は無事だ」
レーネが、意識のないリヨンに泣きつく。
そこに伏せるシェイラが肩を震わしていた。小さな声が届く。
「……ごめんなさい」
「シェイラ?」
「──あなたの魔法を守れなくて、ごめんなさい」
その謝罪はまるで懺悔をしているようで、イディオンは、シェイラの背中を目に焼きつけるようにした。




