第46話 なにも問題ないだろう?
「…………行ったっすね」
試神が事務所を出て少したったころ。奥から苦同が顔を覗かせた。
「――固有魔法で確認したっす。もう確実に、この辺りには、誰も、いないっす」
はっきりと区切って言う姿に、花子が嘆息する。
「別に疑っちゃいないさ。それに、あの反応を見る限り、彼のほうにも、なにも問題ないだろう? いまのところ、だけどさ」
「魔法を使って試神さんの行動をやり直しさせたので、うまく上書きされたようですね」とタタンもほっと胸を撫でおろす。「まあ、記憶を消したわけではないので思い出すことはあるかもしれませんが……きっと悪夢を見たと思ってくれることでしょう。特に長い時間でもありませんでしたし、トラウマの心配もなさそうです」
そういう意味での『いまのところ』だ。もし思い出せば、なにかしら反応があるだろう。そのときはまたなにか対処を考えればいい。
「……それより、なんであんたは隠れたんだい? あんただってここで働いてるんだから、一緒に紹介をすればよかったのに」
「俺っちはすでに自己紹介はすませてますから」
そうなのかい? と花子の視線がタタンに向く。「ええ、昨日、ロロロさんと一緒に」
「なら余計になんで姿を見せなかったんだい? 顔見知りがいたほうが緊張しないだろう?」
「……とてもそんな気分になれなかったっす」
苦同ががっくりとうなだれ、肩を落としたまま全員から見える位置まで移動する。そのまま事務所から出ていくのかと全員思ったが。
「申し訳ありませんでしたっす!」
その場で土下座をした。
額を床にこすりつけた、見事な土下座だった。
職員の視線が苦同から、ゆっくりとタタンに集まる。
「えっと……なにがでしょう?」
タタンが問う。単純な疑問だったのだが、母親に問い詰められた幼子のように苦同の体がびくりと震える。
「試神さんに気付かなかったことっす! 俺っちの固有魔法はこういうときのためにあるのに、まったく役目を果たせませんでした。本当に、本当に申し訳ないっす!」
「ああ、そのことですか」
苦笑いを浮かべる。その程度のこと、特になんとも思っていなかった。
固有魔法<空気感染>。他人の感情を温度で読み取る魔法だが、その実、人を感知するレーダーとしても作用する魔法だ。ゆえに何人創造根底館に侵入し、どこに隠れ、何人死んだかを把握する役割を持っていたのだが。
「別に怒っていないので安心してください。それに、あの状況で一人の感知をするほうが難しいのはみんなわかっていますので大丈夫です。それに、殺気もなにも持たない試神さんだからうまく捉えられなかっただけで、もし敵だったらたとえ遅れてきたとしてもちゃんと把握できていたでしょう」
「その通りです」と心殺が頷く。「逆にあの場でしっかりと把握されていたら、それはそれで怖いです。仕事ができないのが千差さんなんですから、誰も期待はしていません」
「うう……ありがとうございます。申し訳ないっす……」
あれフォローになってるの? とフクロウがガブリンに問いかけるが、ガブリンは黙って人差し指を唇の前に持ってきた。
「それで、試神さんはもう戻ったってことでいいんですよね?」
「はい、その通りっす、先輩! ……今ちょうど、魔王室っすね。ミロさんと一緒みたいです」
カーテンを開け、魔王室を見下ろす。映像を映しているためこちらからしか見えないが、確かにアシタガタリの前を通る二人の姿が見えた。
「……ロロロさん、今回は絶命洞窟に隠れていなかったんですね。いつもは参加されないんですが、試神さんがいないのに気が付いて、後を追ってきたんでしょうか?」
「はい」と苦同が言って、少し言い淀む。「……実は今回、魔王室の前まで二人、侵入者が入り込んでいたっす」
「ほー、それはすごい」
花子が手をたたく横で、フクロウが「あっぶねー」と笑った。
「報告すればよかったんすけど……。そこまで余裕がなくて……ああ、でも! 魔法的に入られることはないって思ってたっす! もし入られても、死んで終わりっす」
普通の人が言えば後付けの言い訳だが、タタンは苦同の言い分を信じることにした。苦同の固有魔法では、相手の魔法まではわからないはずだが。
確かに、あの固有魔法では魔王室に入った途端死んでいただろう。




