第72話 状況整理と行こうじゃないか
いつまで経っても、衝撃は来なかった。
どのくらい、目を閉じていたのか、試神はわからない。
踏み込んだ先に足場がなかった。
だから落ちた。
ここまでは理解できて。
そのあとに来るのは衝撃のはずだった。
足か。腰か。お尻か。
来るであろう痛みに身構えるも、それは一向にこなかった。
「…………――う?」
恐る恐る目を開ける。
見えたのは、土の壁だった。
土の壁が見えて、止まっていた。
ぼんやりと見えるためはっきりとはわからないが、確かに視認できる。
動いていない。
動いていないということは。
落ちていない。
(――俺、浮いてる?)
気が付けば、体には浮遊感がある。だが、落ちているにしてはその感覚がない。
「なんで」
と、右腿からわずかな光が漏れているのが目の端に映った。
――杖?
なんで、光っているのだろう。
もしかして、魔法――
そう疑問に思った瞬間。
ふっと、光が消えて、軽い衝撃と共に試神は地面に尻もちをついた。
「助かった……のか?」
幸いにも怪我はない。お尻も腰も、少し痛みはあるが青タンにすらならないだろう。痛みも時期に消えるに違いない。
衝撃の少なさからして、本当に地面ぎりぎりのところで浮いていたらしい。
素直に考えれば「浮いていた」というところから、浮遊魔法のおかげで助かったと思うところなのだが――試神はこんな魔法使った覚えがない。
そもそも自分が浮遊魔法を使えること自体把握していない。
考えられるのは、杖が勝手に魔法を使ったということ。
杖が術者の身の危険を察知して、勝手に魔法を使った。
そうして、助けてくれた。
「………………ふむ」
見方によっては美談であるが。
もしそれが真実ならば。
もしそれが事実ならば。
――即刻、この杖は折らなくてはいけない。
処分しなくてはいけない。
捨てなくては、いけない。
使い手のあずかり知らぬところで勝手に発動される魔法ほど怖いものはない。
この右腿に杖をつけたのは、触れていなくても魔法が使えるようにとのことではあったが。
正直、知らない魔法を勝手に使うようになるとは思ってもいなかった。
「……身を守るようにあらかじめ設定されてるなんて、言ってなかったよな」
落ちたくないと願ったから浮遊魔法が発動した。
納得はできる。
納得はできるが――許容はできない。
試神は杖に触れて。
「…………」
わずかに悩み、その手を下した。
折るにしても、まだ早い。
考えることは、ここから出ることだ。
「落ち着け。いったん状況整理と行こうじゃないか」
立ち上がり、お尻についた土を払う。
浮いているときにもわかった通り、あたりは薄暗いが真っ暗ではなかった。辺りに光源になるようなものは見当たらないので、絶命洞窟にかけられている魔法が浸透してきているのだろう。時期にこのあたりもはっきり見えるようになるのだろうが、当然そこまで待つつもりはない。
「さて、次だ」
一息入れて気持ちを入れ直し、体の状態を確認する。
切り傷はないか、擦り傷はないか。ほかにどこかに打ちつけたような跡はないか入念にチェックする。アドレナリンで感覚がマヒしていることも考慮し、十分に時間をかけて調べ尽くした。
大丈夫。
足をひねってもいないし、腰を痛めてもいない。腕も動く。
体は無事だ。かすり傷ひとつない。
しかも服に土汚れすらないところを見ると、落ちる最中どこもぶつけなかったらしい。
それなりに手足をばたつかせた記憶があるので、どこもぶつけなかったということは、穴の形状が壺のように先端が狭くなっているようだった。
だが、そうなると。
「……これは、登れないな」
落とし穴。
一言でいうならば、まさしくそれだった。光が薄く周りがよく見えないが、やはり先端が狭く、徐々に広くなっている。穴の直径は、試神が両手を広げてぎりぎり届かないぐらいだろうか。
対して、今いる場所は一人暮らし用のワンルームほどの広さがある。
試神が今寝泊まりしている創造根底館のゲストルームより一回りほど狭いくらいだ。
だが、自然にできた穴にしては、底がほぼ平らにならされているのが気になる。
穴の形状からしても、なにか意図があって堀ったに違いない。
パッと思うのはゴミ捨て場だが、足元にもゴミらしきものは落ちていないし、朽ちて土に還ったわけでもなさそうだった。
「……魔石をここに落とそうとしたとか」
真上を見ると、赤い魔石がちらちらと輝いている。高さからみて、5、6mほどだろうか。あそこから落とせば割れてしまうだろうが、下に探索ロボットなどが待機しており、しっかりと受け止めれば大丈夫だろう。
先端が狭いのは魔石が落ちる際の”遊び”の部分を少なくするため。
底が広く平らなのはさっきのが理由だとすれば。
「意外に……つじつまがあうか?」
もしそうなら穴をここまで深くする必要はあったかとか、そもそも穴を掘る必要があるのかなど、疑問がないわけでもない。さっきのも少し無理やりな気もするが……まあ、正解を求めているわけではないのだ。
それよりも、もっと考えるべきものがある。
「高いよなあ……あそこまで」
魔石の位置がゴールなのでわかりやすいといえばわかりやすいが、あそこまで登ることはできないだろう。
狭い穴ならなんとかなったかも知れないが、この穴の広さでは腕を伸ばしても――それこそ全身を使っても穴の直径を超えることはできない。とすればロッククライムよろしく土壁に手足をひっかけて登っていくしかなさそうだ。
「……かといって」
土壁に触れると、その箇所からぼろぼろと崩れていく。これでは足をかけて登ることはできそうにない。
それに、自分に上まで登りきるほど体力があるとは思えなかった。やったことのないロッククライムを成功させるほど、試神の体に運動神経がないことも知っている。
見よう見まねで挑戦すれば、途中で力尽きて腹から落ちるのが目に見える。
――こんなときに、携帯はないもんなあ。
文明の利器を使えば解決したのに、こんなときに限ってもっていないなんて。
なんて――運が悪い。
試神の右手が、腿に触れる。
杖。
さっきは浮いた杖。
こんなとき。
こんなとき、浮遊魔法があれば。
ふわふわと浮きあがり、地上の穴まで行ければ。
さっきは意識していなかった。
今度は、今は、意識して使うのなら。
「………………」
名前は知らないが。
原理は知らないが。
どうやっているのか全くわからないが。
さっきのよう――魔法が使えたら。
浮いてくれれば。




