3話 日野さんとの待ち合わせ
「今日から、あなたに構うことにしたわ」
「はい……?」
唐突な宣言に僕の思考は完全に固まると共に、僕は間抜けな声をあげた。
「あの。構うって、具体的には……」
「言葉のままの意味ですわ。今日はこれから部活がありますの。終わるまで、図書室で待っていてくださいまし」
「え、いや、待つって、急に言われても……」
「急でなければ、待っていただけますの?」
その言い方に、断るという選択肢を丁寧に潰されている気がした。結局、ぼくは頷く以外の答えを持たなかった。
「では、また後で」
軽く手を振ると日野さんは校舎の奥へと歩いていく。残されたぼくは下駄箱の前でしばらく立ち尽くしていた。
(本当に、行くのか……?)
結局、断る度胸なんて持ち合わせておらずなぜ呼ばれたのか半信半疑のまま図書室へ足を向けるのだった。
——————
窓際の席で三十分ほど参考書を開いていたが、文字はほとんど頭に入ってこない。
(なんでこんな地味な僕なんかに構おうとするんだろ。ゲームくらいしか取り柄という取り柄なんかないのに)
やがて図書室の扉が開き、弓道の道着姿の日野さんが姿を見せた。緩く一つに纏められた金色の髪が肩から流れ落ち、頬には稽古の紅が残っている。
ふと目が合うと、青いカラーコンタクトの瞳がいつもの余裕とは少し違う色を宿しているように見えた。
「お待たせいたしましたわ」
「お、お疲れ様です」
「では早速ですけれど」
挨拶もそこそこに、日野さんはぼくの隣に座るとこちらの鞄を目で示した。
「昼間覗き見たあれ、もう一度見せてくださいまし」
「あ、はい」
ぼくはゲーム機を取り出し電源を入れた。前回、断罪イベントを回避したところで止めていたセーブデータが表示される。手元がわずかに震えているのに、自分でも気づいていた。
「では、進めてくださいまし」
言われるままに操作を進めると、物語は次の展開――主人公の令嬢が、周囲から見捨てられた状態でたった一つの選択を迫られる場面に差し掛かかる。
選択肢は二つ。『すべてを捨てて逃げる』か、『一人でも自分の正しさを証明しようとする』か。
「これはあなたが選ぶんですの?」
「はい、プレイヤーが選ぶ形式です」
「……逃げる方は、選ばないでくださいまし」
思いのほか強い口調だった。ぼくは思わず彼女の顔を見る。普段の余裕たっぷりな表情とは違う、真剣な色がそこにあった。
この人は、本気で画面の中の令嬢を心配しているらしい。その真剣さに気圧されながら、ぼくは黙って二つ目の選択肢を選んだ。
画面の中の令嬢は、たった一人でかつての仲間や敵たちの前に立ち続けることを選んだ。案の定、状況はさらに悪化する。追い詰められ、罵倒され、味方は誰もいない。
「……つらい展開ですわね」
日野さんの声にははっきりとした熱があった。まるで、画面の中の誰かを本気で応援しているような響きだ。
ぼくは今まで一人でこのゲームを進めてきた。誰かとこうして感想を交わす時間があるとは、正直あまり想像していない。
(本当は語りたいけど……。僕みたいな奴の感想なんて求めていないだろうし……)
しばらく進めると、令嬢の頑固な態度に周囲の一人、また一人が態度を変えていく描写が続く。小さな味方が一人ずつ増えていくシナリオだった。
「あら」
日野さんが、小さく声を漏らした。
「見てくださいまし。ここ、最初は敵だったはずの騎士が、令嬢の肩を持ち始めていますわ」
「少しずつ味方が増えるルートみたいですね。この展開結構好きなんです」
思わず熱くなって感想を漏らしてしまった。
(やば! ぼくなんかの意見は求めてないとか言われたらどうしよう)
しかし、日野さんの反応はぼくが考えていたものとは真逆のものだった。
「良いですわね、これ。とても、良いですわ! よくやりたしたわよ月野!」
(ちょっ! 近い近い、そんな近寄られると……。でも、こんなに共感してくれるなんて……)
繰り返す言葉の奥に、彼女自身の何かが重なっている気がした。それが何なのか気になったが、聞けばこの空気が壊れる気がしてぼくは結局黙っていることにした。
物語はさらに進み、令嬢が孤立していた頃に助けてくれた騎士との会話イベントに差し掛かる。選択肢が現れ、令嬢がどこまで本音を明かすかを選べる場面だ。
「ここも、選ばせてくださいまし」
「え、日野さんが選ぶんですか」
「少しだけ。よろしいでしょう」
断る理由もなく、ぼくはコントローラーを彼女に渡した。日野さんは真剣な顔で画面を見つめると、迷いなく「すべてを話す」の選択肢を選ぶ。
「本音を隠したままでは、誰とも繋がれませんもの」
その一言はゲームの中の令嬢に向けたものなのか、それとも別の誰かに向けたものなのか、判断がつかなかない。
ふと、休み時間にいつも一人でいる彼女の姿が頭をよぎる。誰にも本音を話さず、一人でいることを選び続けてきたのはぼくだけではないのかもしれない。
「今日は、この辺りで区切りにいたしましょう」
チャイムも鳴らない図書室で、日野さんが不意にそう言った。窓の外は、いつの間にか夕暮れに染まっている。
「明日も、見せていただけるかしら?」
「あ、はい。もちろんです」
「よろしい」
日野さんは満足げに頷いたが、それから少し考えるように黙り込んだ。
「……ねえ」
「はい?」
「わたくしも、このゲーム、やってみようかしら」
「え、日野さんが、自分で?」
「あなたの操作を眺めているだけでは、もどかしいですもの。自分の手で、この令嬢の運命を決めてみたい気がしますわ」
その言葉には、単なる思いつきにしては強い響きがあった。
「でも、これ携帯機がないと遊べないんですけど、日野さんは持ってるんですか」
「持っておりませんわ。ですから買いに参りますの」
「え、いきなり本体からですか」
「当然ですわ。ゲームだけあっても、遊べませんもの。せっかくですし本体もゲームも、ちゃんとお店で選んで買いたいのです」
思いがけない一言に、ぼくは少し戸惑った。携帯機一つ買うだけなのに、そこまでこだわる意味が、正直よく分からない。
「今度の休み、空いておりますか」
「え、あ、はい。特に予定はないですけど」
「では、決まりですわね。付き合ってくださいまし」
「あの、日野さんが一人で行っても、店員さんに聞けば……」
「あら、断るんですの?」
「い、いえ、そういうわけじゃ」
結局、押し切られる形で頷くしかなかった。断る理由が見つからないというより、断るという選択肢を思いつく前に流されてしまう。そういう自分の弱さに、少しうんざりする。
「今日、付き合わせてしまいましたわね」
「いえ、大丈夫です」
もっと気の利いた返事があった気がするが、思いついたときにはもう遅かった。
「あら、素っ気ないこと」
からかうような口調に、ぼくはどう反応していいか分からず曖昧に頷くだけ。
彼女はそのまま図書室を出ていく。友人と呼べる相手がいないはずのこの人が、なぜあんなふうに楽しそうにしているのか、ぼくには分からなかった。
残されたぼくは、画面の中でまだ立ち続けている令嬢を見つめながら、今日の出来事を反芻していた。日野さんがこの物語に見せる熱量は、単なる娯楽への興味とは、少し違う気がする。
——それが何なのかは、まだ分からない。
それよりも今は、今度の休みに彼女と出かける約束をしてしまったという事実の方が頭の中を大きく占めていた。
楽しみというより当日どんな顔をして会えばいいのか、そちらの不安の方が大きのだから。
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