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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【6/6完結予定】  作者: 稿 累華
第10章:ついてくる少女─後編─

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207話:襲撃

 ふう、とヤルチェは、息を吐いた。夢中になっていたから、汗だくだった。円盤(ディスク)を磨いた金属臭と薬液のにおいと夏の暑さが混ざり合って、工房全体の空気が、むわむわしている。


(なんとか間に合った)


 円盤にうすい傷を見かけて、ヤルチェは急いで自宅工房に向かったのだ。本番の大事な日に、傷のせいで音に支障があったらまずい。まだ間に合うと思って、調整を行った。


 今から引き返せば問題ない。

 布で汗を拭うと、ヤルチェは工房着を脱いで、家を出ようとした。



 チリンチリン──……



 鳴風鈴(めいふうりん)が鳴った。

 だれだろう。客だろうか。今日は祭りで、父や職人仲間もいないし、店にも閉店の札を下げている。なにか急ぎの用事だろうか。


 ヤルチェが工房から出て、店に顔を出せば、見慣れぬふたり……否、一人は見覚えがある。フェーリの店でおまじないを扱っていた女がいた。


 臙脂色の長外套(ローブ)

 顔が見えないが、佇まいからその女だとわかる。



「──こんばんは」



 女は、場ちがいな挨拶を口にした。今は日中だ。間もなく中天をすぎる。ヤルチェたちの学環の発表が近い。


「こんにちは」


 ヤルチェは、ぶすっと返す。急がねばならなかった。早口になる。


「すみません、今日明日は祭典で店じまいなんです。御用があれば、また明後日に──」

「すぐ終わるのよ」


 女は、のほほんと言った。軽やかに転がすように喋る。


「私たちはあなたに用事があるの。すぐ、終わるわ」


 女の声に、どことなく、ヤルチェが手を出してしまった、まじない具の気配を感じたのは、きっと気のせいではなかった。声が笑っているのに、見えない長外套の顔は笑っていない。


 ヤルチェは、もう二度と、おまじないには手を出さないと決めた。


 よくない空気を直感で判断して、身を翻す。工房の裏口から外へ。工房街の裏手は切り立った崖に接する小路につながっている。職人たちはよく一服する時にここを使うが、表通りにも出ることができる。

 小路に躍り出た瞬間、ヤルチェは勢い余って平衡を崩した。不器用な自分の身体を叱咤したくなる。なんとか平衡を取り戻そうとした、寸暇がいけなかった。


 がっ、と顔が掴まれる。男の大きな手だ。もうひとりの人物の手だろう。崖にせり出す欄干に背が押し付けられる。



「逃げないで」



 女が、男の後ろからやって来た。



「私は、失態を取り返さなきゃいけないの」



 女は言う。


「団長が機会をくださったのに、損ねてしまったから、困っているの」


 なんのことだ。ヤルチェは知らない。

 掴まれた顔に、ぐっと力が入る。


「だから、大人しく供物となって? かわいそうなあなたの〈導脈〉が必要なの」


 女は、打ち抜き用の工具を出す。


「大丈夫。あなたのかわいそうな力は、竜とともに、黎明の世を切り開く力になるから」


 安心してね。


 女が、ヤルチェに振り下ろすわずかの間に、白い鳥のようなものが割り込んだ。


 ヤルチェの体が傾ぐ。男の手が離れて、欄干を越え、ヤルチェの体は崖の下、エレ川へ落下する。

 悲鳴よりも先に、ヤルチェの体をがっしりと受け止める手があった。白い鳥と思ったものは、さきほどヤルチェを恐怖に陥れた男の手とは異なる。樹木の香りがする男の手だった。



「──イディさん、ヤルチェさんを!」



 上から声がする。視界に、ヤルチェを助けてくれた魔導師の姿があった。月光蛾の精だ。安心する。涙が出てくる。


「だが! シェイラ!」


 ヤルチェの体を抱く男が、悲鳴を上げるように叫んだ。ぎゅっと痛いくらいに力を入れられて、男の焦りが伝わってくるようだった。


「戻ってきてください!」


 月光蛾の魔導師は、ヤルチェを捉えていた男の魔術師と交戦している。隙間にそう叫ぶ。

 さらに力を入れられて、ヤルチェは助けてもらった礼を忘れて、痛みに悲鳴を上げそうになった。


「……っ」


 逡巡があった。だが、間もなくしてヤルチェの体は、男の強い力とともに光の粉になってかき消える。


 すぐに、野外劇場の近く、大木のブナが生える場所に移って、下ろされる。

 {転移}というものを体験したのだとわかる。はじめての、めったにない経験で、ぽかんとする。



「すぐにウショー師のとこへ行け」



 ヤルチェを下ろした男は、随分と顔の整った男だった。そう言えば、見覚えがある。ペニーや、他の子たちが騒いでいなかったか。


「洗いざらい今遭ったことを話せ」

「でも……」


 そんなことを話したら、劇が中止にならないだろうか。変なふたりに襲われた。警戒が高まって、せっかく準備してきたものが実施されなくなってしまう。

 ヤルチェの不安を嗅ぎ取ったように、焦る男の目には苛立ちが浮かびながらも、返答がある。


「問題ない。おれたちがどうにかする。ウショー師には、そう話しておけ」

「……わかりました」

「予定通りに開演しろ。じゃなきゃ……、意味がなくなる」


 なにを、とヤルチェは尋ねる暇はなかった。


 男は身を翻すと、またもや{転移}の光を放ってかき消える。

 ヤルチェは呆気に取られながらも、襲われても離せなかった、胸に抱いた円盤を強く持ち直す。劇場のほうに急いで足を駆けた。

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