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144.信じる

あぁ、そうだ、サリシュに朝食を届けるのを忘れないようにしなければ。

行うべき事柄を考えながら、イングスは思った。


サリシュが、傍にいてくれれば・・・。

今日は、グィンとマチルダ、メチルが居城に不在になる。いつもに増して多忙になった状態で、いつもに増して人手が足りない状態。


それとは別に、ナナキーナという存在についても調べておきたい。書庫の記録を見る時間が取れるだろうか。今日の晩、再び祭壇の向こうの存在と連絡を取り合う時までに調べられればいいのだが。


あぁ、そうだ、オドクロウさんだ。書庫を常に使っている、あの人に協力を頼もう。どの書物を見れば良いか、案外早く見つける事ができるだろう・・・。


あぁ、オドクロウさんも、共通言語が話せる。いや、だがあの人は霧の研究をしに来ていてサリシュほどではないが部屋から出てこない。

商人の傍に今日一日いてもらうことは・・・。


イングスはまた、思った。強く強くなった。


サリシュが、出てきてくれたら。


イングスは少し考えるために目を閉じてまたすぐ開いた。


どちらが良いのか分からない。出てくるべきなのか、今のまま部屋に居続けるべきなのか。

きっと長い歴史の視点で見るならば、記憶を保つために、サリシュが部屋に籠るのは正しいことなのだろう。

けれど。


イングスはふと息子の事を思い出した。

自らが受けた運命の事も。息子自身が聞いてきた運命の事も。


『子は 世界を動かすであろう』

『あなたは 世界を救うだろう』


イングスはふっと空を見た。


ひょっとして、アトロスはこの状態を改善してくれるだろうか?


それから気付いた。


あぁ、世界を救うなんて言葉というのは・・・救われたい者が、救いを求めて誰かに言う言葉に違いない。


イングスは気持ちを立て直した。

今は 勤めを最大限行えるよう努めるだけだ。


***


イシュデン。

夜もほとんど眠らずに自分の部屋で一生懸命行方不明になった女の子ダロン-本名ツォルセティーナ-を探しだすために、祭壇に向かって助けを求め続けていたクリスティンは、父と母からモリジュお婆さんが亡くなったこと、今日その葬儀があることを伝えられて、家の外に出た。

日はすっかり昇っていた。お昼にはまだ早いけれど。


もう皆モリジュお婆さんの家に集まっている。皆は、モリジュお婆さんの息子のトールランドさんの指示に従って、家具を外の広場に運び出していた。


町では、亡くなった人の家具は一旦家の外に出して、日の光に当てる。家具も亡くなった人にお別れの挨拶をするからだ。

空っぽになった家の方は、親しかった皆でお掃除をする。いろんな場所で、亡くなった人の過ごした気配を感じながら。


モリジュお婆ちゃん、本当に亡くなっちゃったんだ・・・

クリスティンはその光景に、ただでさえ泣きっぱなしの目にまた涙を溢れさせた。


石見の鏡-池-に落ちて亡くなってしまったのだという。

悲しみでいっぱいになって、すぐには動けず、人々の動く様子をただぼぅっと見つめていた。


そんな中で、自分より年上のクラスのキロンが、皆に怒っているのが目に留った。

何を叫んでいるかまではまだ聞きとれなかったけれど、なんだか言い争いをしているみたいだ。

不安で心配になった。クリスティンはキロンの傍に行った。


キロンは今は何も言っていないのに、なんだか体の中でたくさんたくさん、けれどたった一つの事を叫んでいるように見えた。

皆がキロンの周りを離れてキロンが残っている。

キロンも家具を出すようにと声がかけられるのに、じっと動かない。


クリスティンは不思議に思った。

声をかけた方が良いように思った。その方がキロンの力になれる気がした。


「キロン・・・どうしたの?」


キロンはチラリとクリスティンを見た。どこか残念そうに、なぜだか嫌そうに「セレスティンか・・・」と呟いた。


クリスティンは、自分がセレスティンと呼ばれていることを知っていた。

自分が、いたずら妖精のセレスティンに似ているからだ。

ただしクリスティンは、いたずら妖精の事も好きだった。だからセレスティンという名前で呼ばれていても別に良かった。

自分の名前はクリスティンなのに、どうして他の名前で呼ぶのかな、とは不思議に思ったりするけれど。


クリスティンはもう一度キロンに声をかけてみた。

「どうしたの? 何かをガマンしてるの? ・・・お腹が痛いの?」


キロンが鼻で笑って呟いた。

「バーカ、違う・・・」


「でも・・・キロンは、何か、泣いてるよ?」

「俺は泣いてない」

キロンは苛立った様子で、クリスティンの方に向き直った。


「泣いてるのに、気付いてないよ・・・?」


キロンは怪訝な顔をした。それからじっとクリスティンを見詰めた。


クリスティンは首を傾げた。

「どうしたの・・・?」


どこか探るような真顔になって、キロンが口を開いた。

「・・・お前は、信じる? 俺の言う事」


クリスティンはじっとキロンを見た。


「セレスティン、キロンの言う事は放っとけ。というよりも、手伝えよ」

アルゲドが二人の傍を通りすぎながら、口を挟んできた。モリジュお婆ちゃんの使っていた、箱のような椅子を運んでいる。


クリスティンは声をかけてきたアルゲドを見た。アルゲドもまた苛立っている。

それからキロンを見た。キロンは、読み取れない複雑な表情をしていた。


クリスティンはまた首を傾げた。先ほどは左に傾げていたので、今度は右に大きく傾げる。

ケンカ・・・かなぁ?


「・・・」

キロンがじっとクリスティンの様子を見詰めながら、口を開いた。少し抑えたような声だった。

「池の死体は、モリジュお婆ちゃんじゃない。死体が見つかった後に、俺は、モリジュお婆ちゃんの姿を見た。だから、モリジュお婆ちゃんはまだ生きてるんじゃないかと俺は思う」


クリスティンはじっとキロンの様子を見詰めた。首はもう傾げていない。


モリジュお婆ちゃんは、生きている、かもしれない、と、キロンは言ったのだ。


「セレスティン、俺は嘘は言ってない」

真っ直ぐにキロンはクリスティンを見詰めていた。

クリスティンはその表情からキロンのもう一つの言葉を知った。


〝信じてくれ。俺の味方になってくれ。俺は本当の事を言ってて、嘘つきなんかじゃない”


「うん」

クリスティンはキロンをじっと見つめて頷いた。

「キロンは、本当の事を、言ってると思うよ」

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