1話 学園の女王とオタクのぼく
週一投稿を目指してます。
高評価、ブックマークもしよろしければお願いします。
昼休みの教室の隅、ぼくはいつものように携帯ゲーム機を取り出していた。
周りに気づかれないよう、机の下でこっそりと。もっともぼくのことを気にする人間なんて、この教室にはほとんどいないのだが。
「今日こそ、この断罪イベント突破するからな……」
小声で呟きながら、画面の中の令嬢に指示を出す。プレイしているのは『悪役令嬢~転生ロイヤル~』という、いかにもテンプレート的な設定のRPGだ。
断罪される令嬢を操作し、選択肢次第で破滅ルートを回避していく。ベタな魔法戦闘型のRPGだが、地味に作り込みが良くてぼくは暇な時間があればずっとこれをやっている。
クラスの喧騒は、いつも通りぼくには関係のない世界のものだ。中心にいるグループの笑い声、部活の話、恋愛の話。
どれも遠くのラジオみたいに聞こえていて、ぼくはその音を右から左へ流しながら、画面の中の物語に没頭していた。
こういう時間が、ぼくにとっては一番心地よい。誰にも見つからず、誰にも話しかけられず、ただ自分の好きなものに没頭できる時間。
「あら」
しかしその時間も、突然頭上から降ってきた声によって終わりを迎えた。
顔を上げると――そこにいたのは、日野陽奈さんだった。
この学園で、彼女を知らない人間はいない。成績優秀、運動神経も抜群。それだけなら「よくいる優等生」で済んだのだろう。
だが日野さんには、それだけでは片付けられない要素がある。腰まで届く長い髪は、この学校では明らかに浮いている金色に染め上げられ、瞳は青いカラーコンタクトで彩られていた。校則的には間違いなく引っかかるはずなのに、誰もそれを強く注意しない。
あの噂、確かいじめっ子達を成敗したとかいう胆力を思えば、正面から咎められる教師などいないのだろう。
でも、日野さんの場合はさらに絶対的な女王の貴賓というのだろうか。逆らったらいけないような、そんな支配者のオーラが日野さんを包み込んでいるような、そんな印象を感じさせていた。
誰かに媚びることもなく、誰かに気を遣うこともない。むしろ周囲の方が、いつの間にか彼女に気を遣うようになっていたんだ。
そしていつからか、生徒たちは彼女のことを、こう呼ぶようになっていた。
――学園の女王。
その女王が……なぜぼくの机の前に立っているのだろう。
近くでこうして見るのは、初めてだった。窓から入る風にさらりと金色の髪がなびく。その瞬間、ふわりと甘い匂いが漂ってきて、ぼくは思わず息を止めた。
(な、なんだこの匂い……シャンプー? いや香水? わからないけど、とにかくいい匂いがする……)
こんなことを意識している自分に気づいて、ぼくは内心で慌てた。生まれてこの方、女子とまともに話した経験なんてほとんどないのだから許して欲しい。
ましてこんな有名人と話す機会など、想像したこともなかった。距離感の正解が、まったく分からない。
「な、何か用……ですか」
声が裏返った。自分でも驚くくらい、みっともない声だったと思う。
周囲の空気が、一瞬でざわつきに変わった。近くの席の連中が、明らかに聞き耳を立てている。
「日野さんが、月野の席に……?」
「え、あの二人、知り合いだったの……?」
小さくともはっきりと聞こえてくる名前に、ぼくは背筋が冷たくなった。
(見られてる……いや、それより、なんでこの人こんなに近いんだ。もう少し離れてくれ……)
距離が近い。それだけで、頭の中が真っ白になりそうだった。
日野さんはぼくの動揺には気づいていないのか、それとも気にしていないのか、ただじっと画面を見つめている。青い瞳が、画面の光を反射して微かに揺れていた。
「それ」
「……え」
「今、動かしているそれ。もう一度、見せて」
有無を言わせぬ口調だった。逆らうという選択肢が、最初から存在していないようなそんな錯覚さえ感じられるほどの。
ぼくはほとんど反射的に、ゲーム機を彼女の方へ向けた。画面には、国家反逆罪として国外追放される令嬢のスチルが表示されている。
その時、日野さんの目がわずかに揺れた気がした。
「この令嬢……断罪されるのですわね?」
「あ、はい。攻撃系の魔法しか使えない設定で、聖女の家系なのに周りから責められて……ってところが、序盤のあらすじです」
言いながら、ぼくは内心で首を傾げていた。
(なんでこんなに真剣に聞いてくるんだ……?)
日野さんはぼくの説明を聞きながら、画面の令嬢を見つめしばらく黙り込んでいた。その横顔には、これまで学園で見せてきた女王の余裕とは違う、どこか落ち着かない色が浮かんでいる。
「ねえ」
「は、はい」
(また声をかけられた……女子とこんなに話すの、生まれて初めてかもしれない)
「この後、この令嬢はどうなるのかしら」
「え? あの、それはまだ進めてなくて……」
……嘘だ。本当はこの断罪ルートが難しすぎて何回も最初からリスタートしているのだが……。咄嗟に出てしまったんだからしょうがない。
「早く進めなさい」
有無を言わせない一言に、ぼくは思わず居住まいを正した。まるで、担任教師よりも威圧感のある命令だった。
「……ちょっとやってみます」
ぼくが操作を開始しても、日野さんはぼくの隣にしゃがみこみ、画面を覗き込んだまま動かない。
小さな画面が見えづらいのか、ぼくと日野さんの距離は密着状態に近い。
(近い近い! こんなんじゃ集中なんて無理だよ)
「なんで日野さんが、あんな月野の席に……」
「知らない、初めて見た」
その声は、当然日野さんにも聞こえているはずなのだが、彼女は微塵も動じる様子がない。
(すごいな……ぼくなら気にして死にそうになるのに)
肩が触れそうな距離で、また甘い匂いがふわりと香る。心臓が、勝手に速度を上げていくのが分かった。
(落ち着け、落ち着け……ただゲームを見られているだけだ……)
「……ふぅん」
やがて、彼女はふっと表情を戻すと、いつもの涼しい顔でぼくを見た。
「面白そうですわね。……それ」
「え、あ、はい。結構作り込まれてて、面白い……です」
「今度、詳しく教えなさい」
それだけ言うと、日野さんはあっさりと踵を返し、教室の前方――彼女の席の方へ戻っていった。金色の髪が、離れていく背中で揺れている。
残されたぼくは、しばらく状況を理解できずに固まることしかできていない。
(勘弁してくれ……目立つのは苦手なんだよ……あと、心臓もまだ落ち着いてない……)
だが、ぼくのささやかな願いは、この日を境にことごとく裏切られることになる。
放課後。ぼくが一人で下駄箱に向かっていると、そこには当然のように日野さんが立っていた。
「やっときたわね。わたくしを待たせるなんて、遅いじゃない」
「え……ぼくを、ですか」
「ほかに誰がいらっしゃるの?」
日野さんはぼくの反応を面白がるように、わずかに口の端を上げた。その表情は、教室で見せていた女王の顔とはまた少し違う、無邪気さの混じったものだった。
夕陽を受けて、金色の髪がいつもより柔らかい橙色に染まって見える。
(……こういう時、なんて返すのが正解なんだ)
こんな状況で正解の反応が分かるはずもなく、ぼくはただ立ち尽くしていた。
「今日から、あなたに構うことにしたわ」
「はい……?」
唐突な宣言に僕の思考は完全に固まると共に、間抜けな声をあげるのだった。




