6話 わたくし、つみましたわ
月曜の朝、教室に入るなり日野さんがこちらに向かって早足で歩いてくるのが見えた。心なしか、まとう空気がいつもより険しい。
(何かやってしまったか、ぼく……)
身構えていると彼女は机に両手をつき、開口一番こう言う。
「詰みましたわ! なんとかしなさい!」
「……え?」
「あの令嬢詰みましたの。何度やっても、同じところで命運が尽きますのよ」
……あっ、あ〜ゲームか。びっくりしたぁ〜。
どうやら週末に買ったゲームで、早速壁にぶつかっているらしい。ほっと胸を撫で下ろしつつぼくは恐る恐る尋ねる。
「どのあたりで詰まってるんですか」
「三章の魔獣との戦いですわ。何度挑んでも、瞬く間に打ち倒されてしまいますの」
「ああ、三章のボス戦ですか。あそこ、初見殺しの攻撃パターンが多いんですよ」
「初見殺し……とは」
「予備知識がないと、まず避けられない動きってことです。ぼくも最初、十回くらい負けました」
「十回。あなたほどの手練れでもそんなに」
「手練れって……まあ、そこそこはやり込んでますけど」
「では、教えなさい!」
有無を言わせぬ口調にぼくは思わず苦笑した。命令口調のはずなのに、なぜか嫌な気はしないのが不思議なんだよな。
昼休み、日野さんは当然のように携帯機を取り出し机の上に置いた。
「見ていてくださいまし。今度こそ、突破してみせますわ」
そう言って挑んだ戦闘は開始十秒で終わってしまう。魔獣の一撃を真正面から受け、画面には無情にも「YOU DIED」の文字が浮かぶ。
「……あら」
「今の、完全に避けられるタイミングでしたよ」
「分かっておりますわ。分かっておりますけれど、指が思うように動きませんの」
「予備動作、見てますか。魔獣が腕を振り上げる瞬間とか、光る瞬間とか」
「見ているつもりですわ。見ているつもりで、反応が遅れますのよ。大体魔力障壁くらい使えないんですの? この令嬢は」
「いや、攻撃したら魔力障壁は無理ですね……」
「普通同時に出来るでしょう!!」
「え……ええぇぇ?」
結局、もう一度挑戦しても結果は同じだった。三度目も四度目も。次第に日野さんの眉間の皺が深くなっていく。
「おかしいですわ。わたくしなら、この程度――オホン」
一瞬出かかった言葉を彼女は慌てて飲み込んむと、ぼくは聞こえなかったふりをして画面に視線を戻す。
……時々いう彼女の意味深な言葉は、深くは追及しない方がいい気と脳内で警報が鳴っている気がする。
「ちょっと、プレイしてるところを横で見ててもいいですか」
「……どうぞ」
日野さんは画面を睨んだまま、もう一度挑戦していく。
ぼくは邪魔にならないよう、彼女の視線の動きを横から追ってみるとすぐに理由に気づく事ができた。
魔獣が腕を振り上げても、その目は画面の中央や体力ゲージのあたりをふらふらと行き来している。見ていないわけではないのだが、見るべき一点を絞れていないのだ。
「日野さん。多分、画面全体をぼんやり見すぎてるんだと思います。攻撃の予備動作だけに視線を絞ると、もっと早く反応できるはずです」
「予備動作だけ……ですの?」
「はい。全部を見ようとすると逆に遅れるので」
言葉で説明しながらも、うまく伝わっているか不安になる。そんな僕をみて、日野さんは黙って頷くともう一度挑戦を始める。
今度は攻撃を一つ躱すことができる。だがすぐに次の一撃を受け、結局は敗北した。
「……本当に躱せましたわ」
「はい、今の良かったです」
「もう一度いきます」
それから昼休みが終わるまで、日野さんは黙々と挑戦を続ける。五度目六度目と挑むうち、避けられる攻撃が少しずつ増えていく。だが二つ目三つ目の攻撃と続くうちに、また同じところで被弾してしまう。
「くっ……また、この連続攻撃で……」
「その後の隙が大きいので、一旦距離を取る選択肢もありますよ」
「逃げるのは、性分に合いませんの」
「いや……これは逃げるとかじゃなくて、戦術なんですけど」
「……む〜」
日野さんは一瞬押し黙り、それから渋々といった様子で頷いた。
「……分かりましたわ。今回だけ、特別に聞き入れて差し上げましょう。あなたの戦術とやらを」
次の挑戦で彼女は言われた通りに一度距離を取り、体勢を立て直してから反撃に転じる。結果、これまでで一番長く戦闘が続いた。
それでも最後にはまた敗北してしまうのだが、ここまで来れば後少しだろう。
「もう少しでしたね」
「フフッ。なんだかいける気がしてきましたわ」
ぼくは口を挟みすぎないよう、ここぞという時だけ短くアドバイスを挟む程度にとどめる。教えるという行為にあまり慣れていないのもあり、余計なことを言ってうるさいと思われるのが怖かった。
「あーもうっ! さっきはここ躱わせましたのに」
「集中が切れたら一度やめるのも大事ですよ」
結局その日のうちにボスは倒せなかった。翌朝、ぼくが教室の戸を開けると、日野さんはすでに自分の席から身を乗り出してこちらを待ち構えていた。腕を組み、口元がどう見ても緩んでいる。
(あ、これは……)
聞くまでもなく分かった。
「昨夜、突破いたしましたわ」
「本当ですか! おめでとうございます」
「ええ。あなたに言われた通り、攻撃の予備動作だけを見るようにしましたの。そうしたら、あれほど恐ろしかった魔獣の動きが、嘘のように読めましたわ」
「ああ、それですそれ。慣れると体が勝手に動くんですよ」
「三十七回目でしたわ」
「三十七回……数えてたんですか」
「当然ですわ。敗北の数を覚えておかなくては、勝利の価値が分かりませんもの」
胸を張る日野さんに、ぼくは思わず吹き出しそうになった。負けた回数まで記録しているあたり、本当に負けず嫌いなんだ。
「あなたの助言のおかげですわ。……感謝いたします」
「い、いや、そんな、ぼくは言っただけで……」
真正面からお礼を言われて、頬が熱くなるのが分かる。人に感謝された記憶なんて、これまであっただろうか。どう返せばいいか分からず目を泳がせるぼくに、日野さんはふっと目を細めた。
「謙遜は結構ですわ。あの令嬢も、きっとあなたに感謝しておりますもの。あの方が三章で朽ち果てるなど、わたくしが許しませんわ」
「それ、ゲームの話ですよね……?」
「もちろんですわ。他に何がありまして?」
(なんだか、本気で言っている気がするんだよな)
その日の昼休み、日野さんは携帯機を片手に前の席の椅子をくるりとこちらへ向け、当然のように腰を下ろした。
「うふふ。四章について語りながらランチでも食べましょうか」
「えっ、ぼくの前で、ですか」
「ほかの誰がいますのよ?」
(いや、そうなんだけど、そうなんだけど!)
ぼくの机を挟んで、すぐ目の前に日野さんの顔がある。窓から入る光を受けて、金色の髪がきらきらと揺れた。彼女が画面をのぞき込むたびに、シャンプーだろうか、ほのかに甘い匂いが鼻先をかすめていく。
「聞いております? さっきから生返事ですわよ?」
「き、聞いてます! えっと、その謎解きですよね」
いつの間にか突き出されていたゲーム画面には閉ざされた書庫の扉と、それを開くための四つの紋章が映っていた。
「何度考えても分かりませんわ。紋章の順番が鍵のようですけれど」
「あぁそれ、ヒントが三章の会話に隠れてるんですよ。魔獣と戦う前に、老司書が昔話をしてたじゃないですか」
「あの長々とした話ですの? 戦いの前でしたので、読み飛ばしてしまいましたわ」
「そこです。『月が欠ける順に、炎、水、風、地』って言ってたはずです」
半信半疑で紋章を押していった日野さんの前で、重い音を立てて扉が開いた。
「……開きましたわ。あなた、あの台詞を覚えておりましたの?」
「覚えてるというか、このゲーム、もう三周してるので」
「三周!? 同じ物語を、三度も?」
「ルートが分岐するので、全部見たくなるんですよ。令嬢の結末も、周回で変わりますし」
「結末が、変わりますの……?」
日野さんの声が、急に真剣な響きを帯びた。
「あの令嬢が報われる結末も、ございますの?」
「ありますよ。ぼくは、一番いい終わり方を知ってます」
「そうですか……うふふ、それはいい事を聞きましたわ」
日野さんは画面の中の令嬢を見つめたまま、楽しげに口の端を上げる。
「答えは結構ですわ。自分の力で辿り着いてこそ……ですもの」
窓からの光に縁取られた横顔が、思いのほか楽しそうで。ぼくは返す言葉を見失ってしまった。
(……こんな顔、するんだ)
「あぁ、そうでしたわ。そういえば、わたくし決めた事がございますの」
不意にこちらを向いた日野さんが、にっこりと微笑んだ。
「……え、なんですか?」
(……なんだろう。ものすごく嫌な予感がする)
そんなぼくの顔を見て、日野さんはますます楽しそうに目を細めるのだった。




