慰められる
課長の予想通り、成瀬さんのアシスタントを希望する人が出てきた。何かあったら、変えられると思うと落ち着かない。そして成瀬さんの昔の話も、同じくらい私の頭の中を占領する。
考えたくない事と、考えないといけない事がたくさんあって、結局まとまらない。
嫌なことは続くもので、そんな中事件が起きた。
昼に、アポなしで成瀬さんに会いに来た人がいた。成瀬さんは新幹線で出張で、戻りは遅いし連絡も取りにくい。直接会ってそれを説明することにした。
その人は会社の近くの取引先の人で、河田と名乗った。
会えないことは予想していて、でもトラブルに困って思わず来てしまったと、説明した。
「前もこんな時に直接きたら、成瀬さんがたまたま会社にいて対応してくれたことがあったから、つい」
約束をしていない以上、向こうも仕方ないとわかってくれた。
「成瀬に急ぎ伝えますので、こちらからすぐ連絡します」
「昔からの付き合いで成瀬さんが忙しいのは知ってるから」
そう言いながらも、見るからに焦っている。
「良かったら、内容を伺ってもいいですか?成瀬と連絡が取れたら伝えます」
河田さんは簡単に説明するけれど、私が聞いても理解しきれない。誰かにヘルプを頼もうとしても、生憎誰もいない。
反応の良くない私を見て河田さんも苦笑いする。
「私が対応できればいいのですが、すみません」
「成瀬さん、いつもよくしてくれるから、ついわがままを言ってしまって。でも、できればすぐに連絡ください」
そこに後ろから声がかかった。
「牧野さん、どうしたの?」
振り返ると、そこにいたのは柳原さんだった。こちらに近寄ってきて、笑顔で河田さんに挨拶する。柳原さんは私へ向き直る。
「こちらは?」
「成瀬さんに会いに来たのですが、今不在でして」
柳原さんは目を丸くする。
「もしかして、急ぎの用事ですか?」
その言葉に、河田さんは大きく頷いた。
「私も焦って来てしまったのですが…不在なら戻ります」
帰ろうとした河田さんを、柳原さんは引き留めた。
「待ってください。私で良ければ対応しましょう」
「え?」
私は柳原さんの言葉に目を丸くした。
柳原さんが成瀬さんのヘルプをするなんて、とてもではないけど信じられない。
「もう成瀬に連絡つくと思いますので、すぐに折り返させます」
柳原さんは私を手で押し留めた。
「緊急時に担当がいないと言って終わりにするのは良くない。手が空いているから、対応するよ」
柳原さんの言っていることはおかしくないのに、何だか嫌な予感がする。
河田さんの話に柳原さんは大きく頷いて何かを返すと、河田さんも頷いた。そのまま柳原さんは話しながら、私と河田さんの間に体を滑り込ませた。
その仕草は、私がそこに入れないようにしてるように感じた。
柳原さんはそのまま河田さんを連れて、フロアを後にして、私は一人取り残された。
とても、嫌な予感がした。
*
あれからかなり時間は経って、柳原さんも河田さんもいない。トラブルは解決したのか、成瀬さんは連絡が取れたのか、何も分からない。
休憩室に奥平課長が入って来た。課長は頭を抱えている私を見て驚いた。
「牧野さん、どうしたの?」
私がさっきの出来事を話すと、課長は途中から真剣な顔になった。
「牧野さんだと、まだトラブル対応は無理だと思うよ」
「ですが…」
「指導も成瀬の仕事だから。そこがまだ成瀬もできてなかったってことだろ。戻ってきたらちゃんと成瀬にも報告して」
「はい」
「でも、柳原もいいところあるな。困ってる君のこと助けてくれたんだし」
そうなのだろうか?私は曖昧に頷いた。課長は苦笑いした。
「そうだろ?成瀬が困っても、ヘルプなんてしないよ」
私は膝の上で手を握って、躊躇ってから口を開いた。
「課長は知っていると思いますが、成瀬さんと柳原さんって」
そう言ってチラリと課長の顔を伺う。その顔は、私の考えを理解したものだった。
「だから、尚更気になるというか、何かあるんじゃないかって」
課長は足を組んで、大きくため息をついた。
「これは成瀬のミスだ」
反論しようとした私に、課長はチラリと視線を向けるとそのまま話し続けた。
「柳原は正しい。緊急時は助け合うのが普通だ。むしろ感謝していい」
そして私の顔を見て、少しの後に視線を外した。
「対応に不備があったのも、君がきちんと説明できなかったのも、全部成瀬の責任だ」
課長のいうことは正論で、それはわかっている。
課長は息を吐いて、天井を見上げた。苦い顔だった。
「実は以前も柳原さんに色々言われて…だから不安というか」
課長は困ったような顔をする。
「何かあっても、成瀬がなんとかするよ」
ちょっと突き放したような言い方に、私は納得がいかなかった。
「あいつはこんなことで負ける様なヤツじゃないし、くじけられても困る。今後もそんなことはあるよ」
「はい」
「だから君もしっかりしないと。それが本当の意味で成瀬を助けるってことだ」
それでも困った顔をしていた私に、課長は困ったな、と呟いた。
「成瀬も立場が変われば敵もいる。君もそれを理解して強くならないと」
課長の言うことはわかる。でも、割り切れない。俯いたままの私に課長は静かに息をはいた。
「とりあえず、今日は助けてくれたのだから、ちゃんとお礼を言って。もし君の心配する様なことがあれば、その時は成瀬が対応する。君は任せなさい」
「はい」
奥平課長は立ち上がると私の顔を見て口を開いた。
「この間の指導者変更の件、誰が君と組みたいって言ったか、わかる?」
課長は小さく息を吐いて、口を開いた。
「柳原だよ」
その名前に私はとても驚いて、でも、すぐに納得できた。
「わかった?あいつは必ず君を取りに行くと思うよ」
課長は今までのどんな時よりも真剣だった。
「もし、柳原が成瀬の成績を抜いて、君と組んだらもっと成績をあげるからと言われたら、断れないよ」
「どうして、柳原さんは成瀬さんにそんな態度をとるのですか?」
「柳原は成瀬に対抗意識が強いから。成瀬とずっと張り合っている」
そこで課長はふうと大きなため息をついた。視線を遠くへ彷徨わせる。
「行きたいポストがあって、それを争う立場の人間がいたら、負けないように頑張るのは普通だろう?」
「そうですけど…」
そんなものだろうか。私はまた大きなため息をついた。
結局、成瀬さんが帰って来たのは夜だった。一人で残っていた私を見て、彼は厳しい顔を少しだけ緩めた。
私が立ち上がると、成瀬さんは小さく笑った。
「やっぱりいた」
「え?」
「君はまだ会社にいると思ったよ」
成瀬さんは黙って私の隣の椅子に座った。いつも音もなく座るのに、今日は大きな音がした。疲れているのだと思わせる音だった。
「あの、昼の話」
成瀬さんはネクタイを引っ張って緩めた。上のボタンを外すと、大きく息を吐いて、天井を向く。顔をあげたまま、口を開いた。
「その話は、もう終わった」
その言葉で、私は理解した。
多分、終わったのだ。私に、私たちに一番よくない形で。
「柳原さんから連絡もらった。うまく対応してくれたみたいで、トラブルは解消した」
「そうですか」
「この流れで、しばらくあそこは柳原さんが対応するって」
成瀬さんは片手で髪をかき上げた。大きくため息をつく。なんとなく、これからそこは柳原さんの仕事になるのだろうと分かった。柳原さんがそうしたのか、向こうの希望なのか、それはわからない。ただ、結果的に成瀬さんのマイナスになってしまった。
私のせいで。
私がきちんと対応できていれば、こんなことにはならなかった。
成瀬さんの役に立ちたいと頑張っていたのに、やったことは足を引っ張るだけだった。
「私のせいです」
「俺のミスだ。君は気にするな」
私を励ますように、成瀬さんが声をかける。
「でも、私が、ちゃんとしていたらこんなことには。成瀬さんの仕事にマイナスになって…」
俯いたままの私がすみません、と言うと成瀬さんは隣で苦笑いした。
「そんなに謝らないで。俺のミスだから、君は気にしないで」
そう言って顔を私に向けた。
「あそこは元々他の会社が取引していて、とるまでがちょっと大変だった。ダメージはあるけれど、でも取引先は他にもあるし」
「そんなに大変なところだったんですか?」
思わず聞くと、視線をそらして成瀬さんは笑った。間を埋めるためだけの、さみしい笑いだった。
「忘れた。…だから君も忘れて」
黙っていると、成瀬さんは困った様に眉を寄せた。顔を正面に向けて髪をかきあげる。
「仕事でミスしたと思ったら、挽回するには仕事で成績を出すしかない。落ち込んでも仕方ないよ」
私は成瀬さんを見つめた。彼の目は真っ直ぐ前を見ていた。
「だから、明日から頑張ろう。君も、俺も。それしかない」
情けなくて、涙が出そうだったから、私は俯いて唇を噛んで頷いた。
私が頷いたのを見て、成瀬さんは明るい声を出した。
「お腹空いてない?ご飯付き合ってよ、今日は少し飲みたいし」
そう言って笑う。もう、いつもの成瀬さんだった。目が合うと、私を励ますように頷いた。
「君はまだ仕事しているだろうと思って、誘いに来た」
疲れてるだろうに、気を使ってくれる、その優しさが伝わる。
だけど逆に泣きたくなる。大切な人のために、自分が何もできないから。
悔しいのも、怒る権利があるのも成瀬さんの方で、だからもっと冷たい態度でもいいのに、これ以上ないくらい優しかった。だけどもし私が悲しい顔をしたら、成瀬さんがもっと責任を感じる気がした。
「今日は私もお酒、飲んでいいですか?」
そう聞くと嬉しそうに笑った。
「よし、行こうか」
私はデスクの上を片付け、パソコンの電源を落とした。成瀬さんは私の準備が終わるのを待って立ち上がった。
「この間のお店ですか?」
私も立ち上がりながら問いかけると返事はなかった。思わず顔を成瀬さんに向けると、じっとこっちを見ていた。
「あの…」
どうしたんですか?と尋ねようとしたら、それよりも先に成瀬さんが口を開いた。
「やっぱり、少しだけ慰めてもらっても、いい?」
その顔は真剣で、私は成瀬さんから目が離せなくなってしまった。
どういう意味ですか?と聞こうとした言葉は、結局出すことができなかった。
次の瞬間、彼の腕が伸びて私は彼に引き寄せられてしまったから。
何があったのか理解できなくて驚く私を、彼の腕はしっかりと囲い込む。
「少しだけ、こうしていて」
頭の上から彼の声が聞こえた。
自分の心臓の音がこれ以上ないくらい大きく響いている。
その腕はすぐに離れる気配がなくから。
私も恐る恐る腕を伸ばして、彼の背中に手を当てた。
その腕の中は暖かくて、心地良くて、欲張りな私はここから離れたくないと思ってしまう。だから、戸惑いながら、そっと頬を彼の胸に寄せた。
今だけは、この人を独り占めしても、許されるような気がした。
慰めて、と頼まれたのは私なのに、私の方が慰められているような気がした。
仕事の描写は作者の想像です。事実と異なることもあります。




