第93話 お名前を伺ってもよろしいでしょうか?
「…………―――ん?」
ピタリと、足を止める。
音がしたわけではない。気配があったわけでもない。
灯りが見えたわけでも、魔法を感知したわけでもない。
言ってしまえば、ただの勘。
これまで幾度となくダンジョンに潜ってきたがために養われた、危険を察知する勘が、墓蒔の足を止めていた。
小さく傷を付けた携行灯から漏れる光の範囲は、そこまで広くない。十全に先を見通せるほどの傷をつけてしまえば、あっという間に貯めていた光が尽きてしまう。
光が届かないその先は、真っ暗だ。
「…………へッ」
光の先から赤色が見えて、墓蒔は思わず笑ってしまった。
真っ赤なハイヒール。
そして、ひらひらの、真っ赤なメイド服が見えて。
スポットライトの下に女優が現れるように。
なんの躊躇もなく、なんの迷いもなく。
その服を着た人は止まらず、光の中に歩を進め続けた。
向こうから、こちらは見えているだろうに。
人がいるとわかっているだろうに。
そんなこと意に介さず、体全てを見せるまで、ペースを崩すことなく歩み続けた。
そうして、姿を完全に光の中に投じたあと。
「はじめまして」と。
無表情の美女が頭を下げた。
優雅だった。
一部の隙もなかった。
機械かと思えるくらい。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「……ん? 名前? ああ、そっか名前ね、大事だよな、名前。えーっと、なんだったかな、名前。名前っつーと、俺様の名前だよな」
うははと笑いながら、さりげなく辺りを伺う。
自分の後ろにも、相手の後ろにも人影らしきものはない。
美女のすぐ後ろは暗闇であったが、少なくともそこから呼吸音や、足音のようなものは聞こえてこなかった。
魔法で隠れていたり単に気が付いていないだけかもしれないが、墓蒔自身、魔法がうまくないので人を検知する魔法は使えない。
自分の勘を信じるしかない―――が。
(けどまあ、外部からの冷やかしはさすがにねえだろう)
なにせ、あの関わり禁止地区の住人だ。
関わったらどうなるかぐらい、わかっているはずである。
だからもし、ほかに誰かいるとすれば、それは墓蒔が先ほど突き落とした新入りしか以外ありえない―――はずである。
サンミが言っていたように、創造根底館の職員は個々の力が強すぎて基本的に単独行動しかとれないはず……ではあるが。
なぜあの召喚者だけ例外で、しかも見捨てることはせずわざわざ助けようとしているのか謎ではあるが。
(今は、そんなこと気にしてもしゃーねーか)
なんにせよ、目の前の奴が一人でここにいる、ということは。
(幸いなのか問題なのか、まだあいつは見つけられちゃいないっつーことだよな)
だとすれば……まだ交渉テーブルにはつける……かもしれない。
それはもちろん―――
「あー、名前ね、うん。自己紹介は大事だよな、俺様もそう思う。でもさ、人様に名前を尋ねる前に、まずは自分から名乗るのが正しいとは思わないかい?」
―――相手が話し合いを望んでいる場合ではあるが。
「思わないのです」
やはりというか、ぴしゃりとそう言われ。
続けて。
「『ラストワン』」
責慈 心殺が言った一言に、墓蒔の目がピクリと反応してしまった。
やばいと思ったときには遅かった。
心殺は、確信めいたように一回、頷く。
「やはりというか、周りには誰もいませんね」
では。
「さよならなのです」
パン。
そんな小さな破裂音がして。
墓蒔の命が、ひとつ減った。
小さな破裂音は、墓蒔の腰のあたりから響いていた。
人形。
墓蒔の腰につけていた人形が、一つ割れる。
粉々にバラバラに、割れて爆ぜて破片になっていく。
「――おい、マジかよッ!」
墓蒔の悲鳴にも似た怒声で、心殺の顔に表情が浮かびあがった。
驚嘆、そして困惑。
確実に殺したと思った男は、なぜか生きていた。
「即死!? 交渉もなにもあったもんじゃねえじゃねえか!!」
正直、甘えがあったのは事実だった。
いくらなんでも、いきなり殺しはしないだろうと思っていた。
話し合いくらいはしてくれるだろうと。
そのくらいの猶予はあると思っていた。
それが。
「なんだお前、出会い頭に攻撃して来やがって! 俺様が『ラストワン』かどうかさえ答えてねえじゃねえか! もし人違いだったらどうすんだ! 殺人犯になるぞ、そこの姉ちゃん!」
「…………」
それが雄弁に人違いでないことを証明しているのだが、心殺は訂正したりせず。
また、魔法を使った。
パン、パンと。
破裂音がした。
墓蒔の腰の人形が二つ、塵になる。
二回殺して。
確実に死んだはずなのに。
二回とも、生きていた。
「……なるほど、なのです」と、心殺が息を吐く。
その顔にはさきほどあった表情はなくなり、またいつものすまし顔に戻っていた。
なぜ死なないのか、心殺にはわからないが。
種も仕掛けもわからないが。
種と仕掛けは見えているのだから、脅威ではなかった。
一歩、心殺が距離を詰めようとして。
「ちょ、ちょっと待て! いいか、近寄んじゃねえぞ!」
墓蒔が二歩、後退する。
それと同時、ポケットに手を入れたのが見えて、心殺は少し身構えた。
なにをしてくるか、予想できなかった。
ポケットの中身が、予想できなかった。
あのポケットから―――履いているものからは魔法を感じることはできるのだが、ポケットの中からは、魔法の気配が一切しないのである。
ポケットの中だけではない。
墓蒔からも、魔法の気配がしてこない。
魔法を使っている様子がない。
注意すれば微量な魔力を感じるので魔法使いであることは確かなのだが、本当に魔法使いかと疑ってしまいそうなほど魔力が薄い。
まるで試神を相手にしているような感じだ。
「近づいたら……近づいたら……」
ポケットの中で指が動くのが見える。
なにかをまさぐっているような仕草をして。
「近づいたら……―――ダメだ! なにも思い浮かばねえ!」
ポケットから手を出し、墓蒔が背を向けて走り出した。
――いや、走り出そうとしていた。
「……―――ああッ!?」
足が動かない。
走り出そうとした体勢のままで、足が固定されている。
鉄色をした触手のようなものが足首にしっかりと絡みついて、地面と足とを縫い付けていた。
振り払おうと足を振るうが、びくとも動かない。
重い。そして、硬い。
「鉄色のなにかじゃねえ――これ……鉄か!」
鏡面加工のようにつるつるになっている面に、墓蒔の顔が映る。
「創造根底館の鉄使い……ということは、お前、アイアンメイドか!」




