209話:騎士たちの夜宴
霧が出ていた。夏の星月夜に、視界が利かぬほど、霧が出るのは珍しい。海霧の出る海沿いはべつだが、通常アベルの月が近づけば近づくほど、霧は晴れていき、人々も蟲の脅威の減るこの時期を喜ぶ。
──{霧喚び}でもせぬ限り。
マーロは、腕を組みながら壁に寄りかかる。臙脂色の長外套からは、自身の傷だらけの前腕が出ていた。盛り上がった筋肉には、蟲によって傷つけられた痕がいくつも残っている。どれをいつ負ったのか覚えてない。かつて、それは、勲章だと思っていた。己のあり方の誇りであり、街を守る英雄の証だ。と。
ふっ、と自嘲の笑みが漏れる。
内腹の筋で生じ、今や〈導脈〉の魔力とともに全身に満ちている絶望であった。
マーロにはもう、誇りもなにも残っていない。
しばらくすると、軽やかな足音が聞こえてきた。霧のなかで朧に浮かぶ、香炉宵燈がゆらゆら揺れているのがわかる。
無邪気な歌が、聞こえてきた。
こんばんは、ごきげんよう。
魔女の宴のはじまりよ。
今日の汁は?
カエルの足、ムカデの毒、ウサギの目玉で、できあがり!
今日の主菜は?
メドゥラの熊手! サソリの尻尾のソースで、召し上がれ!
食後菓は?
決まってないわ!
なににする?
決めましょう!
これから?
これから!
「──では、宴をはじめよう」
その台詞が霧のなかに響き渡ると、まもなくして{転移}の光とともに、いくつも臙脂色の長外套が姿を表す。
マーロを入れて、全部で七つ。
〈気高き魔女の騎士団〉の幹部である七人であった。
おもむろにひとりが、ゆったりと口を開く。
「──やあ、みんな。元気だったかい?」
屈託のない、人を安心させる話し方をする男だった。
絶望が蔓延っているマーロも、この男の話を聞いていると、一時の和みを覚える。昔日に消え失せたあたたかな食卓の光景を思い出すことができた。
「元気だったよ、ヘライン団長!」
明るく返事をしたのは、一番小柄な娘だ。六歳とかそれくらいの背丈しかない。
実年齢はもっと上だが、〈幼子症〉によって成長の機会を失ったのだという。そのため、〈導脈〉が育たず、大した魔法が使えない。けれど、器用で、騎士たちの臙脂色の長外套は、この娘が〈細蟹〉の糸を用いて織り上げている。
──怨嗟のこもった長外套だ。
彼女の指先から漏れた血が、布を臙脂色に染め上げている気がしてならない。
「つつがなく」
べつの女が、ぶっきらぼうに返事をした。
空気のような女だ。ひょっとしたら、今たち込めている霧と混ざり合ってしまうかもしれない。
(可能であろうな)
この女であれば。
なにせ、{霧喚び}の陣や霧そのものを操ることに長けているのがこの女だ。どこからでも、霧を喚ぶことができる。この女が欠けては大義は果たせない。団長は、そう断言している。
「そうかそうか、いいことだ」
ヘライン団長は、ほんとうにそう思っているのだろう。皆への深い愛情と憐れみを持っているのがこの団長だ。
時折、歪んでいるようにも聞こえるが、左手を失ってからというもの、歪みだけではなく人としての情が伴うようになったと思う。
少なくとも団長は、この組織に所属している者たちに対して、心からの憐憫で声をかけている。
「君たちはどうかな?」
マーロを含め、口を開かなかった残り四人に、その憐憫が向けられる。
「順調」
これは、元修道師の男。
「私のことは知っております通りでございます」
これは、盲目の元精霊使い。ヘライン団長と拠点にいる、隠匿の呪了師だ。副団長でもある。
「動きやすくなった」
もう一人の副団長が言った。余韻のある声をしている。
「へえ、それはよかった。君の足を止めていた見張りは、計画を遅延させかねなかったからね。なんで動きやすくなったのかな?」
ヘラインは興味深そうに尋ねる。
「私を警戒するよりも優先順位の高いことがあった。だから、だろう」
「なるほどね」
団長は、副団長に楽しそうに笑いかける。
「愛だね」
「…………」
「君の愛は歪曲しているけど、息子のほうはどうなんだろうね?」
「……さてな」
返事に、ヘラインは変わらず楽しそうにもう一度笑って、マーロに視線を向ける。
「君は、どうだ?」
「問題ない」
一言、マーロは返事をする。
「彼女は?」
先日、モルリオールで失態を犯した配下のことが問われていた。
マーロは、淡々と返す。
「始末した」
「……そうか」
ヘラインの声には苦渋が浮かぶ。
「……かわいそうに」
「不始末は致し方ない」
「……そうだね。僕も、規律を乱してまで彼女を救えとは言ってない。上司である君がそう判断したのなら仕方ない」
ヘラインは深い憐れみを載せながら、話を切り替える。
「ヤルチェ・ラッカーラのほうは?」
「手を引いた。魔導師に妨害された」
あのふたりは、厄介だった。ひとりとは交戦したが、本気を出していなかった。もうひとりの戦闘の様子も一瞥だけで判断できた。
ふたりとやり合っては、刃が立たない。それは、戦闘経験が多くあるマーロだからこその直感だった。逃げるに越したことはない。
「そうか、しょうがないね」
ヘラインも、マーロのそういう直感を信頼している。
「あの子も、特別かわいそうな子だったが……仕方ない。予備を使うしかないね」
へライン団長は、そう言って、長外套の裾から、透けた巾着を出した。
そのなかには、強い光を持った色合いの異なるファル石が、いくつも入っている。大義のために集められたファル石。かつて、生きた〈導脈〉であったもの。そのなかに、ヤルチェ・ラッカーラの〈導脈〉も含まれるはずだった。
「──予備はあるが、予備では埋められないものがある」
ヘライン団長は、声音を変えて言った。
マーロも含め、他の六人に向けられる。
「君たち三人が、揃えなければいけないものだ」
ぶっきらぼうな霧使い。元修道師。副団長の男。
順に、団長の黒い眼差しが向けられる。
「期待しているよ」
ヘラインは柔和に笑う。
団長自身が仕留める獲物もあると聞いている。それも、難易度の高い獲物だと聞いている。だが、問題ないだろう。団長と元精霊使いの隠匿があれば、どこに忍び込むのも、気配を完全に消すのもたやすい。
「まず一番の報告をしてくれるのは、君だろうね」
団長は、そう言ってぶっきらぼうな霧使いにほほ笑む。
「──イダ、次までに待ってるね」
「はい」
短く、霧使いの女は返事をする。
「──闇より気高さを」
団長が言う。
「気高き魔女の名にかけて」
マーロたち六人は唱和して応じる。
「──この世を変革に導こう。今の犠牲と代償は厭わない。それが、呪いを受け容れ了承する、僕たちの大義だ」
団長の宣言を最後に、夜宴は散会となった。
(第10章:ついてくる少女──後編・了──)
▼10章登場人物
ドゥエルタ老師
ヴェッセンダリアの十二老師の一人。次元の魔導師。時間旅行で常にいない。
ヘライン団長
〈気高き魔女の騎士団〉を率いる中心人物。おだやかに笑い、人望が篤い。
マーロ・スパン
〈気高き魔女の騎士団〉の上級騎士。隻眼。戦斧を触媒に大地の魔術を使うが、戦斧そのものを扱う力量が高い。




