214話:クチナシ酒場
「なあ、いい加減、その辛気臭い顔つづけるなら、とっとと謝っちまえよ」
夜の酒場だ。宿とはべつの、旅の荒くれ者が集まるような、一見、うらぶれたように見える酒場。互いに干渉しない、見ない、だが空間と秘密はともにする。そういう場所だという。全部が全部秘されるわけではないが、暗黙のうちに聞いた内容は外では漏らさないとなっている。
一部では〈クチナシ酒場〉と言われるらしい。代わりに、査問院で取り締まられるものは絶対に扱わない。招き入れない。誤って仕入れることがあったら、秘さない。
クチナシは、信用商売なのだ。テッペント技術連盟の未承認だが、組合もあるという。
イディオンとスヴェリの定期会合は、それゆえ、クチナシがちょうどよい場所だった。
間仕切りもあって、ひっそりと喋れる場所だから、忌憚なく口を開ける。
「……黙れ」
イディオンは、書類に目を通しながら、唸るように言う。
「聞く限り、シェイラさん、悪気があったわけじゃないだろう。そういう人じゃないってこと、お前が一番わかってるだろ?」
「…………」
「お前が単に年下であることをもとから引け目に感じてて、その図星を指すように言われたことが頭にきただけだろう? そうじゃないのか?」
「……ああ、そうだよ。わかっている」
イディオンは、奥歯を噛む。
そんなこと、わかっているのだ。シェイラに悪気がないことくらい。だが、
(悪気がないからこそ……)
衝撃を受けることがある。事実だからこそ、たえがたいことも。
イディオンは、自分の気持ちを俯瞰するようにできるようになったとしても、今回の件はその感情と同居できる気がしなかった。
(だから、年下扱いされるんだ)
感情に乗っ取られるから、シェイラにそうやって線を引かれる。
線を引かれたのだ、イディオンは。ここまでです、と言われたのだ。だから、もうそれ以上踏み込めない気がした。
(ぼくが、もし……)
あの聖剣使いと同じように、シェイラより年上であったなら、線を引かれなかったのではなかろうか。
そんな益体もない妄想が這い出てくる。
「……話を戻す」
しばらく考えたくないことだった。
イディオンは一度短い息を吐き出して、スヴェリを睨みながら言う。
対するスヴェリは、不満そうだったが、やれやれ、と一息つくと、空気が入れ替わった。
「──マーロってやつのことだったな」
「ああ」
イディオンは再び、書類をめくった。
「だいたい調べはついたよ。イディの言っていたとおり、ガルバディア出身の男だった。予想的中だな」
やはりか、とイディオンは思った。
相当な大地の魔術師、{転移}まで用いる。ならば、元素魔術の血筋が多い自国出身であろうと思ってのことだった。
「適当な戸籍を洗っていたんだがな。時間がかかるから、同時にだめ元で人事院の{検索}にもかけてもらった。そしたらまさかのそっちが命中。まとめたのは、そこで見つかった書類だよ。目を通したが、興味深い内容だった」
イディオンはぺらっと一枚目をめくる。ルペドの植物紙に{投影}されていたのは、人事院で保管されていた身上書だ。イディオンは、すばやく目を通す。
「討伐隊に所属していたのか」
「ああ、それも隊長を勤めるほどの剛腕だったらしい」
肯ける。戦い方が修羅場をくぐってきたものの振る舞いだった。秋冬には、指揮だけではなく、前線で戦っていたのだろう。
「そんな男が、唐突に隊を辞した?」
「以来、行方不明。十年以上も前のことだ」
なぜ、隊を辞めることになったのだろうか。
イディオンが書類に目を向ける前に、答えはスヴェリの口から返ってくる。
「娘が自殺して、妻もあとを追うようにして自害したそうだ」
「…………」
「娘、学園でいじめられてたんだとよ」
「いじめ……?」
「魔法が使えなくて、いじめられてたらしい」
──魔法が使えない。
イディオンは、わずかに目を見開く。慣れてきたとはいえ、自身も含め、最近、〝魔法が使えない〟という言葉はよく聞く。
その事象は、イディオンが突き止めなければいけない答えだ。
自然、眉間にしわが寄る。
「どんな理由で使えなかった?」
「べつにまったく使えなかったわけではなかったらしい。大地の魔術の適性がなかったらしい」
「学院に上がって、査定を受けたわけではないのにわかるのか?」
「査定を受けなくても、おおよそはわかるもんだからな。実習していると、なんとなく自分はこれに適してるとか適してないとかわかるんだ」
「そんなものか?」
「そんなもんよ。俺の場合は、{転移}特化の特異体質だったから、査定じゃないとわからなかったけどな。学園に通ってた頃は、俺だって、ひどいもんだったぜ」
スヴェリはけろっと言う。この男はもう過去のことだと割り切っているようだが、イディオンと通底しているものがあった。
スヴェリもまた、魔法が使えなかったのだ。正確には、元素魔術の適性がなかった。ガルバディアの貴族でありながら、元素魔術の適性がないのは、過ごしづらい。
イディオンだからこそ、この男の痛みはわかる。スヴェリもまた、だからこそイディオンに仕える。互いに、似たもの同士なのであった。
「……それで、娘は自殺を?」
「ああ。かわいそうにな」
「母君は、なぜ……?」
「娘のいじめに思い悩んで、心を病んでいたらしい。ところが、夫──マーロ・スパンは討伐隊の英雄。いろいろなところに引っ張りだこだ。家には帰ってこない」
「…………」
「死にたくなるってもんだろ。気持ちはわかるさ」
そうだな、とイディオンは相槌を打つ。
氷の入った陶杯が、からん、と音を鳴らす。
沈黙が、クチナシ酒場に響く。どこも、小声で話す声ばかりで、目立つものではなかったが、イディオンは、自分のなかに男の輪郭が、しんと浮かび上がるようだった。
「マーロ・スパンは、娘と妻の死を知って、隊を辞めたのか」
「そんなところだろうな。少しでも人間味のあるやつなら、胸にくるだろうよ」
「……だが、今は魔女の騎士として動いている」
娘と同じ立場に近かった、ヤルチェ・ラッカーラを狙っていた。
──理解に苦しむ行動だ。
「大義、か……」
どんな大義があるのか知れない。そのために、娘と同じ立場のものを犠牲にする。
──竜を、呼ぶ。
イディオンのなかで仮説として考えているものが、説をより深める。
そのための、犠牲。そのための、供物。
そう考えられないだろうか。
(可能性としては高い)
だが、一方で、イディオンの頭のなかには疑問がよぎる。
(竜を呼んで……)
なにをする気なのだ。
それが、〈気高き魔女の騎士団〉が目指す大義とやらにつながるのであれば、なにやら、うすら寒いものを覚える。
イディオンのなかには、警戒が生じる。
「引きつづき、この男と、可能であれば、その後の足取りも調べてくれ」
「御意」
イディオンはスヴェリに命じる。
「ムディアンにも、共有しておいてくれ」
「王太子殿下に? 女王陛下や王配殿下には、いいのか?」
「……ああ」
イディオンは肯く。
イディオンが今行きついていること、調べようとしていること、それらは多くに知られないほうがいい。
「リヨン・ペリメルの護衛は、どうする?」
「……一旦、おれが行う。今はまだ、表沙汰にできない」
「陛下に事の次第を伝えて、動いてもらったほうがはやくないか?」
「いや……それは、避けたい。逆に、相手に気取られる可能性がある」
「なんで?」
スヴェリの問いに、イディオンは押し黙る。
頭のなかで浮かんでいることは、イディオンにとっても肯定したい話ではない。
「ちょっと……な」
「……まあ、いいけどよ。俺は。使いっ走りとしてがんばりますわ」
スヴェリはそう言うと、立ち上がる。残っていた蒸留酒をかっと一気に呷って、イディオンに背を向ける前に言い残した。
「とりあえず、はやくシェイラさんと仲直りしちまえよ。こじれる前にな」
「……善処する」
イディオンは苦々しく応じながら、残った発泡水を苦みとともに流し込んだ。




