224話:イダ
イダは、慎重だ。〈気高き魔女の騎士団〉の幹部たちのなかで、一番の慎重派だと自負する。
慎重さには、不安からくるものと、明晰さからくるものがあると思う。イダは、後者。頭がよいというわけではない。知り得たものを見据えると見えてくる綻びがある。その綻びは、徒につながる。
無駄なことはしたくない。
それが、イダの心情だった。だから、慎重になる。
ルーマンの学院に、魔導師が訪れていると聞いて、イダは今、より慎重に事を運んでいた。
イダは、団長に期待されている。これまで仕損じたことがない。その経歴から、今回、重大な務めを任されていた。
──{感応}という魔術の奪取。
リヨン・ペリメルという少女にしか用いることができない魔術。
その魔術は、〈朧竜〉召喚に必要な触媒であり、代償である十二の供物のひとつだった。
「なぜ、{感応}でなければいけないのですか」
イダは、団長に尋ねた。
べつに特別な魔法はいっぱいある。かわいそうな子どもたちの魔法は、この歪んだ世にあふれ返っている。{感応}である必要はないからだ。
ヘライン団長は、その問いにうっそりと応えた。
「いい質問だね」
青炎を帯びる茫漠の大地ノザリアンナ。
その地に残された遺跡に、〈騎士団〉の拠点はあった。転移陣が附された拠点には、各地に散らばった騎士たちの集会に用いられる。
吹き荒ぶ風は、遺跡の外で音を鳴らしていた。人気のない場所だから、より風音が身を蝕むように聞こえる。
「その魔法が、かわいそうで哀れな状況を超克し得た力だからだよ」
ヘラインは、やさしげに笑う。真鍮でできた自らの左手を見る。
「……超克し得た、とは?」
イダは無駄な会話は望まない。たとえ、団長であったとしても。
「自らの意志で逆境を乗り越えた。そうせざるを得なかった。特別かわいそうということだよ」
「…………」
「そういう子はね、努力さえすれば、自らの力を振り絞れば、たとえどんな状況であっても覆せる、という滅んだはずの神話を生むんだ」
ヘラインは優美な笑みを浮かべながら、見えないアリを親指と人差し指で潰すように語る。
「君と似たようにね、イダ?」
「…………」
「そういう神話はいらないんだ。まやかしなんだ。神話はまた、べつのかわいそうで哀れな子を生んでしまう。だから、黎明の世のための供物となってもらうしかない」
「……承知しました」
イダは、踵を返す。転移陣へと向かう。
「期待してるよ」
後背に、団長のおだやかな声を感じた。
イダは、思い出した記憶とともに、踏み出す。
(おっしゃるとおりです、団長)
自分のような人間は、もういないほうがいい。
イダのように、〈導脈〉という魔法の力がなくても、〈霧詠み〉として、霧使いの才覚を発揮した人間などいないほうがいいのだ。
「お前は天才だったのね、イダ」
父と母の、優越と劣等の粘性が混ざりきっていない声を思い出す。
──さすが私の/僕の娘だ。
その言葉は、こちらを褒めているようで、自らを賛えているのがわからないのか。
──ちゃんと、わたしを見てよ。
わたしの努力を無駄にしないで。
(ああ、だから……)
救ってやるのだ。イダが。
「──ペリメルさん、ちょっといいですか?」
リヨンが振り向く。翡翠がまたたく。
この哀れな娘が、毒に侵されぬようにイダが救って、そうして黎明の世につなげてやるのだ。
〜*〜
庭師のメアナからリヨンが声をかけられたのは、学舎から学寮へと戻る道のりのことだった。隣には、レーネと、歩きながら本を読むセアスがいた。
「ちょっと手伝ってほしくて」
メアナは土に汚れた顔で言う。汗が伝って、一本、土汚れの頬を流していた。
夕方は初秋の空気を少し感じられるようになったけれど、まだ暑さはある。力仕事の多い庭仕事ばかりだと大変だろう。
リヨンはすぐに返事をした。
「いいですよ」
「えー、リヨン!」
レーネが抗議する。
「ミナたちが待ってるよ!」
「少し手伝ったら戻るから」
談話室で、レーネの新製品の試作会をやるはずだったのだ。
しゃがむリヨンに、レーネが頬を膨らます。
「じゃあ、先に戻ってる!」
「──しょうがない。僕も手伝うか」
ぱたん、と読んでいた魔導書を閉じたセアスは、そこらに鞄とともに放る。
「いいの……?」
リヨンが顔を上げると、開かれたセアスの心が{感応}して流れ込んでくる。
《気をつけなきゃいけないからね。リヨンをひとりにできない》
《でも、こういうのセアスは好きじゃないよね?》
セアスは、潔癖症のきらいがあって汚れることを好まない。
《だから、しょうがないだよ。文句はレーネに言っとく。あいつは、新商品のことになると頭がばかになる》
そう答えながら、セアスはリヨンの横にしゃがむ。
この学環長は職務全う方なのだ。
「ありがとう」
リヨンが礼を言うと、セアスはこくんと肯く。{通信}で、待たせている馭者に遅くなる旨を告げた。
人見知りのありそうなメアナは一瞬いやそうな顔をしたが、まだ終わってない苗のことを思い出すと、リヨンとセアスに植え替えを手伝ってほしいと依頼を口にした。




