108.アルパッサの目の前に
悪魔の病。うつる病。
皆を近づけさせてはいけない。家に小さい子どもがいる者もここには居る。大人なら病にかからなくても、その大人に触れた小さい子が発症する可能性もある。
いや、けれど。
アルパッサは昨日、ミト師に言われた言葉をきちんと思いだしている。
〝病は、うつるものでは、ないかもしれない”
どちらだ。
皆を避難させるべきなのか、皆に、このまま助力を求めるべきなのか。
返事がすぐ来ない。アルパッサは怒鳴った。
「リックデン! コテッツア! 病は!? どちらです!?」
「俺が知るか!!」
御者台からリックデンが怒鳴り返してきた。苛立っている声だ。
「知らないってー・・・!!」
なんて無責任な! じゃあなんでこんな事態に・・・!
そして同時に確信もした。病についての会話が成立した。つまり、これはやはりプラム様なのだ。
もしこの目の前の黒いイキモノがプラム様でなかったなら、アルパッサのいきなりの「病は!?」という質問に、リックデンなら「は? 何言ってんだお前?」と疑問を返すだろう。
アルパッサは今の状況に絶句した。
御者台では、リックデンがコテッツアに確認を試みたようだ。
「おい、コテッツア、病、どっちなんだ、うつんのか、大丈夫なんか、どっちだ」
「・・・頭痛い・・・気持ち悪い」
「ちっ、困ったヤツだなあー!! コテッツアがダメになってる。降ろせ降ろせ」
「リックデン、コテッツアを揺らさないで! 気分悪くなってるの! 乱暴にしないで!」
御者台で、世話人たちがコテッツァとリックデンの救出を行っている。
アルパッサの傍にいた世話人も御者台に向かう。
だが、アルパッサはその場に留まっていた。動けなかった。
自分は、どう判断したら良いのだろう?
オ・・・
声に、アルパッサはまた馬車の中を見た。
オ・・・
アルパッサは、混乱のせいで重く静かになった気持ちで声の主を見ていた。
なぜ、こんなに急に? なぜ、こんな風に、目の前に現れる?
どうして、こんな風に、いつもでは測りきれない・・・測らなくてもいいような事が、今日、今、起こっているんだろう。
もし病がうつるなら。
アルパッサは、泣いていた。自分では気づいていなかった。
もし、病がうつるなら。
自分がこの病になるんだろう。こんな姿になるんだろう。
自分もどこかに閉じ込められるんだろうか。長くずっと永遠に・・・。・・・死ぬまで?
混乱のせいで、アルパッサは心の声が口に出ていることに気づいていなかった。
アルパッサは呼びかけていた。
「あなたは、プラム様ですか?」
周りの世話人たちが、ぎょっとアルパッサを振り向いた。
***
オ・・・
馬車の中、黒い長い手が何かを探すように上に動き、天井にあたってビクリと止まる。
ォ・・・ゥ・・・。オォオオオオ・・・ゥ・・・
呻くような、助けを求めるような、長い声がした。
「アルパッサ」
世話人の一人が声をかける。
「プラム様、だって? プラム様って、言ったのか?」
そのまま、世話人はアルパッサの後ろから、肩に手を置いた。
「何泣いてる。俺たちがついてるじゃないか」
リックデンたちを手伝っていた世話人の一人も呟いた。
「プラム様・・・?」
ギギィ、と、大きく馬車が揺れた。御者台から、リックデンがやっと降りる事ができたのだ。
先に降ろされていた、停止前後の激しい振動に耐えられなかったらしいコテッツアの方は、青い顔をして、コテッツアの友人でもある世話人の女性に付き添われている。
「何泣いてんだ、アルパッサは」
リックデンが理解できないという表情で、しかし遠慮なく口に出した。
「泣いてません! 勝手に水出てるだけです! 私は ただ・・・!」
アルパッサは噛みついた。
そう、泣いているのではない・・・! アルパッサは自分に言い聞かせた。判断できない事を目の前にして泣くのは、子どものすることだ。
アルパッサは再び馬車の中に目をうつす。
リックデンもそれを追って馬車の中を見た。そして、少しため息をついた。リックデンは、肩の力を落としながら、集まっている皆にこう言った。
「あのなぁ、みんな。朝っぱらからこんな騒いで悪い、すまんなー。で、ちょっと経緯を説明するから、どうするかはみんなが決めてくれ。ただ、秘密にしてくれるよな? 今から言う事全て」
「・・・それはつまり今まで、何か私たちに秘密にしていた話があるということだね? リックデン」
腰を打ったマーゼさんを労わっていた世話人が応えた。
「ふぅん。仲間内で、隠しごとか。ふぅん」
馬をなだめて馬車から解放してやっていた世話人が、チラリとリックデンを一瞥した。
「ふぅん、ふぅん。へー、そう」
「・・・」
この雰囲気に、アルパッサは口をつぐんだ。
***
司祭の館の者は、うわさ好きである。
例えば、聞いてもいないのに、『ミト師が過去弟子に逃げられた話』を実に楽しそうに教えまくってくれるほどに。
だが一方で、彼らは身内以外にはその口を割らない。他の館・・・例えば、領主の館で働く者も同じなのだろうが、館の内での話は、館の外へは漏らさない。驚くほどの結束力だ。
だからこそか、仲間内で何かを隠されることを極度に嫌う。
外に向けての門戸はとにかく固い。何かを常に警戒しているのか、と、思うほど。
それを不思議に思った事が、昔にある。




