208話:〈哀れな子どもの魔法〉
戦斧が、襲ってくる。
このあいだの男だ、とシェイラは気づいた。宙でよけながら、男の動きを注視する。前回は動揺してしまったが、今であればシェイラは冷静に判断できる。
ヤルチェはイディオンが運んだから問題ない。戦闘に集中できる。
ぶんっ、と風を切る戦斧の音がすさまじい。魔法でなくても、あの斧に当たるだけで大怪我をする。シェイラは、万が一よけきれなかったことを考えて、左手で{自動}と{防護}を描く。これでしばらくのあいだ、攻撃は防げる。
「──お前、魔導師シェイラータだな?」
大きな一撃を振るったのち、男がシェイラにそう言った。
驚く。だが、動揺はない。冷然と返す。
「そうですが、なにか?」
空中戦だが、男の足元は地面があるかのように走り回る。なのに、宙も浮くようにする。たいした大地の魔術師だと思った。
ガルバーンで再開した時の、ヴィクトルの振る舞いを思い出す。
そんなことを考える暇はなかった。またもや、斧が振るわれる。
「いや? 聞いたことがあるからな。呪法をもとにした魔導を使う、魔導師がいると」
瞬間、雷撃が落ちる。よけねば、一瞬で燃えるような雷。大地の魔術。
「胸糞悪い話だ」
男が、シェイラに怒りを向けたのがわかった。
次々と、雷撃が落ちてくる。焦げつくにおいを感じる。よけながら、シェイラは、もうひとりの女のほうを警戒した。なにか懐から出してくる。あちらは呪了師だ。手元を見極めなければいけない。
シェイラが視認したのは、{霧喚び}の陣と魔法紙。なにが描かれているのかわからない。だが、先日の交戦を思い出せば、蟲を呼ぼうとしているのがわかる。まもなく、着火される。
注意を分割しなければならなかった。
晴れ渡っていたはずの夏空に雲が渦を巻き、稲妻がシェイラに向かって落ちてくる。同時に、陣から蟲が現れる。
シェイラは瞬間、{召喚}陣を描いた。
銀狼を、喚ぶ。
雷を、分厚くした{防護}で防ぐ。が、攻撃の勢いを受ける。跳ね飛ばされる。
岩壁にぶつかりそうになったシェイラを受け止めたのは、まもなくして戻ってきたイディオンの光だった。雪原と針葉樹の魔力香を感じる。背に、体温を感じると、シェイラはいつの間にか緊張を覚えていた自分の身体を知った。
ふっと、力が抜けて、見上げる。
「おかえりなさいです」
「ああ」
イディオンが上空の大地の魔術師を睨みながら、それでもやさしく返答がある。
「ただいま」
イディオンは、焦燥がほっと息をついた。シェイラは怪我をしていない。落ち着きが戻ってきて、対峙する男を見上げる。さらに上空で、アバンダスと〈水蛇〉と呼ばれる蟲が唸り声をあげているのも含めて、場を睥睨する。
「蟲のほうはアバンダスに」
シェイラの声に肯く。
イディオンとシェイラは離れると、上昇する。浮かぶ男と、欄干にいる女を見る。
「さすがに、魔導師ふたりは分が悪い」
男が戦斧を肩に背負いながら言う。こちらへの戦意が消失したように見受けられるが、油断はできなかった。イディオンは捕らえるための表象を脳裏に描く。
「ですが、マーロさまっ!」
女が下から叫んだ。抗議の声をあげる。
「失態を取り返しませんと……! それに供物も……!」
「ああ、そうだな」
男が女の台詞を肯定する。
「供物はどうにかなる。幸い、〈哀れな子どもの魔法〉には予備があるし、狙いどころの{感応}については、すでにあいつが動いてる。取り逃しはしない」
「では……!」
女の声に安堵が載る。
「──だが、お前の失態は許されない」
ばきっ、という音がした。
女の首が不自然に曲がる。
「団長は寛容だが、俺が配下の失敗を許すのは一回のみだ。失態をつづけるものは、どうにかしようと焦って、判断を過つ。──ゆえに、許さん」
男は、いつの間にか、手の内に土人形を持っていた。その人形の首が割れている。
女の首は曲がったまま、欄干から体がすべり落ちる。臙脂色の長外套に焼かれる。
イディオンもシェイラも、絶句した。〈水蛇〉がアバンダスに喰われる悲鳴が、清流に木霊している。
「──さて」
男は、何事もなかったかのようにイディオンたちに向き直った。
自らが手をくだしたことに、なんのてらいもなく、人の死と殺しに慣れている者の不動の気配があった。
ただものではない、とわかる。
「名前も聞かれてしまったしな。きちんと、名乗っておこうか」
男は、頭巾を取った。驚く。名と顔を知られても問題ない。そういう自負があるのだとわかった。
「〈気高き魔女の騎士団〉が上級騎士、マーロ・スパン」
色黒の五十を越えていると思しき男だった。隻眼。眼帯をしている。他にも顔にはいくつか傷があった。蟲を撃退しているものを職に負うもの特有の風体であった。傷があとを絶たないのだ。
「お前たちは、なぜ俺たちがこんなことをしているのか不思議であろうな」
マーロという男はつづける。
「ひとつ、手がかりをやろう」
男は、悠々と言う。
「──大義がある。今の世で、どんな犠牲と代償を払ったとしても」
それは男の決意に聞こえた。
「俺の名前を調べればいい」
後悔の余韻があったのは気のせいか。
「調べてわかることもあるだろう」
男は言うと、{転移}の残光を散りばめて、姿を消した。
アバンダスが〈水蛇〉を食らって、残されたものが霧散していく。
イディオンはその光景を目にしながら、思考が回転するのがわかった。断片的な情報と推測が右往左往する。
「……{感応}」
頭の回転に気を取られていたなかで、胸に抱いたままの小さな体から、ぽつりとつぶやきがあった。イディオンは、シェイラを覗く。
「シェイラ……?」
「……リヨンさん」
彼女の顔は、恐怖を浮かべていた。
〜*〜
その日、〈水蛇〉の出現はちょっとした騒ぎになったが、魔導師らが撃退したということで、予定通り、花の祭典の演目は開演することになった。フェノア魔導師による突然の催しがあったものの、ヤルチェたちの学環が披露した演目『エレ川の舞姫』は、無事に披露された。
そうして、モルリオール高等魔術学院による『エレ川の舞姫』は、これまで優勝を飾ってきた市民団体を破り、アベルの月の建国祭へと歩を進めることになった。ロウェイン学院長は、感涙して椅子から落ちた。
そして、建国祭で、最優秀を飾ったのだ。
ウショー師の長年の悲願であり、酒樽おばばと越えられなかった最高の高みに至ったのは、モルリオールの歴史上はじめてだった。
──芸は、学生の域を脱していない。それだけが悩みの種だった。だが、伝統と新しさ、あらゆるものを舞台に包含しようとした果敢さとひたむきさ、それらが随所に滲んでいる素晴らしい演目であった。
三王たちには、そう評価された。
〈霧の厄禍〉の前に、そういった評価がなされることになるのは、厄禍が訪れたあとの黎明の世を照らす一助となった。
──あの演目に至るまでの風景を目にした経験が、希望のひとつであった。
のちに、変革王と称されたガルバディアの王は、そう側近につぶやいたという。
ヤルチェ・ラッカーラが発明した円盤自鳴琴は、それからモルリオールの大産業へと発展した。通常の自鳴琴よりも荘厳で豊かな音色は、特に貴族や、裕福な商家でたしなまれたという。変革王による近代化が進んでいき、そこから百年後、蓄音機という魔導具の発明がなされるまで、一世を風靡した。
廃れていったのちも、懐かしい記憶を呼び起こす音色として、円盤自鳴琴は、今でも一部の人々に親しまれ、愛されている。




