9話 風紀委員はやっぱりどこか怖くて
翌日の放課後、ぼくと日野さんは一階の突き当たりにある風紀委員室の前に立っていた。
扉の横に掛かった木札は墨が褪せるほど古いのに、その下に貼られた紙だけが真新しい。『入室の際は必ずノックし、所属と用件を述べること』
定規で引いたような几帳面な字を眺めているだけで、胃のあたりが重くなってくる。
昨日の「得意分野ですわ」が、まだ頭の中で再生されてるんだよな……大丈夫かな。
「ここが、騎士……学校警察の詰め所ですのね」
「委員会室です。あと、ここの人たちの前で騎士団って呼ぶのは絶対にやめてください」
「あら、似たようなものでしょう? 規律を守らせる者たちの砦ですもの」
「砦もだめです。本当に厳しいと評判なんですよ」
日野さんは不満げに小首をかしげたが、貼り紙にもう一度目を通すとふむと満足そうに頷いた。
「……まぁいいですわ。それにしてもここは、入室の作法がきちんと定められているのですね。中々に良さそうな場所ですわね」
「えっ、作法……思ったよりも好感触なんですね?」
……危なかった……危うく日野さんにも作法があるんですねって言うところだった……
「当然ですわ。わたくし、作法の守れない方は大嫌いですの」
言うなり彼女は扉を三度、よく響く音で叩いた。
「失礼いたしますわ。ゲーム部部長、二年の日野陽奈。部員募集の掲示板使用許可について、お話に参りましたの」
貼り紙の指示どおりに所属と用件まで述べきった声は、校内放送よりもよほど通りがいい。扉の向こうで椅子の引かれる音がして、「……どうぞ」と硬い声が返ってきた。
室内は教室ほどの広さで、壁際のスチール棚にはファイルが背表紙の色順に並んでいる。壁には校則を墨書きした額が掛かり、長机のまわりには腕章をつけた生徒が三人。そして一番奥の席で、一人の女子生徒がゆっくりと立ち上がった。
艶のある黒髪を後ろできっちり束ね桃色の縁をしたメガネがよく似合う美人。それが僕が感じた第一印象だった。
腕章には金糸で「委員長」の刺繍がある。たしか二年の風紀委員長の白石さん。全校集会で壇上に立つ姿を遠目に見たことはあるけれど、話すのはもちろん初めてだった。
こういう人は、ぼくみたいなのと一生関わらない人種だと思ってたのに……
背筋を定規でも入っているかのようにまっすぐ伸ばすと、白石さんの視線が日野さんの金髪と青い瞳をじっと見つめた。
「お噂はかねがね。あなたの髪色と目の色については、これまで何度も議題に上がっています」
「ご存じでしたの。ウフフ、おすすめの美容室をお教えしましょうか?」
「……ふぅ。校長先生の特別許可が下りている以上、わたしたちに口出しはできません……が」
最後の一言だけは、奥歯で噛み潰すような声だった。日野さんは気にした様子もなく、鞄から取り出した申請書を差し出す。
白石さんは受け取った用紙に上から下まで目を通したが、表情はほとんど動かない。ただ「ゲーム部」の三文字のところでペンを持つ指が一瞬だけ止まったように見えた。
……気のせいかな
「却下します」
「理由を伺っても?」
「あなたが募集をかければ、見物の生徒が大量にゲーム部に殺到するでしょう。あなたは自分の影響力をもっと認知するべきです。風紀委員会として許可は出せません」
「部員がいるならいるでよろしいでしょう? 人が集まるのは、よいことではありませんの」
「集まりすぎるのが問題だと言っているんです。数百人の志望者を、あなたはどうやって選ぶおつもりですか。面接ですか、それとも抽選ですか。まさか全員部員にするつもりではないでしょうね?」
日野さんは考えるように顎へ指を添え、ゆっくりと首を振った。
「わたくしを慕って集まったと言うのであれば、もちろん受け入れますわ。それなりの働きはしてもらいますが」
「それを横暴と言うんです。部室に入りきれない部員も出てくるでしょう、あまりにも不公平です」
「不公平ではございませんわ。わたくしの部ですもの」
「学校の部活です」
「ですから、学校の許しは得ておりますわ。顧問も、校長先生も」
「それは手を回したと言うんです!」
机を挟んで二人の視線が火花を散らす。ぼくはその端っこで、できるだけ壁の染みになろうと息をひそめていた。周りの委員たちも固唾をのんでいて、誰もぼくなど見ていないのが唯一の救いだ。
「……埒が明きませんわね」
先に息をついたのは日野さんだった。かと思うとぱっと表情を明るくして両手を打ち合わせる。
「では、こういたしましょう。イベントを開いて、わたくしの部に相応しい方を選出して差し上げますわ。人数を絞れば文句はないのでしょう?」
「……イベントですか?」
「ええ。腕を競う場を設けますの。勝ち残った方をゲーム部へお迎えいたしますわ。会場も景品も運営の費用も、すべてわたくしが持ちます。風紀委員会のお手を煩わせることは一つもございませんわよ」
「競うって何を」
「わたくしたちが遊んでいる、あのゲームですわ。月野さん、あれには人同士で戦える機能がありましたわよね?」
急に話を振られて、声が裏返った。この二人相手に説明すると思うと緊張が……。
「は、はい。育てたキャラクターで対戦する機能が……」
「それを使ってトーナメントを開きますの。いかがかしら?」
白石さんの手元で、ペンがまた止まった。今度ははっきりと数秒。
「……そのような遊戯で部員を決めると」
「遊戯で結構ですわ。ですが勝ち抜いた方は、少なくともその遊戯に本気で向き合った方ですもの」
さっきから、なんだか妙な反応のような……
ぼくが首をひねりかけたとき、一番手前に座っていた男子委員が堪えきれずに立ち上がった。
「そんな出鱈目なイベントを許可できるわけないだろ! 部員を絞るにしてももっとやり方が……」
日野さんの視線がゆっくりそちらへ向く。
「わたくしが全責任を持つと言ったはずですわ。それとも貴方はわたくしの事が信用出来ないと?」
声を張ったわけでもないのに、室内の空気がひとつ冷えた。男子委員は何か言い返そうと口を開き、結局何も言えないまますとんと椅子へ戻っていく。
……絶対に日野さんだけは怒らせないようにしよう。
白石さんは目を伏せ、しばらく用紙の縁を指でなぞっていた。やがて顔を上げたとき、その表情は元の硬いものに戻っている。
「分かりました。ただし校内で行う以上、風紀委員会が立ち会います。進行に問題があれば、その場で中止させていただきます」
「立会人をお立てになるのね。作法に適っておりますわ。歓迎いたします」
「歓迎していただく必要はありません、こちらはこちらで勝手にやりますので」
取り付く島もなく言い切ると、白石さんは用紙に判を押し、日野さんではなくぼくの方へ突き出した。
「あなたが受け取ってください。日野さんに渡すと、また勝手に何か書き足されそうですから」
「あ、はい。すみません」
なんでぼくが謝ってるんだ……いや、でも的確すぎる
風紀委員室の扉が閉まると、廊下の空気がいつもよりずっと軽く感じられた。昇降口へ向かって並んで歩きながら、ぼくは大きく息を吐く。
「寿命が縮みました……」
「あら、わたくしは楽しかったですわよ。あれほど真っ直ぐに言い返してくる方は久しぶりですもの」
「久しぶりって」
「ええ。皆さん、わたくしの顔色ばかり窺いますから」
さらりと言う横顔に、昨日の海のように割れていく廊下が重なった。返す言葉を探しているうちに、日野さんがくるりとこちらへ向き直る。
「月野さん。トーナメントのルールの草案は、あなたにお任せしますわ」
「ぼくが、ですか?」
「ゲームの事でしたら、わたくしよりあなたのほうがずっと詳しいですもの。わたくしは会場と資金と人手を押さえますわ」
「でも、大会のルールなんて作ったこともないですし、ぼくなんかが決めていいのか……」
「あなたは、わたくしの軍師ですわ」
きっぱりと言い切って、彼女はぼくの顔を下から覗き込んだ。金色の髪がさらりと肩から落ち、ふわりと薔薇に似た甘い香りが鼻先をかすめる。
「頼りにしておりますわよ」
……近い、近いです日野さん!
返事も満足にできないまま、こくこくと頷くのがやっとだった。日野さんは満足そうに微笑むと、軽く汗を流してきますわと弓道場の方へ歩いていく。
ひとり残されたぼくは、判の押された用紙を握りしめたまま熱の引かない耳を持て余していた。ふと振り返った廊下の奥、風紀委員室の扉の隙間からペン先が紙の上を走る音がかすかに漏れてくる。承認の記録にしてはやけに長く、やけに軽快な音だった。




