12.一難去って…
「アイ様っ!!」
「え、あれっ、ゾイドさん!?」
相変わらずいい筋肉だと頬が緩む私だったけど、彼は切羽詰まったような表情でこちらまで走ってくると、がばっと私を抱き締めた。
その拍子に手にしていたシャベルがガシャンと床に落ちる。
「よかったぁ。どこも怪我はしてないですか!?」
「え、あ、はい」
安堵するように息を吐くゾイドさんの息苦しいほど強い抱擁に内心喜びつつ、私は口を開く。
「ゾイドさん、どうしてここに?」
「時間になってもアイ様が来なかったので、心配になって学園まで迎えに来たんです。それでたまたま居合わせたレドロギア様にその話をしたらすぐに調べてくれて、男爵家のご令嬢がアイ様を連れて中庭の方へ向かったと目撃情報が上がってきたので、嫌な予感がして……」
と、ここで私を離すと、周囲を見渡す。
そして、いつのまにか気絶していたらしいタイデンさんと縛られた眼鏡様に目を向ける。
「あの方は……」
「倒れている女子生徒が、その男爵令嬢のミッチェル・タイデンさんで、縛られているのがバレンチス家のご子息のウィーン様です。後ろから襲い掛かられたので、反射的に蹴り倒して、気絶しているうちに彼の持っていた縄で固定しといたんですけど」
と、その言葉で部屋の温度が急に下がったような感覚に陥る。
「は? 縄? なんだそれ……」
途端にゾイドさんがいつも纏っている陽だまりのようなほんわかした空気感が消え去り、野盗と対峙した時のように全身に殺気を纏う。
「俺のアイ様に、何をする気だったんだ」
そしてゾイドさんは、初めて会った時のように私を守るように抱き上げると、尚も溢れ出す凍えるほどの殺気を更に強め、眼鏡の方に足を進める。
「許さない」
「ゾイドさん、待って、待って下さい!」
確かにさっき私は、彼を埋めてしまえばと一瞬頭をよぎったけど、何も本気で思ったわけじゃない。
折れそうなほどに細い体躯の彼を渾身の力で蹴り飛ばしたし、察するにダメージは相当きているはず。その状態でゾイドさんの攻撃なんて受けたら、冗談抜きで死ぬ。
だけど怒りで血が上ってしまっているのか、私の制止する声も届かないようで、ゾイドさんの足は止まらない。目の奥は仄暗く、完全に理性を失っている。
このままじゃヤバい。
バレンチス様がどうなってもいいんだけど……って言うのは語弊があるにしても、あきらかにこれ以上はやり過ぎだ。しかも相手は宰相の息子だ。
下手をすればゾイドさんに何らかの処罰が下るかもしれない。
「ゾイドさん! ねえ、ゾイドさんってば! 私は大丈夫だったんで、これ以上はもう」
やっぱりだめだ。
どうしよう、今私にできること……彼が足を止めてくれる方法。我に返るほどにびっくりするような……。
とここで、一つ思い付いたことがある。
それで本当にゾイドさんの動きが止まるか分からないけど、他に案も思い浮かばないし、考えている時間もない。これでもし止まらなかったらただただ小っ恥ずかしいけど……。
「……っ!」
私は心の中で気合いを入れ、意を決してゾイドさんの首に思いっきりしがみついて全体重をかけてこちらを強引に向かせ、羞恥心も何もかも投げ捨てて、そのまま彼の唇に自分のそれを重ねた。
勢いあまってごつんと額同士がぶつかり合って痛むけど、それすらもお構いなしに、私はただ彼と唇を合わせ続ける。
すると──。
バレンチス様に手を伸ばす直前だった彼の動きが止まった。
恐る恐る瞑っていた目を開けて彼の様子を伺うと、目にはいつもの光が戻っていた。
「よかったぁ」
私はそっと彼から唇を離すと、安堵の息を漏らす。
が。
「ゾイドさん??」
目を見開き、口を半開きにした状態で、今度は完全に固まっている。
体を叩いたり揺すってみたけど、反応はない。
私の身体は未だにゾイドさんに抱きかかえられたままだから、さすがに自分の力で彼の腕を振りほどくのは無理そうだし、このままゾイドさんが意識を取り戻すか、この騒ぎを聞きつけて誰かが来るのを待つしかないのだろうか。
無理だと思いつつゾイドさんから逃れようともがいていると、入り口に散乱した壊れたドアの残骸を踏みつけながら、とある人物が衛兵を引き連れて中へ入ってきた。
乙女ゲーム屈指の人気と美貌を持った金髪のその人は、私も良く見知ったお方だった。
「ウィリアム殿下……」
「まったく、話を最後まで聞かず突っ走るとは」
なんでこんなところに殿下が、と思ったけど、とりあえず殿下の御前だ。カーテシーを披露しようと試みるが、なにせ私を抱きかかえたままのゾイドさんが未だにこっち側に戻ってこないので、この国で尊ぶべき存在であるウィリアム殿下を遥か頭上から見下ろすというとんでもない不敬状態のまま、とりあえず頭だけは限界まで下げる。
対する殿下はこちらをちらりと一瞥したけどそのことに関しては特に何も言わなかったが、不機嫌極まりない顔だった。
多分レイチェル様が近くにいないのも理由としてあるだろうなと思いながら、口を開く。
「殿下はどうしてこちらにいらっしゃるのでしょうか」
すると、やはり機嫌の悪そうなのを隠そうともしない低い声で、
「俺とレイの逢瀬中にそこのゾイドが飛び込んできたんだ。で、心優しい彼女がお前の行方を調べ、目撃情報があったと聞いた瞬間、嫌な予感がするからと勝手に突撃しに行った。俺としてはそのまま放置しても良かったが、レイから追いかけて様子を見てきてほしいと言われ断れなかっただけだ。で、どういう状況だ?」
「えっと、そのことなんですけど」
ここで私は殿下にだけ聞こえる大きさの声にすると、事情を説明する。
「……という感じなんですけど、これって私が罰せられたり、責任を取って彼と結婚させられるとか、ないですかね。だってほら、私一応ゲームのヒロインだったし、彼も攻略キャラだったので」
バレンチス様の隠蔽工作は間に合わなかったし、殿下もゲーム云々のことはよくご存じのはずなので、私は正直に話すことにした。
すると話を聞き終わった殿下は大きなため息をつく。
「確かにゲームの強制力が働くかも、という不安は分からなくはない。だが、この状況は誰がどう見てもウィーンに非があるだろう。それにだ」
ここでいったん殿下は言葉を区切ると、ぎろりと私を睨みつける。
「お前のその理論で言えば、俺がレイと結ばれることもないと言っているようなものだ。そんなことがあると、お前は本当に思うのか?」
あ、やばい。殿下の瞳の中にメラメラと凶悪な炎が宿っている。
私は首が取れかけた壊れたおもちゃのように頭を横にぶんぶん振り回すと、慌てて否定する。
「申し訳ありません! そのようなこと、たとえ天地がひっくり返っても絶対にありえないことです!!」
「ふん。分かったならいい」
消火に成功し、私はこっそりと安堵の息を漏らす。
そうこうしている間に、殿下が連れてきた兵達に事情を説明し、ウィーン様は柱から取り外された後別の縄で拘束され、連行されていった。
ついでに気絶中のミッチェルさんも一緒に連れていかれる。
彼女の家が不正を働いていたのは事実だけど、私は直接攻撃されたわけじゃないからできれば穏便に済ませてほしいななんて思ったが、それはきっと私が口を出せることじゃない。
ただ、バレンチス様のように縄でぐるぐる巻きにされてはいなかったから、少しはましな扱いだったらいいなと心の中で願う。
「ところで、そのデカブツはいつまで固まっているんだ?」
殿下が一層不機嫌そうな顔でくいっと顎でゾイドさんを指す。
「えーと、それが、呼びかけたり叩いたりしたんですけど、うんともすんとも言わなくて」
すると殿下は鼻を鳴らしながら、
「ならさっきと同じことをしてみたらどうだ」
「え、同じことって」
「とぼけるな。この俺ですら、口付けは許されていないというのに、そんな俺の前でよくも見せつけてくれたな」
殿下の言葉にようやく彼が何を示しているのか理解し、途端に顔が赤くなるのを感じる。
「あ、あれはその、不可抗力といいますか……って見ていたんですか!?」
「まるで俺が覗き見していたような言い方はやめろ。俺が突入しようとする目の前で、こちらの存在に気付かずにお前が勝手にしたんだろうが」
「……」
やばい、超恥ずかしい。おかげでゾイドさんの動きが止まったとはいえ、人の目があったなんて想定外だった。
……というか、今殿下、さらっと衝撃発言してなかった???
あれだけ四六時中一緒にいて?
しかも時にはべったりくっついておいて?
冗談だよね?
「あのぉ、殿下、レイチェル様とまだ、その、されていないのですか……?」
けれど恐る恐る発言したこの質問に、殿下は絶対零度の冷気を纏った視線を私に送る。
「愛しい人との初めての口付けは、皆に祝福されながら行われる結婚式でないと嫌だとレイから言われているんだ」
なるほど。
確かゲームの最後のシーンで、純白のドレスに身を包んだヒロインが、結婚式で王子様と初めての口付けをするというスチルが激萌え爆死必須だと、姉が悶え転げていた。
ゲーム経験者であるレイチェル様が、ゲームヒロインと同じ展開を望むのは分からなくもない。
そしてそんな彼女の望みを、レイチェル様至上主義の殿下は律儀に守られているのか。
改めて、殿下の愛の深さを感じた、ような気がする。
「俺の話はいい。ともかく、いつまでもこの俺の上から話すな。不快だ。さっさと終わらせて、この男を再起動させろ。俺は一刻も早くレイの元へ戻りたいんだ」
「そう言われましても……」
あれは勢いというか、とにかくゾイドさんを止めたいという気持ちの強さで強引にできたんだけど、改めて口づけをと言われると、途端に引っ込んでいた羞恥心が顔を覗かせる。
「早くしろと言われても、恥ずかしいじゃないですか。心の準備というものが」
「一度したら二度も三度も変わらんだろう」
「変わりますよ!」
だけどこのままじゃ埒が明かないことは私も分かっている。このままだと冗談抜きで、ここで一夜を過ごす羽目になるかもしれない。そのくらいにゾイドさんが動き出す気配がないから。
でもでも、だけど、だって……と意味のない言葉を繰り返しながらもごもごしていると、殿下が盛大な舌打ちをする。
そして、
「うるさいさっさとしろ」
殿下から腕がのびてきて私の頭をがっと掴まれたかと思うと、そのままゾイドさんの顔に押し付けられた。
「むぐっ!?」
他人の力によってゴリゴリ押し付けられただ唇と唇がぶつかるだけの、色気ゼロの行為。
しかし効果はあった。
「はっ! 俺は一体何を……」
顔を離してしばらくすると、ゾイドさんは意識を取り戻し、だけど状況が読み込めないようで何度も目を瞬かせている。どうやら青いのに攻撃しようとしたところで彼の記憶は途切れているらしかった。
けれどそれに対し、殿下がご丁寧に説明をする……なんてことはなく、
「状況は後でそこの聖女から直接聞け。いいから早く戻るぞ」
そう言い放ち、これでようやく愛しの婚約者の元へ帰れるとばかりにさっさとこちらへ背を向けて歩き出す。
訳が分からないという顔をしているゾイドさんに、とりあえず後で話すので今は殿下の言葉通りにしてくださいとお願いすると、首を傾げながらも彼は慌てて殿下の後を追った。




