第十六話 夢現
サブタイトルは「ゆめうつつ」と読みます。「うつつ」だけ平仮名でも良いかなと思いましたがこっちの方が好きなのでこっちにしました。
学校の屋上に入るのに憧れたことがあるのは、私だけではないだろう。しかし、今屋上のフェンスを掴んでいる私の心臓の高鳴りは、間違いなく喜びの類いではなかった。
──ここから落ちたら、流石に死ねるよね。
下を見ると、見慣れた街並みがまるでミニチュアのようになっていた。あの中に私の家もあるはずだが、どこなのかはパッと見ただけでは分からなかった。もし見つけてしまったら決心が揺らぎそうなので、その方が良かったのだが。
私はフェンスに足をかけ、よじ登った。網目が手に食い込んで少し痛いが、そのうち痛みも何もかも感じなくなるだろう。てっぺんまで登って空を見上げるとさっきは見えなかった小さな雲が浮かんでいて、手を伸ばすと届きそうだ、なんて思ってしまった。
「天国ってあるのかな」
ポツリと呟いた。デネブは天界の存在は話していたが、天国や地獄については何も言っていなかった。輪廻転生とか言っていたので、もしかしたらそんなものは無いのかもしれない。……いや、そんなこと本当はどうでも良かった。天国がどうとか、輪廻転生がどうとかよりも、頭に浮かんで離れない顔があるのだ。
「……由梨ちゃん」
結局、私は死ぬまであの子に恋をしなければならないらしい。死んでも叶わない恋なんて辛い以外の何物でも無いが、彼女を困らせるくらいなら死んでも良い。恐らく、私が死んだらクラスのみんなもハルちゃんをいじめるのをやめるだろう。遺書だって書いてある。死人が出たら、流石にみんな罪悪感に苛まれるだろう。そう、私は自分が苦しいから死ぬんじゃない。友達を、想い人を救う為に死ぬのだ。その信念を謎のカササギ男に邪魔される筋合いは無い。
私は両足をフェンスの向こうに投げ出した。前に体重をかければもうまっ逆さまに落ちて死ねる段階だ。
『真帆ちゃん』
彼女の声がまだ私を呼ぶ。最期に会いたかったな。そんなことを思いながら、私は網目を掴んでいた両手を離した。
──さよなら。
心の中でそう言った次の瞬間、私は落ちていった。
……フェンスの向こう側ではなく、屋上の床に。
──え、何で?
栄誉の死を目前にしていた私を、確かに誰かが止めた。私の手首を誰かが掴んで引き止めた。混乱していた私の頭上に、やけにしょっぱい雨が降りかかった。
ゆっくりと目を開けると、由梨ちゃんの泣き顔があった。
「……真帆ちゃん」
「……由梨ちゃん?どうして?」
由梨ちゃんはその質問には答えず、私を抱き締めた。
「ごめんね。私バカだからさ、真帆ちゃんに何があってあんなことしようとしたのかまだ分かんないの。真帆ちゃんが何でそんなに悩んでて、何で私達まで避けてるのかも全然分かんない。……でもさ、死なないでよ。真帆ちゃんは私の大事な親友なんだよ?」
大事な親友。その言葉で私の目から涙が零れた。
「真帆ちゃん。私は何があっても真帆ちゃんの味方だよ?例えあなたがどんな人になろうとも、どんなことをしようとも、どんなことを言われようとも私は一緒にいる。……それじゃ駄目?」
私は夢でも見ているのだろうか。死ぬ前の夢って、こんなに幸せなものなのか。なら私はずっとこのままで良い。
「……駄目なわけ、無い」
恐る恐る触れた彼女の手は、普段の温かさが嘘のように冷たく、汗ばんでいた。
「でも、何でここにいるの?由梨ちゃん授業中じゃ……」
「それが私にもよく分からなくて……」
「……え?」
事の重大さとは裏腹に、由梨ちゃんは能天気な口調で続けた。
「さっきまで授業受けてたはずなのに、気づいたら屋上にいたの。それで、フェンスの方を見たら真帆ちゃんがあんなことしてたから……」
まさかそんな魔法みたいなこと、と考えてようやく気付いた。私の魔法だ。私は死ぬ前に由梨ちゃんに会いたいと願った。
「ひょっとして、これって夢?」
そう言って笑う由梨ちゃんは、やっぱり綺麗だった。




