217話:子どもたちと大人たち
オルトヴィアの月に入って、二日目の放課後、リヨンは急にターニャ師から呼び出しを受けた。
(わたし、なんかしちゃったかな……)
やっと学院に戻って来られて、一日目は少しはしゃいでしまった気がする。お叱りをうけるかもしれない。
ちらちら、と近くにいるレーネと、学園時代から一緒のセアスが、リヨンのことを気にしてくれているのがわかる。ふたりは、いつもリヨンのことを心配してくれるのだ。
「あ、怒ったり注意するわけじゃなくて、安心してね!」
ターニャ師は、リヨンのそんな不安を悟ったように、両手を振って言う。
リヨンは、この担任が好きだった。オーズ師のような面白さはないが、リヨンと似たような気質があるのか、人の機微を、学環全体を、よく見てくれている。空気を読むのがうまいというのだろうか。それでいて、はきはきと物は言うので、ターニャ師を慕うものは多いように思う。
今も、リヨンの気持ちをやわらげてくれようとしているのだとよく伝わった。
「……わかりました」
リヨンは、ターニャにいらえる。
「ただ、その……」
ちらっとレーネやセアスのほうを見る。
「ひとりじゃないと、だめですか……?」
正直なところ、心細い。不安になって、{感応}が制御できなくなってしまうかもしれない。
訊かれたターニャは、うーん、と唸った。それから、ぱっと顔を明るくして言う。
「聞いてみよっか!」
「いい、ですか……?」
「うん。とりあえず、学院長室の前まで皆で言ってみて、私が聞いてみるね。リヨンさん以外にも同席していいかどうか」
「ありがとうございます……!」
ターニャの提案に、リヨンは不安が軽くなった気がした。レーネとセアスが近くまで来てくれるだけで、気持ちは全然ちがう。気づかいがうれしい。
「じゃあ、行こうか」
そう言うと、ターニャはレーネとセアスを手招きした。だれとは言ってないのに、そういうところがこの担任教師のすごいところで、まるで{感応}を使っているみたいだなと不思議な気持ちになった。
ターニャに連れられて、リヨンたちが学院長室を訪れると、レーネとセアスの同席はあっさりと許された。
「いいって言ってもらえる気がしたんだよね」
ターニャ師が笑顔でリヨンに囁いてくれるので、この担任に感謝した。
リヨンは、オーズ以来、ずっと教師運がいい気がする。
「──こんにちは」
凛とした声だった。親しみのあるようで、どことなく懐かしい記憶をくすぐるような声だった。
リヨンは、声の先を見やる。
「あーっ!!」
リヨンが答えに行き着くより先に叫んだのは、レーネだった。
思いっきり、声の先を指差す。
「シェイラ師!」
「まあ、覚えてくださってたんですね!」
シェイラ師は、うれしいです、と言って、座っていた台形の椅子から立ち上がる。ふわっと赤紫色の長外套が広がる。
リヨンも覚えていた。学園時代に会ったことがある。きれいな魔法を使うお姉さん。そういう認識で記憶に残っている。
(それに)
シェイラ師からは、モーちゃんと同じにおいがするのだ。エリスの根のあたたかい香り。
「ブロンニさん」
咳払いをして思いっきり顔をしかめたのは、中央に座る学院長だった。
レーネの失礼極まりない行動にお咎めがある。
「すみません!」
ぺこぺこと何回も頭を下げるレーネに、笑いが込み上げた。この親友は、いつでもどこでも、親友のままだ。
「……失礼ながら……シェイラ師が、なぜここにいらっしゃるのでしょうか」
まともな質問をしたのは、学環長こと眼鏡のセアスだ。霧詠みの母と同じ道に進むべく、彼はいつも真面目に書を広げている。その生真面目さも一貫しているので、リヨンの安心できる存在だった。何度か同じ学環になっている。
「リヨンさんに、御用があって参りました」
シェイラ師が、リヨンたちの近くに来る。ふわっと、エリスのかぐわしい香りがした。リヨンはそのにおいを嗅ぐと、気持ちが落ち着いていく。
「お話を聞いていただけますか?」
シェイラの問いに、リヨンはゆっくりと肯く。
「……はい」
この人の前で声を出したのは、はじめてかもしれない。
リヨンは、喋れなかった頃を知られるのはきらいだ。なぜだか、それはとても恥ずべきことな気がして、思い至ると喉をまたもや凍らせてしまう。話せるようになったのに、話せなくなってしまう。
「もし、だれかに、昔はなんで喋れなかったのか聞かれたら、呪いを受けてた! で通しとけ」
オーズ師からは聞かれた時の対応方法を教わっていたが、そもそも聞かれる以前に出くわしたくないのだ。
喋れない頃を知っているシェイラは、リヨンにとって昔を喚起させる相手でしかなかったが、すっと声が出た。
(モーちゃんと同じにおいがするからかも)
安心できるにおい、だからかもしれない。
「準師がお許しになったので、口酸っぱくは言いませんが、今から聞くことは、ペリメルさんに加えて、同席するふたりも他言無用です。この場限りとなさい」
学院長がそう前置きした。レーネとセアスがさっと真面目な顔になり、リヨンはかすかに肯いて話を聞く。それから、学院長は、淡々と起きているできごとを話していった。
聞き終えたのち、しーん、と静かになった。
青ざめたレーネとセアスの動揺が伝わったように、空間が時を止める。リヨンは、その話を他人事のように、受け止めていた。
「──リヨンさんにお聞きしたいのは、どうしたいか、なのです」
シェイラが口を開いた。
リヨンに視線を合わせて、尋ねる。
「リヨンさんのことは、わたしたちがお守りします。ですが、あなたの魔法に関わるかもしれないことなので、わたしたちとしては、あらかじめ、リヨンさんのお母さまに話す必要があると考えています。ですが、そうすると、あなたは──」
「母には、言わないでください!」




