第53話 これで忘れないな
タタンが肩をすくめる。腕をあげようとして――片腕に重さを感じた。コーヒーカップの袋を持った腕が、少し下がっている。
「そういえば、試神さんは事務所でどちらの色のカップを使います?」
「別にどっちでもいいけど」
「せっかくだし、選んでくださいよ」
「じゃあ……紺」
わかりました、とタタンが頷く。「では黄緑のほうは、部屋で使ってください」
袋を覗き込むが、ふたつ一緒に、一つの箱に入っているため中は見えない。
これ、ずいぶん熱心に見てましたが、そんなに気に入ったんですか?
と、タタンが言おうとしたとき。
「それ、地球で俺が使ってたマグカップに似てたんだよ」
試神が言った。
「色は紺じゃなくて黄色だったんだけどさ。形がすげー似てる」
「……………………」
「高校……一年の冬だったかな。クリスマス前に仲間内で集まったとき、プレゼント交換しようって話になって、それに似たマグカップをもらったんだ。……俺はなにあげたか覚えてないけど……バイトもしてなかったと思うし、着てない服とかあげたんだっけなー」
「……………………」
「思わず手に取っちゃったけど、持った感じもそっくりでさ」
「……………………」
「地球と異球は似たような場所だってきくし、もしかしたら同じ工程で作られたのかもな」
「かも……しれませんね」
いつの間にか、タタンは足を止めていた。
それに気付いた試神も、数歩先で足を止め、振り返る。
「タタン?」
呼びかけに、やや、間が開いて。
「試神さん」
「……なんだ?」
「試神さんは、帰りたいですか?」
「え?」
「地球に、帰りたいですか?」
「……………………」
「できますよ」
声を出さずに、試神の目が大きく開かれた。
笑顔が消える。
「というか、できないわけないじゃないですか。異球と地球は隣り合わせ。試神さんが来れるんですから、こっちから向こうに召喚することだってできますよ。……地球は魔力がないので簡単にはできませんし、できる人も限られてくるとは思いますが、少なくとも私はできます」
うすく微笑む。
うぬぼれでもなんでもなく、それができるだけの技術も知識もタタンにはあった。
「……………………タタン」
「別に、今決めろというわけではありません」
「……………………」
「帰ることができると、知って欲しいだけです」
「……………………」
「ですが……」とタタンが言いかけて、その言葉が出たことが意外だったように、困惑した顔になった。今度はタタンが黙る番だった。
二人ともしばらく黙って、次に口を開いたのは、やはりタタンだった。
「ですが、私は、試神さんに、異球にいて欲しいな、と、思います」
「……………………」
大きく息を吸い、吐く。吸って、吐いて。
「……なんか恥ずかしいですね」
吹っ切れたようにタタンが笑った。ようやく少し落ち着いた。
「これは意味のない約束になってしまいますが、覚える必要ありませんが…………どうでもいいことになってしまいますが、一年後、答えをください」
「……………………一年」
「そこが限界だと思います。――ああ、いえ。戻すことはいつでも、なんなら十年後でも可能です」
ですが――。
「一年。おそらくそれくらいが、違和感なく地球の暮らしに戻れる最長の期間だと思います。……何度も言いますが、地球と異球は隣り合わせ。こっちで一日過ぎれば、向こうでも一日。一年経てば、向こうも同じです。試神さん、一年間で世界がどれだけ変わるかは、経験で知っているでしょう?」
ニュースで一年を振り返ったとき、こんなことがあったと懐かしんだことがある。少し前は想像できなかった技術も、当たり前になったこともある。
一年という時間は、体験するには短いようだが、振り返ればそれなりに濃くて長い時間なのだ。
「あまり長い年月が経ってしまうと、もしあなたが地球に帰ったとき、なにもかも変わってしまいますからね。知らない技術、知らない文化、知らないルール、知らない街並み。……試神さんの家族だって、同じ場所にずっと住んでいるとは限りません」
「あ…………」
「それに、あまり異球の暮らしに慣れてしまって『魔法が当たり前』になってしまっても大変です。地球で生活できなくなってしまう」
(それは……わかる)
魔法に慣れて、慣れきって、日常になってしまって。
それがなくなってしまったとき。
むしろ……簡単に想像できてしまい怖いくらいだ。
だから一年。
「それくらいなら、まだ魔法に慣れず、使えるけど扱えず、知っているけど理解しておらず、あこがれるけど忘れることができます。それ以上になると、体にしみついてしまって、おそらくそう簡単に拭うことはできなくなります」
人がいくら危険でも車を捨てることができないように。
便利なものは、そう簡単に手放すことができない。
「今は答えを保留していただいてかまいません。地球に帰りたいと思えば、私は……全力で、それを応援します」
「……………………」
「私は……ずっと、いてほしいですけどね」
タタンがまた歩き出す。
試神の隣にきたとき。
「覚えておく必要はありません。どうせ……意味のない約束になりますから」
つぶやいた。
聞こえなくても構わないと思ったが。
「一年だな」
試神にはしっかり、聞こえていた。
「一年後、答えを出す。約束だ」
「………………」
タタンが無言で頷く。
嬉しそうな、悲しそうな、そんな顔だった。
「忘れてても、私はいいですけどね」
「男と男の約束だからな、絶対に忘れん」
「記念日でもないので、覚えておくのは難しいですよ」
「じゃあカレンダーにでも書いとくさ」
にやりと試神が笑い、タタンも笑う。
感情のない、ただ貼り付けただけの笑顔を見せ。
「……ん?」
タタンの携帯が震えたのは、そのときだった。「すいません、電話ですね」
「花子さんか?」
タタンが首を横に振る。眉根を寄せ、ちらっと試神を見る。どうやら電話に出るか迷っているようだが「いいよ、出て」と試神がいうと頭を下げて電話に出た。
プライベートかと思ったが、タタンが持っているのは仕事用のケータイだ。聞かれたら困る話かと思い、少し距離を取る。長くなるようなら先に帰ったほうがいいだろうか、そう思っていると、タタンが携帯を切った。
「早かったな」
「報告を受けただけでしたからね」
そして。
「試神さん、おめでとうございます」
「……あん?」
「試用期間が終了し、晴れて創造根底館の職員として正式採用が決まりました」
「おー、マジか!」
すっかり忘れていたが、そういえばまだ試用期間だったのだ。もしこれで認められなかったら、コーヒーカップなどを先に買ってしまったことが恥ずかしくなってしまうところだった。
「じゃあちょうどいいな」
「なにがですか?」
「今日は、平日じゃなくなった」
今日は。
「俺が採用された記念日だ」
驚いたような顔のまま、タタンの表情が固まって。
ようやく出た言葉は。
「……そうですね」
そんな、言葉だった。
「これで忘れないな」
試神が言って。
タタンは頷かなかった。
頷けなかった。
「じゃあそのケーキは、試神さんの採用記念のお祝いにしましょうか。花子さんに言えば、ひとつ余分にくれるでしょう」
「……そういえば、五つ買ったってことは。花子さんが三つ食べるつもりだったのかな」
「そうじゃないですかね」
どうでもいいですけど。
そのつぶやきは、試神には聞こえなかった。
その後。
創造根底館に戻り、ケーキを待ちわびた花子に「遅い」と少しどつかれ、それでも試神が正式採用されたことを知るとタタンの読み通りケーキをひとつ余分にくれた。
スーツに匹敵するほどの超高級ケーキ。ひとつしかもらえなかったタタンに悪いので半分にしようと提案したが、「食べていい」というだけで受け取りはしなかった。
それに、疲れた笑みを浮かべるだけであまりしゃべらない。
あまりに違う様子に、どうしたのかと花子と一緒になって心配になってしまったほどだ。
「大丈夫です。なんかその…………少し……疲れました」
タタンはその日、ずっとぼんやりしていた。




