223話:次に目指す場所
「大人しく供物となってほしいと言っていました」
ヤルチェは淡々と、自分に起きたできごとを語った。
表情からはそう見えたが、こわい目にあった直後の麻痺に加えて、本人の特性もある。イディオンは、精神負担を緩和する魔法の必要性を感じた。
「かわいそうなあたしの〈導脈〉が必要だって。……勝手にかわいそうって決めつけないでほしいです」
「……そうだな」
イディオンは肯定する。
かわいそうという言葉は、ひょっとしたら話者が無意識に抱いている偏見を露呈させる。目の前にいる人物に使うものではないと、イディオンは思う。
「それに、変なことも言っていました」
「変なこと?」
はい、とヤルチェは無表情に言う。
「あなたのかわいそうな力は、竜とともに、黎明の世を切り開く力になるからって」
イディオンが、ヤルチェの台詞を伝えると、シェイラの顔は、さあっと青白くなった。
視線が外されて、きれいな指先が鎖骨のあいだにある石をつかむ。思考しているようだった。耳飾りをさわることも多いが、最近は、石をつかんでいることも多い。
──イディオンがあげた石。
はじめて、{表象}して作った石。
シェイラは時折、それを大事そうに握っていて、その仕草はイディオンをどこか安心させる。
「以前、イディさんがお話されていたことにつながりますね」
「ああ」
「竜を呼ぶ……ほんとうにそんなたいそれたことを計画してると言うのでしょうか……」
「可能性は高いだろう」
イディオンは付け加える。
「〈哀れな子どもの魔法〉には予備がある、狙いどころの{感応}……そういう、自分の娘や妻と同じような境遇の、どんな犠牲と代償を払ったとしても、竜を呼ぶということに大義がある。マーロ・スパンの言葉を、ぼくは、そう解釈した」
「……どんな大義があるというのですか」
シェイラの声には、怒りが載っていた。言葉のなかに、噛み殺しきれないものが込もっている。
「目の前の苦しんでいる子どもたちを犠牲にすることによる大義とは、なんなのですか」
「……それがおそらく黎明の世を切り開くということを意味しているのではないか」
シェイラの怒りが、イディオンにはよくわかる。イディオンもまた腹の底には怒りがある。
──同じ境遇になりえたかもしれない。
そういう怒りが。
だが、イディオンはその怒りと距離を取った。俯瞰する。自分の立場を、思い出す。
「黎明の世、というのがなにを示しているのかわからない。そもそも、竜……〈朧竜〉と呼ばれる蟲が、どれほど強大なものかもわからない」
「……そうですね」
イディオンが客観的に論じた声を聞いて、シェイラの感情が凪いでいく。息を吐き出して、冷静に考えているようだった。
「〈朧竜〉については以前調べましたが、伝説上の蟲以上に語られるものはありません。文献もおそろしく少ない」
「ぼくも同じ結果を得た」
魔女の騎士たちが、竜を呼んでなにをするつもりなのか考えるために、スヴェリに命じて文献を持ってこさせたのだ。調査も継続させているが、芳しいものは得られてない。
「……精霊女王エレンシア」
シェイラはつぶやく。
イディオンも、その人物に行き着いた。
「アールヴ大山脈を越えた先にいらっしゃるエレンシア陛下であれば、知っている可能性がありますね」
「ああ」
リヨンを守り抜いたのち、イディオンとシェイラが向かうべき先はそこだろう。
ふたりは視線を合わせて肯き合う。
互いの胸には、同じ目的が宿っている。
(今なら)
イディオンは、ふとそれに気づいた。
──今なら、シェイラに謝罪できるのではないだろうか。
泣かせて悪かった、と。
そして、訊けるのではないか。
(あの時……)
なぜ、泣いたのだ、と。
話の一区切りがついたとシェイラも思ったのだろう。イディオンの視線を受けて、シェイラもふたりのあいだに起きていることを思い出したように、顔色が変わった。途端に自信なさげに、また涙でも浮かべそうな表情になる。
(やめてくれ)
──あなたを泣かせたいわけではない。
イディオンは、沸き上がった感情のまま、声を出す。
「シェイラ、ぼくは──」
「──シェイラ師! こんなところにいらっしゃったんですね」
明るい声が、教室に響いた。ターニャ師が、元気にシェイラのところへやってくる。
「今日、夕餉をご一緒する約束をしていたので、さがしちゃいました」
「あっ、ええ……」
シェイラが、ちらっとイディオンを見る。後ろ髪を引かれたように視線が右往左往する。
「……行ってきていいよ。ぼくはまだ、やることがあるから」
イディオンがそう言うと、シェイラはまたもや傷ついたような顔になった。ぱっと視線が離される。ターニャ師に連れられ、姿が見えなくなる。
手甲をつけた両手の平を見つめる。
イディオンはまた、シェイラと仲を戻す機を逸してしまった。




