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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち【6/6完結予定】  作者: 稿 累華
第10章:ついてくる少女─後編─

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198話:ヤルチェの焦り

 ヤルチェは、焦っていた。


 まもなくエレンシアの月が終わって、ガルバディアの月に入る。花の祭典まで一ヶ月という時期に入ってしまう。

 それなのに、あのおまじない屋は姿を消してしまったのだ。忽然と、姿を消してしまった。フェーリばあさんに聞いても、


「さあねえ。もともと適当なところでいなくなるって言ってたからねえ」

 と返されてしまって、埒が明かなかった。


(どうしよう)


 では、ヤルチェはどうすればいいというのだろうか。

 ヤルチェは、あいつらにどう復讐してやればいいというのだろうか。


 はじめは、ためらいがあった。あの女の足を挫かせてしまった時、罪悪感に苛まれて蝕まれてヤルチェはしばらく眠れなくなった。苦悶した。

 だれかに見つかったらどうしようという不安がもたげた。


 けれど、怪我をし、舞台に立てなくなったあの女の姿を認めた時、ヤルチェのなかには、ぽこっと愉悦が泡で浮かんできたのだ。


 ──ざまあみろ。


 その快感は、ヤルチェを次の行動に走らせた。


 もうひとり、あたしを囲ってきたやつ。恥をかかせて、決めつけてきたやつ。あの女も。


 それは、ひそかにずっと沈んでいた欲望の、一角のようであった。生まれてからこの十数年、馴染むことのできなかった軋みをとかした欲望で、かたまりとなった一角だった。


 なんで、あたしだけ。どうして。枯れた向日葵。


 ずっと抱え込んできたものだった。どろどろとした瀝青だった。

 ヤルチェは、川辺を覗き込んだ。美しく澄んでいるはずのエレ川の雪解け水は、川淀に入り込んで濁っている。底の土と落ちた葉が混ざり合って、死んだアリや羽虫が浮かんで、夕陽に照っていた。


 まもなく陽が沈む。帰らないと、カーサたちに迷惑をかける。

 ヤルチェは口惜しい気持ちを覚えながらも、そっと立ち上がった。



「──やあ、お嬢さん、こんばんは」



 背にかかった声に、ヤルチェは帰路へと向けようとした足そのままに、その人物を捉えた。

 長外套(ローブ)頭巾(フード)をかぶっているが、顔はよく見える。屈託のない笑みを浮かべた壮年の男だった。


 だれだろうか。

 そう思ったけれど、既知の人物のような不思議な感覚がした。親しげで好意的な笑みがヤルチェにそう思わせたのかもしれない。


「……こんばんは」


 ヤルチェはぺこっと頭を下げて、一言、挨拶を返す。そのまま、男の横を通り抜けようとした。



「──なにか、悩んでいることがあるのかい?」



 ふっと、耳からヤルチェのなかに入り込むような、おだやかな声だった。おもむろに男を見る。


「そういう顔をしてるよ。僕でよければ、聞こうか? 話を聞くことは得意なんだ。話してみると、すっきりすることがあるよ」


 今日はじめて会ったはずの見知らぬ他人が、二言目、三言目には、人の内心に迫ったことを尋ねる。


 常であれば、ヤルチェの常識と警戒心は働いていた。こんなだれも来ないような、夏草が生い茂ったようなところで出会う人物なんて、碌な人間ではないと判断できたはずだった。

 けれど、ヤルチェは追い詰められていた。袋小路のネズミ。川淀に入り込んで出れなくなってしまったアリ。


 人間は追い詰められると、まともな判断ができなくなってしまう。

 だから、男に誘い込まれるままに、ヤルチェは帰る時間も忘れて、訥々と自分の境遇や起きたできごとを話していた。

 話し終えると、男が言うように、少しすっきりしていた。ひとりでずっと抱え込んでいたからかもしれない。



「──かわいそうに」



 男は、熱心に相槌を打ちながら聞き終えると、まずそう言った。


「なんて、かわいそうなんだろう。とても……つらかったね」


 ああ、とヤルチェは思った。

 そうだ。自分はつらくて、たまらなかったのだ。どうしようもなく、今がいやでたまらなかった。


「今までよくがんばってきたね」

「……はい」


 涙が出てきた。だれかから、そう声をかけてもらえるだけで、こんなにほっとする。枯れた向日葵であるはずの自分に、慈雨が注がれる。


「だれも、君の苦しみをわかってこなかったんだろう」

「……はい」

「ほんとうにつらい日々だったね」

「はい……っ」


 (はな)をすする。涙が止めどなく出てきた。表情に出にくい自分が、ここまで他者の前で泣くのは、はじめてだった。


「まじないにまで頼ったのに、そのまじない師はいなくなってしまった。拠りどころがなくなって、ますます君はかわいそうだ」


 そうなのだ。心の拠りどころだった。ヤルチェは、それに頼るしか、もうなかった。


「そんな君に、僕が力を貸してあげよう」


 すうっと、男の声は心の隙間に入り込む声をしていた。

 ぐちゃぐちゃになった顔を上げる。


「これを使うといい」


 臙脂色の長外套から出された男の左手は、義手だった。真鍮の色が、昇ってきた下弦の月に照らされている。その手には、工具があった。打ち抜き用の工具。──ヤルチェが、父の工房で作っている円盤(ディスク)を打ち抜ける工具だ。

 持ち手は、香木。あまい、霧のようなにおいがする。側面になにか文字が彫られていた。学校で習う共通文字ではない。先端は鉄でできているようで、使い慣れているものに似ていた。


 なんで男は、こんなものを持っているのだろう。

 まるで、ヤルチェがこれを日々使っているのを知っているみたいだった。


 つづく男の言葉で、疑問は霞んでいく。


「僕は、君が通っていたまじない屋から話を聞いていてね。急にいなくなって困っているだろうからってこれを持ってきたんだよ」


 たしかに、あのまじない屋には、ヤルチェが自鳴琴を作っていることを話していた。


「これを使って、新月の日に、いつものように魔法を使ってごらん」


 男は言う。


「そうすれば、君の魔法ができあがる」

「あたしの……魔法?」


 そうだよ、と男はぞっとするほどおだやかな声で肯定する。


「君の魔法を奏でれば、きっと、復讐を果たすことができる」

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