213話:仲たがい
「すぐに調査を出した。あえて名前を出してきたんだ。調べた先に、魔女の騎士の、大義とやらにつながるものがある。なるべくはやく動いたほうがいいと思った」
イディオンは先に進む。きょろきょろと宿の看板を探す。
シェイラは、自分がその時感じたものを、なんと言えばいいのかわからなかった。
置いていかれる、というのとは少しちがう。それではない。イディオンが隣にいてくれているおかげなのか、最近はあまり感じることはない。ありがたいことだった。
(むしろ……)
イディオンが、眩しすぎるのだろうか。
ちがう。
──シェイラが、頼りなさすぎるのだ。
(年上ですのに……)
最近、イディオンに頼ってばかりいる。
シェイラは、イディオンの存在に安堵と言うべきものを感じている。マーロという男と交戦した時、イディオンの姿が{転移}で消えると、心細さのようなものを覚えた。帰ってきてくれた時、ほっとしたのだ。背中に感じたあたたかさが、あまりにも大きくて、自分が無意識に彼の存在に寄りかかっていたことに気づいた。
そんな自分が、あまりにも頼りない。シェイラのために、イディオンは動いてくれているのに、イディオンの懐の深さに、頭を預けたくなってしまう。
(情けないです)
甘えてばかりいる自分が。先を生きているはずの自分が。
(それに……)
シェイラは、足が止まる。紫の遊色に輝く青銀石を握りながら、先を進むイディオンの背中を見る。
(イディさんは、返しに来てくれているだけです)
シェイラに恩を返しに来ているだけだ。魔法が使えるようになった恩で、来ているにすぎない。返したら、きっといなくなってしまう。シェイラが頼りきってしまったら、イディオンは返せたと思うだろう。それできっと、終わりなのだ。
──ほんとうに、ずっといてくれるわけではない。
そんなことあるわけないのだ。
(もう二年を切っています)
シェイラの寿命は、残り少ない。それまでに、厄禍も来る。大陸中も落ち着かないだろう。もしかしたら、シェイラは途中で死ぬかもしれない。死ぬのはいい。もとより少ない寿命だ。だが、シェイラに付き合わせてイディオンを巻き込むようなことがあってはいけない。彼には、未来がある。
この立派になった青年を、自分のもとに縛りつづけてはいけない。
(頼ってばかりではいられません)
シェイラが、自分の足で立っていなければ、イディオンは離れたくても離れられないだろう。
「──イディさんを見習わなければなりませんね」
歩みを再開して、しばらくすると、よさそうな宿を見つけた。二部屋取って案内された階段をのぼりながら、シェイラは自嘲するようにつぶやく。
「色々先回りして動かれていて、イディさんはさすがです」
「まあね」
イディオンは、振り返ると、ちょっと得意げに笑った。青年になってから見られるようになった、いい笑みだった。
シェイラは横を通り過ぎながら、その笑みを認めて、息を吸い込んで言う。自分の背筋を伸ばすための呼吸だった。
「わたしも、しっかりしなければいけませんね」
こつ、こつ、と階段を上がる。
「イディさんよりも年上ですから」
のぼり終えた。
ふう、と息を吐き出す。
しばらく間があった。数秒して、声が聞こえる。
「──それ、関係ある?」
シェイラは、気づかなかった。
イディオンが怒りをたえているのだと、気づかなかったのだ。
「ありますよ。だって、わたしのほうが年上です。年下に負けていられません」
いつものからかい調子で応えた。昔は、よくそうやって言うと、イディオンはむきになって、かわいい顔で、抗議してきたのだ。そういうやり取りは何気なかったけど、シェイラの心をやわらげてくれるやり取りだった。
「……関係ないだろ」
ぼそっと声が聞こえる。そこで引き返しておけばよかったのだ。
からかいや、おふざけというのは、悦楽だ。中身を見ない。《《反応の有無だけに反応する》》快楽なのだ。だから、引き際をまちがえてはいけない。線がある。その線を行きすぎてしまうと、悪のりになってしまう。そうしてさらに進むと、人を傷つける刃になる。すっと切れ味のよい刃となって、相手のやわらかい部分を傷つけるのだ。
「だって、ほんとうのことですよ? わたしは、二十二で、イディさんは十九で、事実です。お姉さんは、わたしなんですから、頼ってばかりいられません」
鼻歌気分で言ったつもりなのもよくなかった。調子に乗っていたのだ。
イディオンとの関係性に甘えすぎていたのだ、つまり。
「お姉さん……?」
シェイラは、イディオンの苛立ちをこれでもかというくらい煽ったのだ。
「……ふざけるなよ」
シェイラが、荷物を運び入れると、イディオンが扉の入口で立っていた。振り返ると、縹色の目に凄絶な怒りが載っていて、言葉を失った。
にわかに、あの時のことを思い出した。モルベンド獣国の深い森で、意図せずアバンダスと対峙した時。あの獣を目にして、使役魔術を使わざるをえなくなった危機がよぎる。
イディオンは、そういう目をしていた。
「関係ないだろ、年上とか年下とか」
「イディさん……」
咄嗟になにも言えなかった。睨まれていて、シェイラは目を合わせることしかできなかった。
「お姉さん? 二十二? シェイラは、十九のぼくを弟とでも思っていたのか?」
なにも言えない。ちがう。そうじゃない。
──ほんとうは……
シェイラは首を振る。
また、べつの時を思い出す。出会ったばかりの頃、ぺらぺらと喋って、魔導師であることを明かした時。あの、イディオンの部屋に勝手に入ってしまった時。
シェイラは、ちっとも反省していなかったのだと思う。イディオンとちがって、あの頃から成長していなかった。
「なんだよ……それ」
「イディさん、わたし……」
「シェイラは、人を差別しない。決めつけない。ぼくが王子だとか、できそこないだとか、魔法が使えないとか、そういうのを一切気にしなかった。当たり前に接してくれたじゃないか」
その発言で、イディオンをとても傷つけたのだとわかった。
「──なのに、年齢では差別するのか?」
ちがう。どうして、シェイラはすぐにそれが言えなかったのだろう。
「おれが、あなたより遅く生まれたというだけで」
イディオンは、昔のように声を荒らげたり、物を投げたりしなかった。
だからこそ、彼の成長を感じられて、ほんとうは怒鳴りたい気持ちをたえているのだと、思った。彼は少年じゃなくて、きちんと大人になった男なのだとあらためて感じた。
「イディさん……!」
踵を返すイディオンに、シェイラは手を伸ばす。
「……今はもう、話したくない」
イディオンは、そう言うと、静かに客室の戸を閉めた。ぱたん、と音がする。ふたりのあいだに、隔たれた戸の音だった。
思い出すと、シェイラは胸の裡がじくじくと痛む。
(わたしは、ばかです……)
盛夏の暑さを受けて体に浮かんだ汗が、内側から流した痛みのようだった。
「自分から謝ることもできない……」
だから、一週間なんて経過してしまう。
やるべきことも、整理しなければいけないこともあるのに、イディオンと相談したいのに、なぜかシェイラは謝れずにいる。自分のなかで、言うべきことを見つけられずにいる。
また、重たい吐息がもれる。
「──シェイラ師……?」
ふいに背にかけられた声に、シェイラはびくっとなった。
振り返って、目を見開く。
「ターニャ師……!」
かつて、シェイラがセゾンで一時をともにしたターニャが、そこにはいた。




