第60話 スパイク・スパイス
メイド服なので体つきがわからないが、筋肉質というわけではない。すでに少し疲れている試神なのだから、女性である心殺はさらに疲れているだろう。
上げ下げだけ俺がやって、中を見てもらったほうがいいかな、そう思い、心殺のほうを向く。
ぐらり、と揺れた段ボールが見えたのはそのときだった。
棚の一番上。埃を被った大きな段ボールが、すでに半分以上棚からはみ出している。重心が不安定なのかシーソーのように揺れており、その下には――
「責慈さん!」
「はい?」
彼女が振り向く。
と、同時、段ボールが棚から落ちてきた。
「危ない!!」
とっさに駆けだす。彼女との距離は一歩か二歩なので近づくのは容易だ。だが、それだけじゃどうにもならない。
「に、ッとらあ!」
彼女に抱きつき、そのまま押し倒した。膝と腕に衝撃が走り、埃が舞う。
そして背中に来るであろう衝撃に身構えて――。
――いつまで経っても、痛みはやってこなかった。
「……あれ?」
閉じていた目を開ける。食いしばっていた歯を開ける。
見えたのは、埃が舞う床に、ふわふわと羽のように落ちてくる段ボールだった。
とすん、と軽い音を立てて段ボールが着地する。
「中身……空だったのか?」
「違いますよ」
試神の下から、冷静な声がする。
「魔法です」
「………………」
「流石に手の届かない場所で、かつそのまま触りたくないものでしたので、魔法で動かしていただけです」
「じゃあ……」
(ひょっとして、それを俺は見間違えて……?)
「まさか……押し倒されるとは思ってもみなかったですけど」
「……あ! えっとそんなつもりじゃ」
飛び跳ねる様にして心殺の上から退く。
心殺も立ち上がるが、赤いメイド服が埃で白っぽくなっている。
「す、すいませんでしたあ!」
服をはたく下で、試神が土下座をする。
埃っぽいとか、そんなこと気にしてられなかった。
「俺の勘違いで押し倒したりしてしまって……その……」
「やめてください。気にしてないので」
「服とか……クリーニング代とか出すんで」
「あのですね」
声が近くなったと思ったら、心殺がかがんでいた。
「別に故意に汚したわけではないのでしょう? 気にしすぎです」
顔を上げると、いつも通り、すました心殺の顔があった。
「むしろ……土下座とかクリーニング代とか言われると……少し引きます。私はどれだけ恐れられているのだろうと」
「いえ、決してそんなわけじゃ」
「じゃあ、もういいじゃないですか」
立ち上がってください、と手を差し伸べられる。引き上げられるようにして、立ち上がった。
「神羅さんも、怪我はないようですね」
「え? ああ、はい」
言われて、体を確認する。打ち付けた膝と腕が少し痛んだが、怪我というほどでもない。
「怪我をしたくないという割に、よく私をかばって飛び込んできましたね」
くすりと軽く笑う声が聞こえる。
微笑んだ心殺の姿がそこにはあった。
「少し、見直しました」
ゆっくりと頭を下げて、そして上げる。それがお礼だということに気が付くまで、少し時間がかかった。
顔を上げるころには笑顔がきえ、またいつものすました顔に戻っている。幻想かと思うほど、短く、綺麗な顔だった。
「…………あ」
つま先になにかに当たる。見ると、さっき上から魔法で落としてきた段ボールだった。
一番上にあったせいで、ほかの荷物よりも埃の層が厚い。ほかと違い二回りほど大きいのに加え、蹴った感触でわかったが、段ボール自体がそもそも硬い。おそらく航空輸送にも耐えうる丈夫なものを使用しているのだろう。
(なんで、大きい段ボールを一番上に?)
転落防止用のバーがついているわけでもない。スペース的に天井付近のほうが余裕があるから、というわけでもなさそうだった。
あまりに使う頻度が低く、一番上に置きっぱなしで問題なかったか、それとも捨てるつもりで置いておいていただけだったのか。
「……まあ、なんにせよ、開ければわかるか」
「その通りなのです。なにが入っているのでしょう」
心殺が言って、右手を前に出した。
優しい風が吹く。空調の風ではない。魔法で空気を移動させているのだ。
「流石に、これは雑巾ではなくこっちのほうが早いのです」
埃の層を一枚はぎとると、すぐに下の段ボールが見える。そこまで行けば、あとは試神の仕事だった。ガムテープをはがし、中を見る。
開けた瞬間に漂ってきた土の匂いで、なにかわかった。
「……これ」
「ビンゴ、と言ったところですね」
リュックに靴、それからガーゴパンツにサファリジャケット。さらには探索用なのかライトまで入っている。汚れているが、ボロボロというわけではなく、十分使えそうだ。
「これが、前の所長が使っていたものなんですね」
「おそらく。なんとなく見覚えがあります」
心殺が一番上にあったリュックを手に取る。試神が使っているものより二回りほど大きい。こちらも年季が入っているが、穴はあいてないように見えた。
「埃っぽいし他人のものなので、一度洗ったほうがいいのです」
「洗濯機……で洗えるんですかね。ネットに入れて……いや、タタンに風呂場を借りますか」
浴槽に低く湯をはって、そこで押し洗いするほうがいいかもしれない。
心殺からリュックを受け取り、とりあえず背負ってみる。やはりかなり大きく、お尻のあたりまでリュックの下側がきている。だが、それだけ入る量は多そうだった。
アジャスターを調整する試神の下で、心殺が段ボールをまさぐる。ほかに入っているものから、必要そうなものを抜き出そうとしているらしい。
「靴や、そのジャケットは?」と後ろから試神が尋ねる。
「サイズが合えばですね」
試神の靴のサイズを尋ねると、26.5だという。中に入っている靴は27.5だった。履けなくはない、といった感じだろうか。
紐靴なのでしっかりしめればなんとか履けそうな靴に対し、ジャケットは少し大きかった。肩幅があっておらず、袖があまってしまう。カーゴパンツは、裾を折ればなんとかいけそうだ。
「前の所長は、背が大きかったんですね」
「ですね、ロロロさんより大きかったですから」
それなら180もしくは190近くありそうだ。
「一通り揃いましたし、これならなんとかなりそうですね」
本格的な探索をするならまだしも、そこまで深く潜らないのならば十分だろう。
「そうですね。では、戻りましょうか」
ジャケットやパンツを畳み、リュックにしまう。流石に靴は手持ちだが、ライトなど、全部リュックの中に詰めてもまだ余裕があった。
「あとは食料や水を入れておしまいです」
背負って見ると、少し重い。服の代わりに水などが入ると考えると、これよりもう少し重いくらいだろう。
「まあ……大丈夫かな」
長い距離歩き続けるわけじゃないのだ。おそらくいけるだろう。
リュックの背負い心地を確かめる横で、いつの間にか心殺が段ボールを片付け終えていた。
「では、お目当てのものも見つかったことですし、そろそろ戻りますか」
「はい。……あ、そうだ」
「なにか?」
「リュックのそこに、人形が入っていたんですが」
そう言って、ポケットから小さな人形をひとつ、心殺に見せてくる。
「これは前の所長の忘れ物ですか?」
「……――スパイク・スパイス」
「え?」
「いえ、なんでも。……それは、忘れ物ではないので、捨ててしまってかまいませんよ」
「そうなんですか?」
「じゃあ、戻りましょうか」




