8話 確認のお時間ですわ
旧視聴覚準備室、通称「城」。その最初の仕事は、掃除だった。
日野さんは埃まみれの机に申請書を置いて携帯機を起動したきり、すっかり物語の世界に入り込んでいる。仕方なくぼくは備品の棚で見つけた雑巾を濡らし、積もった埃との戦いを始めた。
どうしてぼくは、初日から掃除係になってるんだ……
「月野さん。そちらの椅子は玉座にいたしますから、念入りにお願いいたしますわね」
「玉座って……ただのパイプ椅子ですけど」
「わたくしが玉座といったら、玉座なのですわ」
画面から目も上げずに言う彼女は、悔しいことに椅子に座っているだけで上に立つ者の風格があった。ぼくは文句を飲み込むと積み上がった机の山を崩していく。
するとその奥から、布をかぶった大きな箱が出てきた。
「あ、これはもしかして……」
「何かありまして?」
「これはもしかしたらアタリかも知れませんよ」
つい高くなった声を上げながら布を剥がすと、期待通り現れたのは古いプロジェクターだった。試しにコンセントを繋いでみると、低い唸りのあとでぱっと光る。
「映りましたわ!」
日野さんが椅子から立ち上がり、黒板に映った画面を前に目を輝かせた。
「素晴らしい。そういえば元は映画研究部の部室だとか言っていましたわね、もしかしてこれでゲームができますの?」
「はい! ゲーム機と繋げるケーブルさえ購入すればできると思いますよ、うわぁ〜楽しくなってきたぞ」
「ウフフ、なんだか今までで一番嬉しそうですわね」
……しまった。素で喜んでた
「す、すみません。大きい画面で遊べると思ったら、つい」
「謝ることではございませんわ。好きなものを前にした顔というのは、とても良いものですもの」
さらりと言われて顔が熱くなる。ぼくは慌てて雑巾を握り直した。
「そのケーブルとやらはわたくしが手配いたしますわ。型番を書いてくださいまし」
それからどれくらい経っただろう。机を拭き、最低限の埃を払った頃には窓の外はすっかり夕焼けに染まっていた。
「あら、もうこんな時間ですのね」
日野さんが携帯機を閉じ大きく伸びをする。令嬢の物語が、ちょうど区切りのいいところまで進んだらしい。
「そろそろ帰りませんと。明日からは部員募集ですわね」
「ですね。三人目を探さないと」
「ええ。そこで一つ確認しておきたいのですけれど」
鞄を肩にかけながら、日野さんは何でもない世間話のような口調で言った。
「あなたはゲーム部に誘えるご友人はおりまして?」
……ぐさっ。
心に言葉のナイフが突き刺さる音が、本当に聞こえた気がした。
(ま、待て。落ち着け。今のはただの確認だ。事務的な、事務的な確認…………)
頭では分かっているのに、膝が勝手に折れた。気づけばぼくは、さっき拭いたばかりの床に両手をついている。
「月野さん? どうかなさいまして?」
「いえ……ちょっと……家族以外の人から、真正面からそれを言われると……こんなにくるものなんだなと……」
「くるとは?」
「心に……直接」
「ではおりませんの?」
「追い打ちやめてください!」
「事実を確認しているだけですわ」
「事実だから刺さるんですよ! ……いません。一人も。ゼロです」
床に向かって白状する。声に出してみると意外なくらい清々しかった。
「そういう日野さんはどうなんですか。部長は日野さんですし、仲のいい人を誘うとばかり思ってましたけど……」
顔を上げると、日野さんは腰に手を当てなぜか誇らしげに胸を張っていた。
「もちろんおりませんわ! ゼロですの!」
「えっ」
「わたくし、生まれてこの方、友人と呼べる方がいた事など、ただの一度もございませんのよ!」
堂々たる宣言だった。ここは威張るところではないはずなのに、彼女の背後に後光が差して見える。
「え、でも……」
「わたくしはもう、本当に仲良くなりたいと決めた方としか友人にならないと決めておりますの。ご機嫌取りの仲など真平ですわ!」
さらりと言い切る口ぶりに悲壮感はなく、ただ事実を事実として並べているだけの声。本当に意外だった。そして……ほんの少しだけ、嬉しいような落ち着かないような気持ちになる。
「わたくしの周りに集まる方々は、肩書きや財布ばかり見ておりましたの。昔から……ずっと」
「昔から……ですか?」
「ええ、昔からですわ」
一瞬、日野さんの視線が窓の外へ逸れた。日野さんが時々見せる、ここではない遠くを見ているような顔を見る度に何故だか胸が苦しくなる。
「さて、お互いに友人がいないと分かったところで部員募集の話に戻しますわよ」
すぐにいつもの涼しい顔に戻って見せると、日野さんは続けた。
「確か部員募集は掲示板で募集ができるのでしたわね?」
「あ、はい。……でも、確か風紀委員会に許可を取らないと使えなかったと思います」
「風紀委員ですか……それは、どのような方々ですの?」
「校則とか身だしなみとか、学校の決まりごとを取り締まる委員会です。ぼくも、直接関わったことはないんですけど……」
「取り締まる。……つまり騎、いえ。警察みたいなものですわね? 得意分野ですわ!」
警察が得意分野って一体……? 嫌な予感しかしないのだが。
嫌な予感を覚え、僕が声を上げようとした時、扉が控えめにノックされた。
「あら〜、まだいたんですか? もう下校時間ですよ〜?」
顔を覗かせたのは国語をいつも担当している、古賀先生だった。両手にほうきとちりとり、それに肩にはバケツ。三角巾を被りマスクをつけていると、先生というより小学生に見える。
先生なのに、コガッチとかコガちゃんってみんな読んでるどこかおっとりした先生だ……僕はもちろん読んだことないけど。
「あら、それは失礼。それよりも先生はどうしてそのような格好を?」
「ああ、私がゲーム部の顧問になりまして、せめて掃除でもと〜。でも掃除やってくれてたんですね、用が済んだら早く変えるんですよ〜」
古賀先生は部室が片付いている事を確認すると、どこか疲れた笑顔を残し、ほうきとバケツを抱えてそそくさと去っていった。……これは顧問を押し付けられたな、可哀想に。
「さて、ではわたくし達も帰りましょうか」
鍵を閉めて城を出る頃には、電灯に灯りが灯る時間になっていた。
校門へ向かって歩いていくと、部活帰りの生徒がちらほらと見かける。……ところがぼくたちの姿が見えた途端不思議なことが起きた。
日野さんがただ歩いていくだけで、談笑していた女子の三人組が口をつぐんで壁際へ身を寄せ、階段の踊り場でふざけ合っていた男子たちは急に姿勢を正して道を空ける。まるで、見えない水が日野さんの前でさっと割れていくように。
……考えてみればそうだよな。確か噂では急に性格が変わったとか、僕は何て無神経な事を……。
教室の隅から眺めていた時は、ここまで鮮明には分からなかった。いや、別世界の人だと思い込んで分かろうとすはしなかった。
日野さんが歩けば音が引き、人も引く。誰も話しかけない。誰も近づかない。ただ遠巻きに、視線だけが集まっている。彼女はずっとこの中を歩いてきたのだ。
「ご覧なさい。わたくしが通ると、皆さん、海のように割れますのよ」
「……毎日、こうなんですか」
「ええ、毎日ですわ。誰も話しかけてはまいりませんの」
さらりと言う声に悲壮感はない。ただ、視線の先がほんの少しだけ遠かった。
「最初は物珍しい物ばかりで楽しかったのですが。最近は少々……退屈ですわね、慣れとは恐ろしいものですわね」
「慣れ」はなにを意味するのか僕にはわからない。……でも、「退屈」という言葉だけはどうしようもない本音のように思えてならない。
その時、すれ違った女子生徒二人の囁き声が耳に入った。
「え、あれ、日野さんの隣……」
「誰? あぁ〜同じクラスの……月野くん?」
視線が日野さんからぼくへと移る。細い針のような好奇の目を向けられ思わず俯くいてしまう。
「堂々となさい。あなたはわたくしと歩いているのですから」
「……はい」
周囲の目には、僕達はどのように映っているのだろう。そんな事を、僕はいつまでも気にしてしまうのだった。




