143.刻まれた名
イングスは、モリジュの葬儀の為に居城の北西の池-石見の鏡-にグィンと共に向かった。
通常、イシュデンで亡くなった人々は、町の墓石の前に体を運ばれて、葬儀が行われる。
ただし、池で亡くなった人だけが別である。池で亡くなった場合は、池の前に建ててある墓で葬儀を行うのだ、
イングスが石見の鏡と呼ばれる池のフチに行くと、すでにマチルダとメチルの姿があった。
彼女たちは町にいると思っていたが、早く祖母に会いにきたかったのだろう、すでに泣きながら池の前に建ててある墓の石を磨いている。
池で亡くなった場合、体が回収できない場合が多いらしい。池で命を落とした人の葬儀をする場合、体が無いので、代わりにこの墓石を大切に磨くのだ。
墓石は横に大きくて、大人が前に座って3人分ほどの幅がある。
前面だけが滑らかに磨かれている。そこに、今までに池で亡くなった人たちの名前が刻まれている。
通常の町の墓石には名前など刻まれないのに、池で亡くなった人だけ、名前が刻まれ、残る。
体が回収できなかった代わりに名前を残すのかもしれない、と、イングスは思う。
それにしても、記憶に抜けが無ければ、今まで自分が生きてきた中で、池で命を落とした人はいなかった。なのに、皆は池で亡くなった者の葬儀の方法を知っている。
それはこちらが、町の暖かで穏やかな墓とは異なる、悲しみ漂う墓であり、このような亡くなり方をした人がいるということを、常に思い出させるからなのかもしれない。
イングスは涙を落としながら墓石を優しく撫でるように拭いているマチルダとメチルの肩をたたき、自らは墓石を手で触った。
モリジュお婆さん。
墓石に触れると、じわりと胸に感情がこみあげてきた。イングスは自分の中にこみあげた感情をじっと抱いた。
あんなに元気だったあなたが、こんな風に亡くなるなど・・・思いもしなかった。
モリジュの姿を思い浮かべて、ふと思う。
あなたは、この町で誰より長く生きて・・・最後は、この町に名前を刻む逝き方をした。
誰よりも町に根付き町に生きた人。
悲しみで胸が震えそうになった。泣かなかったのは声を抑えたからだ。
ふと、横のメチルが呟いた。
「・・・オルディアンナ・・・」
イングスはメチルを見やった。
メチルの目の先をたどって、メチルがモリジュの名前が刻まれるはずの空白の前、つまり現在刻まれている名前の最後にある名前を読み上げたのだと分かった。
メチルは気丈にもイングスに泣き笑いの顔を見せた。
「お婆ちゃんの、前に、いる人です。全然知らない人・・・」
イングスより先に、父であるグィンがメチルの頭を撫でてやった。メチルがワッと泣きだしてグィンに抱きついた。
メチルの様子に、イングスは胸が詰まった。
メチルが墓石を磨く布を落としたので、それを拾い上げて、墓石を少し磨こうとした。
そもそもここには、領主として、残された近しい者たちと同じに墓石に挨拶をし、墓石を磨きにきたのだ。
弔う儀式として。
先ほどメチルが読み上げた名前、次の空白を特に丁寧に磨く。
ここにモリジュの名前が刻まれるのだ。
磨きながら、イングスも、その上にある名前を心の内で読み上げた。
オルディアンナ
それは、言いかえれば、モリジュの前に池で命を落とした人の名前ということになる。
オルディアンナ
・・・確かに知らない名前だ・・・。
ここに刻まれた人たちは、石見の鏡で亡くなった人たち。40人ほどの名前が刻まれており、墓石にはまだ空白の方が多い。
これ以上、ここに名前を刻まれるようになる人が増えなければいい、とイングスは祈った。
まだ墓石を拭き続けていたマチルダもメチルと同じように堪らなくなったらしく、手を止めてワァワァと泣きだした。
グィンがマチルダの名前を呼び、マチルダをメチルと一緒に抱きとめる。
その様子を見やり、イングスはもう少し墓石を磨き続けた。
大きな墓石。
磨いて、磨いて・・・池の方から風が吹く。
イングスはその風にふと目を上げて、墓石の向こう、まるで鏡のように広がる静かな池の面を見詰めた。
池は変らず静かで、けれど人はこんな風に喜怒哀楽で日々を目まぐるしく送り、生まれて生きて亡くなるのだ。
イングスはまたふと目を墓石に落とした。
ツ、と、目が、墓石に刻まれた名前を撫でる。
“オヌーグ・ナナキーナ”
イングスは目を見張った。
ナナキーナ?
墓石の一番前に、刻まれていた名前。
ナナキーナ
この名前は・・・つい数時間前、祭壇の向こうにいる存在から聞いた名前では?
そうだ、ケルベディウロスさんから聞いた時、何か知っている気がした。
ここで読んでいたのだ・・・。一番初めの名前だからこそ、この墓石を見る際に、よく読み拾っていたに違いない。
イングスはじっと墓石のその名前を見詰めた。
一番初め。
いつの時代だ?
同じ名前なのは単なる偶然か?
一番初め。
だとすれば・・・。もっとも古い時代ならば・・・書庫に記録が残っている可能性がある。
どのような人物がイシュデンに来ていたか、集まっていたか・・・皮肉な事に、古い時代ほど、書物がよく残っている。
イングスは、ため息を静かに、傍の3人には分からないように吐いた。
それから、イングスはグィンに葬儀の流れを告げた。
1時間後に、町の人たちもここに来ること、その連絡を町にはしておくということ。近しいものはそれよりも前に来るだろうこと。夕刻には、墓石にモリジュの名前を刻むということ。
グィンが了解したので、イングスは先に居城に戻る事にした。
戻りながら、今、行うべき事を頭の中で整理する。
自分が改めて赴くのは、夕刻の前になる。
それまでにはアトロスを起こして、モリジュの葬儀を告げなければならない。
だがもう少し眠らせてやりたい。また夜に行動を頼むことになるだろう。
庭師のデルボとサルトには、墓を花で飾るよう頼んでおこう。
そうだ・・・外からの客人・商人についても事情を話さないとならないだろう。
町の皆には、葬儀とは同時進行で、娘さんを探すよう頼んでおく必要もある・・・。
商人には、言葉がわかる者がついている必要がある。
共通言語が分かるのは、自分と、グィン、サリシュ。そして、クリスティン。
いつもならグィンに頼めるが、今日はグィンは葬儀を優先するべきだ。
サリシュは、部屋から出てこない。
クリスティンは、商人が娘について疑っている以上頼むわけにはいかない。
ならば自分しかいない。だが手が回るだろうか。
町への連絡をデルボかサルトに頼んだ方が良いだろうか。
いや、だが今日はマチルダとメチルも不在になる。
食事の用意が必要だ。墓の花はデルボに任せて、いつも料理補佐をしてくれているサルトに料理を頼んだ方が良い。
いや、町の食堂に食事を依頼するべきか。
だが町の食堂も今日は葬儀用の食事で忙しくなるだろう・・・。




