5話 休日に見る笑顔は何倍も眩しくて
ゲーム専門店の自動ドアが開くと、冷房の風と電子音の洪水がいっぺんに押し寄せてきた。
日野さんは入り口で足を止め、天井から吊り下がった派手なポップや壁一面のパッケージを珍しい生き物でも観察するような目で見回している。
「賑やかな場所ですのね」
「土曜なのでいつもより混んでますね」
ぼくにとってここは何十回も通った見慣れた店のはずだった。それなのに隣に彼女がいるというだけで初めて来た場所のように落ち着かない。
誰かを案内した経験などないから何をどの順番で説明すればいいのかも分からず、半歩遅れて後ろをついていくのが精一杯だった。
携帯機のコーナーには本体がずらりと並び、色違いのモデルが棚の上で競い合うように光っている。日野さんはその前でぴたりと立ち止まる。
「色が違うだけで中身は同じですの?」
「基本的には見た目だけです。限定カラーは少し高いですけど」
「では、これにいたしますわ」
迷いのない指先が示したのは、棚の中でひときわ目を引く限定カラーのクリアレッドモデルだった。値札を見てぼくは思わず声を上げる。
「ちょっと待ってください。それ、一番高いやつですよ」
「良いものを選ぶのに、値段を気にする必要がございまして?」
「いや、お金があるならそうなんですけど……」
「ございますわ」
(え、ええ〜。携帯ゲーム機が三十万……そもそもあれって、配信者とのコラボモデルでプレミア価格ついてるやつだよね? なんでこの店に置いてあるんだよ!)
僕が阿鼻叫喚していると、彼女は箱を抱え上げてしまった。金銭感覚の物差しがそもそも違うのだと思い知らされる。学園で女王と呼ばれているのは伊達ではないらしい。
本体を持ったまま日野さんはふと近くの試遊台に目を留めた。画面ではRPGの開始画面が点滅し、主人公の名前を入力する欄で止まっている。
(懐かしい! ◯F七のリメイク前じゃん。リメイクが出たから試遊にだすなんて、わかってるなここの店長は)
尖った金髪の男性を懐かしい目で見ていると、日野さんが吸い寄せられるようにコントローラーを手にした。
「名前を決めるんですのね」
「はい。試遊台だし大体は初期設定で遊ぶのがほとんどですけどね」
「嫌ですわ、ちゃんと名前は考えてあげませんと」
きっぱりと言って彼女は真剣な顔で文字を選び始める。しばらく悩んで打ち込まれたのは全く関係のない、でもどこかの世界で貴族をやっていそうな響きの名前だった。
「レオナルド・ソルライトですか?」
「えぇ、婚約者の名前にしてみましたわ」
「婚約者!?」
「オホホ! 冗談ですわよ」
せっかく変えた名前を元の名前に戻すと、それきり彼女は口を閉ざした。横顔がほんの少しだけ遠くを見ているように思えて、ぼくは続きを聞くのをやめた。
ソフトの棚に移ると、目当ての『悪役令嬢~転生ロイヤル~』はすぐに見つかる。
(令嬢ものなのに、対戦もできて有名配信者が配信を始めてから爆発的に人気が上がったんだよね。よかった、まだ売ってて)
ほっと息をついている僕の横で、パッケージの中央で凛と立つ令嬢の絵を日野さんはしばらく黙って見つめていた。
「気に入りました?」
沈黙に耐えきれずに口にしたのはそんな当たり障りのない一言だった。
(気に入りましたって……気に入ったから買おうとしてるのに、いったい僕は何を言っているんだ。うぅ、会話メモでも作ってくればよかった)
「……パッケージというのですか? 中々悪くないですわね。うふふ、より気に入りましたわ」
内心で葛藤している僕を笑い飛ばすかのように、満面の笑みを浮かべた彼女は箱を両手で大事そうに抱えてレジへ向かう。
(ま、眩しい! 日野さんってこんな笑い方もするんだ。勅使出来ない)
圧倒的な光を目の当たりにし、目を泳がせていた僕に更なる追撃が襲いかかる。会計をしてくれた店員が、ぼくたち二人を見比べて人の良さそうな笑みを浮かべのだ。
「彼女さんとご一緒にプレイ出来るなんて羨ましいです。こちら対戦機能もありながら、共闘機能も一部あるんですよ。いっぱい彼氏さんに聞いてくださいね」
「あら! 中々奥が深いのですわね。もとよりそのつもりですわ」
「ちょっ、ち、違います! 彼女とかじゃなくて、全然そういうのじゃなくて」
堂々と受け答えをする日野さんに対し、僕の否定は思ったより大きな声になった。店員は笑顔のまま会計を続けたが、ぼくの背中にはじわりと嫌な汗が滲む。
「あら。ずいぶん力いっぱい否定なさいますのね」
すると、隣から涼しい声が降ってくる。
振り向くと日野さんは澄ました顔で会計を済ませていて、からかわれたのか本気で言ったのか判別がつかず、ぼくはただ俯いて店員の手元を見つめ続けるのだった。
店を出ると日野さんは歩道の端に寄って、さっそく箱の包装を剥がし始める。
「ここで開けるんですか?」
「もちろんですわ、早く令嬢を救わなくてはなりませんもの」
しかし、本体を取り出したものの電源の場所が分からないらしく、彼女は困ったようにこちらを見つめてきた。
「どこを押せばよろしいの?」
「その上のボタンです。長押しすると起動します」
言われた通りに指を押し当てると小さな起動音が鳴り、画面がぱっと明るくなる。
その瞬間の日野さんの表情を、ぼくはたぶん一生忘れないだろうと思う。学園で誰にも見せたことのないような、子供みたいに無防備な顔だった。
「動きましたわ……!」
「いや、そんなに感動することじゃ……」
「あなたには分かりませんのよ。わたくしにとっては初めての一台ですもの」
その言葉が単なるゲーム機の話ではないような気がする。けれど……やはり聞く勇気は出なくて、ぼくは曖昧に頷くだけだった。
(日野さんって、やっぱり何処かで見た事あるんだよな〜。なんだっけ……雰囲気というかなんというか、あぁ〜ムズムズする!)
「さて、始めますわよ。このボタンを押せばいいのですわね!」
「えっ、いや日野さん。流石に家に帰ってからにしましょう。集中できる場所でやった方が絶対いいですよ」
「む〜。……まぁそれも一理ありますわね。今回は殿方のリードに従って差し上げますわ」
(か、かわいい。今日の日野さん、いつも学校で見る凛々しいイメージとまるで違うじゃないか)
なんとかゲームの初期設定や機械操作の仕方を教え、帰る頃にはすっかりあたりは夕日に包まれていた。
帰りの電車で日野さんは、膝の上に置いた紙袋を何度も覗き込み、ぼくは流れていく夕方の街を眺める。会話はほとんどなかったけれど、行きの時のような息苦しい沈黙とは少しだけ違っていた。
「では、帰ったらすぐに始めますわ」
「難しい所もあるので、詰まったら聞いてください」
「もちろんですわ。頼りにしておりますわね」
さらりと返された言葉が思いのほか胸に残って、ぼくは返事の代わりに小さく頷くことが精一杯。そんな僕のことを覗き込むように、彼女は笑顔を見せてくれる。
「本日はありがとうございました。付き合っていただいて」
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」
何に対する礼なのか自分でもよく分からないまま口にしてしまう。
「では、また月曜に」
軽く手を振って歩いていく後ろ姿を見送りながら、ぼくは今日一日の出来事を思い返す。休日を丸ごと誰かと過ごしたのは、思い出せる限り初めてのことだった。
楽しかったのかと聞かれれば楽しかったのだと思う。ただそれと同じくらい、ずっと気を張っていた疲れが体の芯に残っていた。
「また、月曜に……か。いつぶりだろう、そんなことを言われたのは」
家に帰って自室のベッドに倒れ込むと、スマホに一件の通知が届いていた。
『さっそく始めましたわ。……思っていたより難しいですわね』
思わず口元が緩んでしまう。返信を打っては消し、打っては消しを繰り返して、結局送ったのは当たり障りのない短い一言だけになってしまう……。
……それでも悩みに悩んで、送信ボタンを押した僕の顔は自然と笑みを浮かべているのだった。




