2話 わたくし、目覚めたら知らない身体でしたわ
——悪役令嬢サイド——
目を覚ました瞬間、真っ白な天井が視界に広がっていた。
(あら。断罪の後というのは、こういう景色ですのね)
そう思ってからすぐ、違和感に気づいた。首も腕も思うように動かず、声を出そうとしても掠れた息しか出てこない。
ここは天国でも地獄でもないらしい。
「――っ、う……」
自分のものとは思えないほど弱々しい声だった。手首には細い管が刺さり、聞き慣れない機械音が規則的に部屋の中へ響いている。
(何ですの、この場所……)
そこは、見たこともない造りの部屋だった。壁も天井も妙に無機質で、魔力の気配というものが欠片も感じられない。灯りは蝋燭でもランプでもなく、白い光が部屋全体を均一に照らしていた。
困惑していると、頭の中にふと、説明のつかない理解が滑り込んでくる。
(――病院。ここは病院と呼ばれる場所ですのね)
考えて分かったわけではなかった。まるでこの身体に刻まれた記憶が、勝手に答えを差し出してくるような感覚だ。この世界では魔力で傷を癒すのではなく、こうした無機質な道具と知識で人の身体を治すものらしい。
(この身体の知識、ということですのね)
意識こそ前世のままだが、身体の方には持ち主が積み重ねてきた記憶や常識が薄く残っているようだった。呼び方も仕組みも、考えるより先に手が答えを差し出してくる。
枕元には、薄く光る板状の道具が置かれていた。目を向けた瞬間、名前が自然と浮かぶ。
(スマートフォン、ですわね)
前世で見たこともない代物のはずが、まるで長年使い慣れた道具のように操作の仕方まで手が覚えていた。手に取ると、そこには「陽奈」という名の通知が並んでいる。
(わたくし、死んだはずですのに)
断罪の壇上で石を投げられ、婚約者だった殿下に指をさされた記憶が蘇る。それでも、それはそれこれはこれと開き直っていたはずが、目を覚ませば知らない場所に、知らない身体だった。
(この身体、陽奈という名前でしたのね)
通知の中身を見て、わたくしは一瞬言葉を失った。
『きもい』『まだ生きてたの』『学校来るなよ』
悪意だけが凝縮されたような文字が並んでいる。日付を遡っても同じような言葉が延々と続き、行き着く先には、自ら命を断とうとした記録らしきものがあった。
(……なるほど)
しばらく黙って天井を見つめる。
この身体の持ち主がどれほど追い詰められていたのか、想像するだけで胸の奥がぎゅっと締めつけられた。誰にも守られず、誰にも味方をされず、ただ一人で抱え込んだ末の選択だったのだろう。
思えば、これはわたくしの前世とはまるで逆の生き方だった。我を通しすぎて断罪された自分と、我を通せなかった末に自分を消そうとしたこの子。行き着いた場所は違っても、根っこにあるものはさほど変わらない気がした。
(――これは、いささか腹が立ちますわね)
誰に対しての怒りなのかは、自分でもよく分からない。この子を追い詰めた者たちにか、それを止められなかった周囲にか。あるいは、それでも声を上げられなかったこの身体そのものにか。
いずれにせよ答えは一つしかない。
「――もう、我慢する必要はございませんわ」
病室に響いた声はまだ本来の持ち主のものより弱々しい。しかし、意志だけは前世から変わらずはっきりとしていた。
もっとも、意志だけあってもこの身体では話にならないことをわたくしはすぐに思い知ることになる。
医師の話によればこの身体は長期の入院、それ以前からの不摂生によって驚くほど弱っていた。満足に食事も取らず、体力もほとんど失っていたのだという。
前世の自分なら剣を握れば大抵の相手をねじ伏せられたはずなのに、今の腕はペットボトルの蓋を開けるだけで震える始末だった。
(これでは、いじめっ子を成敗するどころか階段を上るだけで息切れしますわね)
退院した日。鏡に映る自分の身体を見て、わたくしははっきりと方針を定めた。我を通すにも、まずは体力を取り戻さなければ話にならない。
(せめて魔法が使えればよかったのですけれど、この世界にはどうやら魔力そのものが存在しないみたいですわね)
前世で培った武術の心得など、今のこの身体には何の意味もなかった。技があってもそれを実行するだけの器が伴っていなければ、絵に描いた餅でしかない。
その日から、高校一年の夏休みはほとんど体力作りに費やされることになった。
朝は近所を歩くところから始め、少しずつ距離を伸ばしていく。前世で培った無駄のない体の使い方だけは覚えていたから上達は異様なほど早い。
一月もすると軽く走れるようになり、二月が過ぎる頃には階段の上り下りで息が切れることもなくなっていた。
「あら、随分とまともに動く身体になってきましたわね」
鏡の前で呟きながら満足げに頷く。前世の全盛期にはまだ遠く及ばなかったが、最低限、自分の身を自分で守れる程度にはなっていた。
身体を鍛える事と同時に、もう一つ始めたことがある。ーーそれは金策だった。
前世でも、戦うことと同じくらい金の流れを見極めることに長けていたつもりだ。貴族の令嬢という立場を利用し、裏で商会に出資しては利益を得る。そういう手管には、それなりの覚えがある。
この世界には数字を選んで当てる、賭け事に似た仕組みがあるらしいと身体に残った記憶が教えてくれた。数字を七つ選ぶ宝くじの一種だという。
(面白いですわね。数の並びから流れを読む遊び、ということですの)
過去に発表された当選番号を片っ端から調べ上げていく。前世で培った勝負事の勘は、こういった数字の羅列にも意外なほど通用した。単なる偶然に見えるものの中にも、僅かな偏りや癖が滲むものだ。
結果として、わたくしは数回の挑戦で目を疑うような当選金を手にすることになった。金額を知った時、この身体の親――陽奈の両親は腰を抜かさんばかりに驚いていた。
「お母様、お父様。このお金、このままにしておくのは勿体のうございますわ」
「い、いや、でも、こんな大金……」
「投資に回しましょう。わたくしに少し心当たりがございますの」
困惑する両親を説得し、資産の一部を運用に回させる。前世で見てきた伸びる商売と廃れる商売の見分け方は、この世界でもそう大きくは変わらないらしかった。
夏が終わる頃には、体力と、当面困らないだけの資金力の両方が手元に揃っていた。あとはこの学び舎で堂々と我を通すだけだ。
二学期、教室に足を踏み入れた瞬間、こちらを見て嘲笑おうとした生徒たちがいた。以前の陽奈であれば俯いてやり過ごしていたのだろうが、わたくしは怯えるどころか真っ向からその視線を見下してやった。
「あら、何かおかしなことでも? よろしければ、その理由を聞かせていただけますかしら」
凛とした声と揺るがない視線、そして以前とは見違えるほどしっかりした足取り。それだけで、相手の勢いは呆気なく削がれていった。
最初は戸惑っていた者たちも、次第に態度を変えていく。わたくしを貶めていたはずの生徒たちが、逆にこちらの機嫌を窺うようになるまで、さほど時間はかからなかった。
気づけば周囲は、わたくしのことを「学園の女王」と呼ぶようになっていた。もっとも、その呼び名に見合う自分になれたのは、この子が元々積み上げてきた素質と、わたくし自身が費やした夏休みの成果があってこそだと分かっている。
それから半年ほどが過ぎ、二年生への進級とクラス替えを迎えた春のことだった。
新しい教室。まだ慣れない顔ぶれの中で、わたくしはふと隅の席で一人ゲーム機に向き合う生徒に目を留めた。
誰にも構われず、誰にも興味を持たれることもなく、それでも自分の世界に没頭している姿がそこにある。
(前々から思っていたのですけれど、ゲームというものになぜか強く惹かれるのですわよね)
後ろからすれ違いざまにその画面を見つめると、そこにあったものはーー。
「ーーあら?」
その画面に映っていたのは、前世の自分によく似た姿の令嬢がーー断罪される姿だった。
わたくしはそれをみて、思わず足を止めるのだった。
AIイラストですが参考までにあげておきます




