228話:{感応}
リヨンは、ロータ庶務員のあとを追いながら、とぼとぼと歩いていた。夕闇に沈んだ煉瓦道にはふたり分の足音だけが響く。
「あんなところで、母が待っているんですか?」
「はい。どうやらご自宅を抜け出して来られたらしく、こっそりお会いしたいと話がありまして」
庶務員として、ロータは歴史建築であるルーマンの聖堂教会も点検している。その時に、家を抜けてきた母を見つけたのだという。
(お母さまなら、ありえてしまう)
リヨンは、溜息をつく。
宮廷魔術師の地位と娘にしがみついて離れられない母なら、自宅謹慎を命じられたとしても、抜け出てリヨンに会いに来るのは、容易に想像がついた。大きな溜息がまた漏れる。
「──ここです」
煉瓦道から舗装されてない野ざらしの道になり、辿り着いた先が屋根を失った廃教会だった。地平線に沈んだ夕陽から漏れた残照が、オルリア聖教の影響力が陰ったさまを、わずかに照らす。頭上を見上げれば、月はない。
(今日は新月)
闇の魔術が定義する闇より濃い、原初の常闇が忍ぶ日。
「お母さまは、どこに……?」
十角の教会堂。わずかな身廊を進んだ先には祭壇。リヨンはロータより先に進んで、きょろきょろとする。
ふと、足に引っかかりを覚えた。
この感覚は覚えがある。学園にいた頃、オーズ師の足を引っかけようとしてみんなでたくらんだ糸だ。足首辺りに引っかかるようになっていて、ふれると{導線}が発動するのだ。それに引っかかった時の感覚を、リヨンは思い出す。
途端に四肢を、なにか強い力で引っ張られて、体の自由が奪われた。リヨンの体は宙吊りになる。悲鳴が自分の口から上がる。吊るされて、すごい力で、摩耗した祭壇へと持ち上げられる。リヨンの体は、四肢を伸ばされて磔になったように祭壇に拘束される。
「──さすが、イダだよね」
ころころと口のなかで鈴を転がすようなかわいい声がした。
リヨンは動く顔を横にして、声の主を認める。祭壇を越えた先、宵闇の影から這い出るように、小さな姿が現れる。まだ学園の初等部に在学していそうな少女だった。人形のような少女。
「相手を油断させて、懐に入るのが上手いって言うかさあ。時間をかけて必ず獲物を追いつめるって言うかさあ。ほんとうにいやな性格してるよね。〈蚯蚓〉みたい」
「…………」
「狙っている相手とはよく喋るのに、そのくせ、同僚のあたしたちとは全然喋らないでしょう? 馴れ合いはしませんって顔に書いてあっていやな感じ」
「……褒められていると受け取りました」
少女に答えた──イダ・ロータは、リヨンが聞いたことのない平坦な声音をしていた。まるでこれまで親しげに接していた姿は演技だったと言わんばかりの平坦さ。
ぞっとする。
自分には、なにか今、よくないことが起ころうとしている。狙われている、という事実を思い出す。
《だれか……! だれか、助けて……!》
リヨンは、{感応}を使った。だれでもいい。自分の声が届く最大限の力を、〈導脈〉を賦活させて届ける。
「あー、これがこの子の魔法ね。すごい。あたしたちにも聞こえてくる」
「……哀れな魔法ですよ」
「そうだね。でも、残念。今ここは、{隠匿}が使われてるの。あらゆるものを隠す呪了の魔術。魔法の力が強ければ強いほど、増す呪術。あたしたちのかわいそうな副団長の、代償を払った魔法だよ。すごいでしょう?」
リヨンより幼い少女は、まもなくリヨンの前に現れた。無邪気に笑いかけられる。
「だから、あなたを助けに来るものはいない。あなたを守ろうとしてる魔導師たちも来れない。残念だったねえ。だから、じっとしててね?」
少女は、リヨンより幼いはずなのに、どこか達観した大人のような目で、縛り付けられたリヨンを見下ろしていた。
リヨンは危険を感じて、{感応}で{守護}を唱える。
《**──我、闇を操りし者**》
リヨンは、念じる。
《**我、其を言霊で縛りし者。**
** ペリメルの血に連なる者。**
** 其を──**》
瞬間、もたらされた者で、リヨンは念じていた{守護}を中断せざるを得なかった。
痛み。激しい。
激痛から、悲鳴があがる。
その声も当てられた布で封じられた。
なおも痛みがつづく。腹部。鳩尾。そこに、短剣がめり込むように刺さっている。拘束された四肢がばたつく。悲鳴が、{感応}で広がる。痛みで涙があふれる。
「お静かに」
耳元で囁かれたのは、イダ・ロータの声だった。
リヨンの腹部に短剣を刺しながら、うっとりした声で、空いた片手でリヨンの顔をなでる。
「今、救って差し上げますからね」
つづけて囁かれたのは、何事かわからない呪詛であった。その呪詛とともに撒かれるのは、薔薇の花びら。シュラム薔薇。それが、まるで祝福するように撒かれ落ちていく。同時に、短剣に吸い上げられていく力があった。
暗緑の砂。リヨンの〈導脈〉の魔力。{感応}の魔術。
それが、短剣に収束するように集まっていく。
リヨンは悲鳴を上げる。腹部の痛みよりも、魔力を持っていかれる苦しみが体中に圧をかけるように苛む。涙が止まらない。叫び出せない悲鳴が。
(助け、て……っ!)
{感応}が働かない。
(た、すけ……)
絶望の時間だった。短剣が抜かれると同時に、血があふれる。あたたかな血がこぼれるのと一緒に、リヨンの魔法も失われていく。
(お母さま……)
浮かんだのは、やさしい時の母エヨンの顔だった。
リヨン、とほほ笑む母の顔。{守護}を自負する、母の顔。
まさしく走馬灯が、リヨンの頭を駆け抜けていく。
──大好きだったからこそ、リヨンは母にいつも申し訳なかった。
学園時代、喋れなかったリヨン。そのせいで、リヨンの父母は仲が悪くなった。間もなくして、父は出て行った。
(お父さまがいなくなってしまったのは、リヨンのせい)
リヨンは、だから、時折夜に酒を飲みながら泣く母に、申しわけなくて仕方がなかった。
(ごめんなさい、お母さま)
──リヨンが喋れなくて。
(ごめんなさい、お母さま)
──お父さまを、お母さまから取ってしまって。
(なのに……)
いつも母は、そういうリヨンを責めながらも、必ずやさしい言葉を最後にかけてくれたのだ。
あれは、リヨンの魔法が、ヴェッセンダスの{登録}を受けた時だった。その証憑となる、金字の最高級仔羊皮紙をもらった時、母は言ったのだ。
「……リヨン、がんばったわね」
母は、リヨンを抱きしめて、ぎゅっとした。
「お母さまはいつもあなたに当たってばかりで……、なにもしてあげられなかったのに……自分で乗り越えて……、ほんとうにすごい娘ね。誇りに思うわ」
ちがうよ、お母さま。
リヨンは、その時{感応}を上手く使いこなせなかった。魔法で伝えるのはちがうと思った。
お母さまは厳しかったし、こわかったけれど、いつもやさしかったよ。一緒にいてくれたよ。リヨンはうれしいよ。
──ありがとう、お母さま。
お母さまだって、悲しいはずなのに、つらかったはずなのに、いつもいてくれて、ありがとう。
「──あと、やっちゃっていい?」
リヨンの上から退いたイダに、少女の声が尋ねる。
「……お好きにどうぞ。もう{感応}は取れましたので」
視界の隅で、イダの手の平にファル石があった。琅玕の石。──リヨンの{感応}。失われてしまった魔法。
「ほんとお? じゃあ、楽しませてもらうね」
リヨンのうえに、少女が跨った。鉈を持った手で酷薄な笑みを浮かべる。リヨンはどこかで他人事で受け取る。リヨンはただ、自分の死が近いことを知る。
(最後に……)
母に、ありがとうだけ、伝えたかった。




