第58話 生害 死良
ある程度奥に進んだところで、唐突に心殺が立ち止まった。
試神の前に二列、そして心殺の前にも二列。
ここに来るまでに見たものと同じものが並んでいる――のだが。
棚が並んでいる状態や、段ボールが納められいるところはほかと変わらないはず――なのだが。
その棚だけ、ほかとなにが違っているように試神は感じた。
「この棚が、前の所長が使っていた棚です」
「…………」
「ですので、あるとすればこのあたりかと」
心殺が言って、重い一歩を踏み出す。
その彼女を見て、気が付いた。
床に足跡が残っている。
そこだけ床の材質が変わっているわけでもない。
彼女の靴になにか変化があったわけでもない。
積もった埃の上を歩いたため、足跡が残っているのだ。
床だけじゃない。
この一角だけ、しっかりと埃が積もっている。
……いや、もちろんほかの棚も少しは埃が積もっているのだが。ここだけその厚みが違う。
今の今まで誰も立ち入ることがなかったように。
あったことすら忘れていたように。
封印されていたかのように。
「…………」
一度大きく深呼吸して、心殺の隣に立ち、手頃な高さにあった段ボールをひとつ、取り出す。
しっかりと封がされたその上には年月を感じさせるよう、たっぷり埃が積もっている。湿気がないせいかべたついておらず、フワフワしたままの埃を見ていると、喉の奥がそわそわしてくる。
(マスク……借りてくればよかったかな)
コホンコホンと空咳が二回出る。積もる埃のせいで、あまり空気もいいとは言えない。歩いたときと、段ボールを出したときの影響で、少し舞ってしまったようだ。心殺にも悪いし、さっさと見つけるか、しっかりと準備をした上で出直してこよう。
そう思い隣を見ると。
「これを使ってください」と、心殺が雑巾を二枚、差し出してきた。「創造根底館の備品ですので、遠慮なく汚してしまってかまいませんし、汚れたら交換しますので言ってください」
受け取ったそれはだいぶ使い込まれたものらしく、ゴワゴワしている。
「あ、ありがとうございます。この雑巾、気が付かなかったんですが、最初から持ってきてたんですか?」
そう問うと、心殺は首を少し傾けた。
「さきほど魔法で持ってきました」
……ああ、なるほど。
「ですので、新たに必要であるなら遠慮なくいってください。まだまだあったはずなのです」
あとそれと、と心殺は上を指さした。
「先ほど換気扇を入れましたので、もう少ししたらこの埃っぽい空気も気にならなくなるはずです」
言われてみれば、さきほどより空気がどこか清々しい気がする。……そこまで劇的に変わらないかもしれないので、気のせいの可能性もあるのだが。
「これならマスクも要らないかな」
「軍手、マスクが欲しければ取ってきますので」
軍手はどうしようか悩んだが、しないことにした。もっと汚れそうなときは借りることにしよう。
渡された雑巾で、段ボールの表面を軽く拭う。
「あれ……?」
埃で隠れていてわからなかったが、段ボールの表面には、サインペンで文字が書いてあった。
おそらく中になにが入っているのかを書いているのだと思われるが――。
それとは別に、隅のほうにも小さく文字が書いてある。
「責慈さん、これって……」
サインペンで書いてあるそれをなぞると、心殺は「ええ」と小さく頷いた。
「前の所長の名前です」
Φ
「生害 死良さん、っすよね。確か」
事務所でパソコンを操作していた苦同が、ぽつりとつぶやく。さっきまでキーボードの操作音だけが響く室内だったのだが、その言葉は二人の興味を引くには十分過ぎた。
「もう三年になるんすね、あの人が引退してから。早いようなそうでもないようなって感じっすけど、先輩は今でもあの人と交流あるんすか?」
「ありませんよ」
煮詰めすぎたコーヒーを飲むような顔をしてタタンが否定する。
「そもそも、最初から連絡を取り合うような仲でもありませんでしたから」
「あれ? そうなんすか?」
「あの人は私を連れてきただけであって、昔から知り合いだったわけでもないですし、関係があったわけでもありません」
「俺っちには、親子のように見えたっすけどね」
「ぶちますよ」
すいませんっす、と苦同が謝る。別に冗談ではなかったのだが、親子という表現が気に入らなかったらしい。
「あの人と私で似ている箇所なんてないでしょう?」
「うーん……フクロウくんに回答権を譲るっす」
「わー、キラーパス!」
では回答をどうぞ、というタタンに、フクロウは「そうだなあ」と悩んで。
「有能という点では、似ていると思います!」
フクロウなりに精一杯気を使っての回答ではあったのだが、タタンと、それから苦同の顔も眉間に深く皴が寄る。
「あの人、有能……だったっんすか? 先輩」
「アシタガタリを守る、ということに関してだけは、私よりはるかに有能でしたね」
ならば、それ以外は? などと訊ける空気ではない。
「じゃあ苦同お兄ちゃんならなんて答えるのさ!」
「俺っちっすか? そうっすね……」
苦同は咳払いをひとつすると、とびきりの営業スマイルを作ってから、タタンに向き直る。
「あの人と先輩は、どこも似ていないっすよ」
「そういうセリフは『親子に見える』という発言の前に言ってください」
「というか、よくもまあ舌の根の乾かぬ内に言えたよね、それ」
「これも営業の技の一つっす」
誇っていいのかわからないことを苦同が言う。しかしまあ、これでも三年もの間、創造根底館の営業を続けているのだから、その技も決して無用のものではないのだろう。
「フクロウくんのほうは、今でもあるんすか? あの人と交流」
「ないよ、あるわけないじゃん。おれもタタンお兄ちゃんと同じで、そこまでの仲じゃなかったし。向こうが一方的に連絡をよこしてくることはたくさんあったけど、おれからすることはなかったなあ」
今はもうないけどね、とフクロウが付け足す。特に残念がったりしていないところを見ると、あまり友好的な付き合いではなかったのかもしれない。
「あれ? そういえばフクロウくんて七歳っすよね。三年前に引退したあの人と働いていたときって、もしかして四歳だったんすか?」
「やだなー。知ってるくせに。七歳にきまってるじゃん」
「そうっすよねー」
「そうだよー」
苦同とフクロウの目がタタンに向いて。
「……いや、そんな顔されても私はツッコミませんからね。そういうのは試神さんがいるところでやってください」




