203話:提案と思いつき
翌週になると、ガルバディアの月だった。比較的、海に近いモルリオールには、南から湿気がやって来て、雨が増える。わずかながらも、霧が発生して蟲も出る。
そういう発生した霧を払い、蟲を駆逐し終える週末をイディオンと過ごしたのち、シェイラはあらためてウショー師と向き合っていた。
変わらず放課後で、場所は教導館ではなく、ヤルチェたちの学環のある教室だった。
今日はイディオンも同席していた。
シェイラは、週末に遭ったことをウショーに端的に報告をする。
聞き終えたウショーは顔を蒼白にしていた。次中音が、細かに震える。
「まさか、ヤルチェが……」
「危ないところでした」
「私のせいだ……」
ウショーは頭を抱える。連なった長卓に頭が押し付けられるようになる。
「ウショー師……」
シェイラは、かける言葉を見つけられない。下手な慰めの言葉は、逆にウショーをより傷つけるだろう。黙って、イディオンとともに待つ。
「……私が誤ったばかりに」
ヤルチェが呪術に手を出してしまった、とウショーはつぶやく。
(起きてしまったことは……)
もう、どうしようもない。時間は戻せない。不可逆だ。
ヤルチェが決定的な線を踏み越える前に戻ってくることができた。足を止めさせることができた。そう思うしかないのだ。
(だれも、悪くない)
ウショーも懸命だった。
学環の子どもたちも悪気はなかった。
ヤルチェだって、どうにかしようとがんばっていたのだ。
(それなのに……)
どうして、こんなに歪んでしまうのだろう。
歪んで生じた隙間のなかに、どうして呪いというのは忍び込んできてしまうのだろう。
(ヤルチェさんが持っていたあの工具)
あれは、よくできた呪具だった。
香木を用いた柄に刻まれたものは、崩した〈完成された文字〉だった。ノザリアンナ呪術が細かに施されている、呪いを孕んだ工具だ。
(あれは、特別に用意されたものです)
ヤルチェのためだけに誂えた工具だった。主として扱われ、汎用性のあるものではない。ヤルチェの魔法を汚す、工具だった。
(許せない)
あのようなもので、子どもの心の隙間に入り込む。狙い撃ちにする。
(〈魔女の騎士〉……)
シェイラの敵だ。許すことなど、到底できない。
アノンの亡骸が思い出される。
シェイラは揺らめく怒りを、胸元の石を握り込むことで、どうにかやり過ごそうとする。
「──学院長を説得する方法を考えよう」
口を開いたのは、黙っていたイディオンだった。ウショーとシェイラに、指針を示すような口吻だった。
イディオンには、先日のロウェイン学院長とのやり取りを共有していた。ヤルチェが置かれた立場を知って、ウショーも自らの方針をあらためようとしてくれた。けれど、祭典で優勝を狙う学院長に阻まれたと伝えてあった。
ウショーが顔を上げる。
「説得するとは……?」
「ウショー師、あなたは悪くない」
イディオンは、落ち着き払った音を弾く。十九とは思えぬ、どこか為政者としての風格のある音だった。
「無論、あなたの方針が学環に影響を与えたのはまちがいない。だが、師もまた、祭典という行事の影響を受けた行動だった。その行動を維持させているのが、学院長の方針や意向だった。これは、だれが悪いという犯人探しではない」
シェイラは、不思議な気持ちでイディオンを見やる。
なにも語り合っていないのに、シェイラとイディオンは同じことを思っているようだった。むしろ、イディオンのほうが、より物事から離れて見ている気がする。感情から遠ざかった、そんな物言いに聞こえた。
「相互に影響し合って、どこからか上手くいかなくなってしまった、そういう問題だ。ひとりだけの話ではない」
「……はい」
ウショーが呑まれたように返事をする。背筋が伸びているようだった。
だが、とイディオンはつづける。
「今回の場合、だれが悪くなかったとしても、学院長には方針をゆるめてもらわなければならないだろう」
断定していなくても、確信めいた言い方だった。
「学院という組織である以上、そこで過ごすものは長の影響を直接的にも間接的にも受ける。学院長もまた花の祭典という枠組みに影響を受けるが、祭典を目指すのであれば、なにもひとつの手段にこだわらなくてもいい。それでもこだわるのは、上手くいく方法をそれしか知らないからだ。《《それしか知らない者に、組織に大きな影響を与える力がある》》。それこそが、問題だ」
ウショーがひとつ肯く。考えに及んでいなかったことに気づかされた、そういう肯きだった。
「ならば、学院長にそれ以外の方法があるのだと知ってもらえばいい」
「どのように……?」
そんな方法があるのか、とウショーは首をかしげる。
シェイラは思い至って、イディオンを見上げた。縹色に答える。
「……自鳴琴」
シェイラのつぶやきに、イディオンは、肯定するように口角を上げる。
「自鳴琴をどうする?」
まるで、シェイラを試すようにイディオンは尋ねる。
「ヤルチェさんの、自鳴琴の魔法です」
シェイラはイディオンに答えるようにしながら、ウショーにひらめきを伝える。
きらりと、頭のなかが光った。
「ウショー師、ヤルチェさんの魔法を学院長にお見せしましょう。協力してください!」
シェイラの突然の提案に、ウショーは筆頭教導師の貫禄を失って、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「どういうことです……?」
「全員壇上に上がりながらも、歌でも舞踊でもなく、モルリオールの街の素晴らしさと魔法を伝える方法はあるんです。それを見せましょう! 伝えるのではなく、見せるのが一番です」
シェイラは興奮していた。ひらめきの確信。うまくいく、と直感を覚えるもの。セレリウスの振り子。イディオンの魔法を思いついた時。
同じひらめきだった。
そんなシェイラに、イディオンがやや呆れながらも、ほほ笑む。あとはシェイラに任せた。そんな信頼を感じる笑みだった。
「ロウェイン学院長を、唸らせてやりましょう!」
シェイラは、明るい声を凛と響かせた。




