220話:移ろわない
赤煉瓦の倉庫沿いに立ち並ぶ露店通りをとぼとぼと歩く。
風が、すうすうする。季節から外れた装いはしていないのに、長外套を羽織ってないと、装っている自分がすべて曝け出されているみたいだ。
(そのせいです、きっと)
今さっき、涙をこぼしてしまったのは、きっとそのせいだ。
守ってくれるはずの長外套をまとってないせいだと、そう思う。
「──姉ちゃん、どうだい?」
下を向いて歩いていると、気やすい露店商から声をかけられた。
顔を上げると、夢結輪や羽根、組紐に香り袋、乾燥花の束、蝋燭に十二面賽子、ファル石、宝珠などを扱っている露店だった。巷のよくあるおまじない品を扱うところのようだ。あやしげな空気は微塵もなく、むしろ安っぽさの感じるおまじない屋だ。こういうところのまじない具はあまり効果がない。
シェイラは会釈だけして通りすぎようとする。
「恋人と喧嘩でもしたのかい? そしたら、仲直りをするのに、いいのがあるよ!」
恋人じゃないです、とシェイラは反発心から顔を上げた。
赤ら顔の露店商は、いくつかのただの紐を並べてシェイラに見せる。
目に入ったのが、露草色だった。縹──イディオンの色だ。その隣に、自分の目と同じ瑠璃色の紐も見つける。
他にも数十種類並べられた紐の色は、こういった露店ではあまり見たことがない。
興味を、引かれる。
「ここに吊ってあるのはできかけの組紐だけどさ、これは自分で最初から編むんだよ。仲直りをしたかったら、その相手の髪や目の色と、自分の髪や目の色を取り入れる。それで、編みながら仲直りができますようにって願いながら編むんだ。そんで、相手に贈ってやる。これで、ばっちりだ!」
そんな簡単に効くおまじないなんてないだろう。〈ユベーヌのまじない〉のでまかせではないか。
シェイラは冷静に露店商の話を聞きながら、紐を四色選び取る。こんなところでは珍しい銀色もあった。安っぽさは拭えないけれど、選んだ。編み込めばなんとか誤魔化せると自分に言い聞かせる。
「これください」
「毎度あり!」
気づけば、シェイラは四色の紐を握りしめて、街中を歩いていた。
(なにしているんでしょう)
縹と銀、瑠璃と淡紫。
そんな紐を買って、シェイラはなにをしているのだろうか。
「……シェイラ師?」
歩いているさなか、真向かいから聞こえてきたのは、リヨンの声だった。
シェイラは、顔を上げる。
もう七時を回る頃だ。学寮の門限はとうに過ぎているはず。リヨンが出歩いているのはおかしい。そもそも、彼女は狙われている。この時間に出歩くのは得策ではないし、学院が許すとも思えない。
「なにか……あったんですか?」
リヨンに悟られるような顔を、シェイラはしていたのだろうか。
琅玕の瞳が、シェイラに向けられる。
({感応}で気づかれましたでしょうか……)
なんと情けない。
シェイラは苦笑しながら応える。
「すみません。ご心配をありがとうございます。大丈夫ですよ。リヨンさんこそ、この時間におひとりで出歩くのは危ないですよ?」
危ないどころの話ではない。警護対象だ。
リヨンになにかあったら、シェイラとイディオンにはわかるようになっているが、そもそもなにもないに越したことはない。危険が過ぎ去るまで、危ない夜歩きはやめてほしかった。
「あ、いえ、その……そうなんですが、今日だけ許していただきました」
「だれに?」
「その……銀の髪の魔導師の方です」
「銀の髪?」
まさか、イディオンだろうか。
「自分が魔法を発動させておくから、用があるなら今日だけ行っていいと言ってくださったんです」
〜*〜
最悪な気分だった。
こんな気分になったのは、いつぶりだろうか。
おそらく一年半前、ラムルに離宮近くの渓谷から突き落とされた時。魔法の展開がうまくいかず大怪我をした。着地の表象を失敗した。風を起こそうとして、渓谷内に吹きつけていく風を逆算しきれず、〈ゆえある裂け目〉を作れなかった。
加えて、成長の激痛。
成長痛とは、本来、骨や筋肉に異常を伴わない痛みを言う。
だが、活性化するようになったイディオンの〈導脈〉による成長促進は、文字通りの激しい成長痛を全身にもたらした。皮膚が引っ張られる、筋肉が損傷する、骨が限界まで引き伸ばされる、信じられない痛みだった。医療魔術師の力を借りねばならないほどだった。
その状態で大怪我をして、イディオンは瀕死の痛みでのたうち回った。
さらに追い打ちをかけたのは、ガザン老師からの残酷な報せだった。
──シェイラが、さらに寿命を縮めました。
簡潔で、されど、イディオンの気分をどん底にさせる便りだった。
(シェイラ……!)
こんなところで、喚いている場合ではない。
(はやく……っ)
一刻もはやく彼女のもとに行かなければ。
自分に、{治癒}を象る。痛い。うまく表象ができない。
「ああっ、くそ……っ!」
ぐっと指に力を込める。〈導脈〉が、鼓動が、脈打って全身に滾って蝕む。苦痛が体中を巡る。寝台が、血と体液と吐瀉物でぐちゃぐちゃになる。
そうやって、痛みと苦しみを乗り越えたはずだ。追いつくために。
(なのに……)
──脳裏に涙を流す彼女が映る。
酩酊して、頭がうまく動かない。
「……やめとけって」
陶杯を呷ると、スヴェリの声が朦朧と聞こえる。
「……うるさい」
「お前、酒強くないんだから」
「……わかっている」
「明日起きれなくなるぞ」
「…………」
「年上の言うことは、聞いとけ」
「……黙れよ」
年上とか、年下とか、もう聞いていたくない。
「イディ、お前さ、ムディアン殿下には兄貴面してるだろ」
「…………」
「同じことされてなんでいやがるんだよ」
いやなものはいやなのだ。
「めんどくせえやつ。シェイラさんのこと好きだから、対等に見られたくてこじらせてんじゃねえよ」
「そんなんじゃ、ない」
気持ちが悪い。だが、否定はする。
「そんなんじゃ……」
「そんな生やさしいもんじゃねえって言うんだろ? じゃあ、なんだお前。執着か?」
「……ちがう」
そんなものでもない。雁字搦めにするものでもない。
「……変わらない、もの、だ」
イディオンは眠くなる。視界が真っ白になる。
「変わらない?」
「移ろわな……い」
イディオンしかいだけない、変わらない、移ろわないものなのだ。
『移ろうものが好きな気がします』
知っている。
でも、ぼくは移ろわない。
一緒にいる。隣にいるよ。
「必ず……」
あなたの隣にいる。
ずっと、隣にいるのだ。




