第54話 友達でも
微かな物音で、試神は目を覚ました。
寝返りを打つと、覗き込むようにして人影がひとつ、あるがわかった。
部屋が地下にあるため外光が入らず、間接照明でわずかに照らされるだけの部屋だが。
その人影は、見慣れたものだった。
「…………タタン?」
「あ、起こしてしまいましたか」
すいません、と謝る。
「今……何時だ?」
「深夜3時くらいですかね」
まだ夜中じゃないかと欠伸をする。こんな時間になんのようだというのだ?
「起こすつもりはなかったのですが……まあ、ちょうどいいでしょう」
「ちょうどいい?」
「ええ、ちょっと確かめたいことがあったので」
「こんな時間に?」
寝ぼけているせいで頭が回らない。
そのせいで、タタンの手に長刀が握られていることに気が付いても、恐怖心などはなく、逃げようとも、身構えようともしなかった。
逆に言えばそれだけ信用しているということもあったが。
「『妖刀・大英断』」
刀の名前を言って、タタンがそれを振りかぶる。
「持ち手の意思を汲み取り、斬りたいものはどこまでも斬り、逆に斬りたくないものはなんにも斬れない、そんな刀です」
「……はあ」
目が慣れてきて、ようやく見えてきた。
タタンは今日、ラックジップに出かけたときと同じ服装だったのだが。
――その服は、真っ赤に染まっていた。
柄が見えないほど。
全部血で、染まり尽くしていた。
タタンが流したものではなく。
全部、返り血だった。
「博物館に飾られていたものですが、先ほど盗ってきました。深夜だったのですが、さすがお宝が収められている博物館。警備が厳重でしたね。この刀に触れただけで警報が鳴り、警備員に囲まれて――思わず笑ってしまいましたよ。そのまま逃げてもよかったのですが…………なんとなくむしゃくしゃしていたので、近くにいた奴ら全員を片っ端から薙いできたのですが、噂通り素晴らしい切れ味でしたよ。あまりに切れすぎて、刀身に血が残らないんです。これまでいくつか名刀は見てきましたが、血振りの必要すらない刀は初めてです」
「……それは、すごいな」
だからどうしたというのだろう。
きったとはどういう意味だろう。
なぜそんな刀を盗ってきたのだろう。
なぜそんな刀を振りかぶっているのだろう。
いくつか疑問が浮かぶが。
一向に、恐怖心は、浮かんでこなかった。
「で……俺に一体なんのようなんだ?」
「だから、試したいことがあるんですって」
「こんな時間に?」
「こんな時間にしかできないからですね」
「……はあ」
「試したいことはですね」
「ああ」
「私はちゃんと、試神さんを殺せるかな、ということです」
「え……
言い終わる前に、刀を振り降ろした。
胸のあたりを、心臓と必臓を真っ二つにできる位置を、刀が抜けていく。
まっすぐ縦に振り降ろされたそれは、試神の体を二つに分けた。体も、ベッドも、そして勢い余って床までも。豆腐を斬るように簡単に、妖刀・大英断はそれらを斬った。
まだ斬り足りないとばかりに床を進んでいく妖刀の柄から手を離す。持ち手を失った刀はそれ以上斬ることはせず、その場に止まる。
ベッドに横たわる試神は、すでに死んでいた。
見開いた目からは、すでに光が消えている。
口から血が出て、枕に垂れた。
そしてそれ以上に、体から血があふれだし、ベッドから零れ、タタンの足元を濡らしていく。
「汚いなあ」
顔を歪ませるが足を動かそうとはせず、そのまま血の流れを見つめていく。
やがて、試神の体から血が出尽くし、床に伸びる血液が止まるころ。
タタンの腕が動き、自分の頬に触れた。
「……泣くかと思った」
頬は、乾いていた。
固まった血がパラパラと落ちる。そのままゆっくりと指が瞳まで移動していくが、目から零れるものに触れることはない。
「よかった。私はまだ、ちゃんと、殺せますね」
安心したようにけれど少し、寂しそうに笑う。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫」
天を仰ぎ、繰り返す。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫」
何度も何度も。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫」
言い聞かせる様に、繰り返す。
「よかった。友達でも、私は殺せました」
タタンはパシャパシャと音を立てながら部屋を進み、ドアがあった場所――鍵をあけるのが面倒くさかったので大英断でめちゃくちゃに切り刻んだ入口に向かう。
真っ暗な部屋の中とは対照的に、廊下は常夜灯のおかげで明るかった。
光の中に向かう前に「ああ、そうだ」とタタンが振り返る。
「言い忘れてましたが、私の個人的な実験につきあっていただき、ありがとうございました。また今日…………」
いえ、と頭を振る。
「すでに日が変わっていますので、また昨日よろしくお願いしますね」
タタンが頭を下げて、部屋から出る。
死体はなにも言わず、動くことはなかった。
Φ
朝。
タタンが事務所で新聞を読んでいると自動扉の開く音がした。
「おはようございます。試神さん」
「……よく俺だってわかったな」
おはようと言いつつ、事務所をキョロキョロと見渡しながら試神が中に入ってくる。
「まだ誰も来ていませんよ」
試神は小さく頷いて、近くにあった椅子をひとつ借りてコーヒーを作る。いつものようにミルクを入れたあと、タタンの近くに座った。
「いつも新聞なんか読んでるけど……なんか面白い記事あんのか?」
「面白いと言われましても」
タタンは少し悩み、新聞を数枚めくった。
「これなんてどうです? 今日からラックジップの博物館に『妖刀・大英断』が展示されることになったんですよ」
「妖……刀?」
「すごい斬れる刀だと思ってください」
「ふーん」
コーヒーをすする。残念ながら刀に興味はないらしい。
が。
「妖刀って、魔法なのか?」
「……どういう意味でしょう?」
「いや、そのよく斬れるってのは、魔法で斬れるようにしてるのかなって」
「ああ……どうなんでしょうね。さすがに私もそれを確かめたことはありませんでした」
「……確かめる?」
なんでもありません、とタタンが新聞を畳む。試神と同じようにコーヒーをすすった。
「……試神さん」
「あん?」
「今日ってなにか予定あります?」
「予定? ないけど」
考えるまでもなく即答する。予定といえば仕事くらいだ。
「なら、今日の午後、ちょっと付き合ってもらっていいですか?」
「なにかあるのか?」
「いえ、なにもないんですけど」
いや、なにもないからこそ、だ。
「今日の午後、暇でしたら試神さんのコーヒーカップ、買いに行きませんか?」
それ、と試神が持っている、コーヒーカップを――お客様用のコーヒーカップを、指さす。
「この前、試神さん用のものを買うと約束したじゃないですか」
「そうだけど……いいのか? 午後ってまだ仕事中だろ? 俺たちがいなくなれば誰もいなくなるんじゃないか?」
「今日は午後から花子さんが出社されるので大丈夫ですよ」
「花子さんが? 珍しいな」
でもいいのかと訊く試神に「お詫びにケーキを買って帰れば大丈夫です」とタタンは笑った。
「ついでに試神さんのお祝いもかねて」
「俺の? なんか祝われるようなことあったっけ?」
「ええ。おそらく今日、試神さんの採用決定通知がくるはずです」
おめでとうございます、と拍手を送る。試神は驚いたように目を見開いたあと。
「マジか。決定連絡がきたのか?」
「いえ、それはまだですが」
「まだなのかい」
「ですが、心配いりませんよ。採用決定です」
おめでとうございます、とまた拍手をされる。気が早いのではと思うが、内内に決まっているのかもと思いありがたく受け取ることにした。
「コーヒーカップもケーキも、私が奢りますよ。ケーキはとびきり高いやつにしましょうね」
「……あんま高いのは要らないぞ?」
「遠慮しないでください。そうそうあることじゃないので、奮発しましょう」
楽しそうに鼻歌を歌うタタンを見て、試神も笑顔になる。
ここで変に遠慮しても悪いように思えた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ええ」
試神さん。
名前を呼ばれる。
「これから長い付き合いになると思いますが、よろしくお願いしますね」
なにを今更、と思うが。
「こちらこそ、よろしく」
悪い気はしなかった。
午後。
予定通り花子に留守番を頼み、タタンはデザインはともかくとしめてしっかりとアイロンがかけられた服を着て、ケーキとコーヒーカップを買いに行った。
高級ケーキ店『ガトー・デフォンドレモント・デ・プリ』で、試神の目が飛び出るようなケーキを五つと。
真っ白の、なんの変哲もない普通のコーヒーカップをひとつ買って。
創造根底館に戻る途中で、タタンの言っていた通り試神の採用決定通知がきて。
花子とタタンに、お祝いをされた。
ただそれだけの、日だった。
ただそれだけの、日になった。
―― 第五章 完 ――




