第34話 自分でやったほうが早いだろ
次の日。
昨日より少し早めに事務所に向かうと、中にはタタンしかいなかった。
新聞を読みながらコーヒーを飲む彼に手を挙げるだけの挨拶し、自分もコーヒーを淹れる。
「そういえばさ」と、新聞をめくるタイミングを待って神羅 試神が話しかけた。
「今日って来客があるんだっけ?」
「そうですね」
新聞を畳んでデスクに置くと、ゆっくりと伸びをする。お堅い情報にまみれて、身体も硬くなってしまったらしい。
「なかなか大人数の方が来る予定なので、こちらとしても少し気合いれないといけませんね」
「それって、また異世界から」
「違いますよ」
この世界の人ですと言って、タタンが席を立つ。カーテンを開くと、一面に広がる煙――アシタガタリを視界に入れた。「今日は、あれが見たいということでして」
「見たい?」
「そうなんですよ……私自身、あまりわかっていないのですが」
「まあ、巨大なガラス管ってだけで、見学する価値はあるかな」
外から見えるアシタガタリは、ただの巨大な煙突だ。
創造根底館の居場所を誇示するように伸びる煙突は、今見えるようなガラス製ではない。材質は何かわからないが、遠目で見た限りコンクリートを使用してきるように思える。だが、そんなものを普通に使用するとも思えないのでなんからの処置がされているのだろう。
ここに来ればいつでも見られると言っても、常時開放されているわけではもちろんないはずだ。見られる機会というのは意外に貴重なのかもしれない。
「正確な時間はわからないので、来た時には試神さんとロロロさんに連絡を入れます。携帯は持っていてください」
「ちゃんとポケットに入ってるよ」
「カバンには入れないでくださいね」
わかった、と母親から注意された子どものように口を尖らせる。
昨日は手ぶらだったが、今日は手ぶらじゃなかった。
いや、手にはなにもないのだが、背中に、昨日までなかったリュックを背負っていた。
財布と一緒に買ってきたものだ。財布と合わせて一万以内に納めなくてはいけなかったので安物であるが、当分の間はこれで十分である。あとでタタンに「言ってもらえれば使っていないものを譲りましたのに」と言われてしまったが、なにからなにまで貰うのはあまり気が進まない。それに、自分で選んだ分それなりに気に入っていた。
「これは昼食用のパンを入れるために持ってきただけで、財布と携帯はポケットに入れておくよ。……あ、あとこれだ」
リュックをあけ、中からタタンにもらった杖を取り出す。
「今日はちゃんと持ってきた」
「……別にそんなことを自慢されても困るのですが」
「まずは持つ習慣からと思ってな」
「持つだけじゃなく、ちゃんと使ってあげてくださいね」
「と言ってもな」
杖の端を持ち軽く振る。
……もちろん、なにも起こらない。
「魔法を使ってやりたいことなんて、そうそう思いつかん」
昨日、買い物から帰ったとき、たまたま床に落ちている杖を見つけた。どうやら朝の支度をしているときに知らずうちに落としてしまったらしい。
拾い上げて、火を灯してみるものの……それ以外になにをしたらいいのか浮かんで来なかったのだ。
「お弁当を冷やしておくとか、ゴミを小さくまとめるとか掃除をするとか、いろいろあるじゃないですか」
「弁当はともかく、他は自分でやったほうが早いだろ」
「魔法を使ったほうが早くなったとき、自分の腕を実感するんですよ」
一理あると納得しかかったが。
「……お前、昨日自分で皿洗いして洗濯物片づけてなかったか?」
昨日の夜、洗濯機を借りにタタンの部屋を訪れたとき、また夕飯を一緒にと誘われた。弁当を買ってきていたのだが、すでに作り始めているようで部屋の中にはいい匂いが漂っている。一人分しか作ってなんじゃないかと思ったが、「今ならまだ量は増やせます」と言われてしまう。部屋に戻っても冷たい弁当しかなく、暖かいご飯のほうが惹かれた試神は結局二日にわたりご相伴を預かったのだ。
料理をする間、試神は部屋の掃除を買ってでて、食べ終わったあとは予定通り二人分の洗濯物を畳んだ。その間、キッチンで皿を洗う後ろ姿をばっちり見ていたのだ。畳み終わった洗濯物も、自分で部屋に運んでいた。
「魔法ばかり頼っていると怠け者になってしまいますからね、たまには自分で動かないと」
「……まあ、そういうことにしといてやる」
魔法があるからと言って、すべて魔法で済ませてしまうわけではないと試神もわかっている。近くのコンビニまで自転車ではなく、歩きでいくのに似ているかもしれない。
「今日はロロロさんと千差さんは?」
「ロロロさんはすでに絶命洞窟にいると思いますよ。千差さんはあとできます」
「え? もういるのか? 今日は先に待ってようと思ったのに」
「7時にはいますからね、彼女」
時計を見ると8時。業務開始30分前だからと安心していたが、それでもまだ遅いらしい。
「準備とか、時間かかるのかな」
「いや、単に早くきて早く帰るだけと思いますが。普段ならそれで構わないのですが、今日は試神さんの案内で午後までいてほしいんですがねー」
「もしその来客が4時とかに来るようなら、俺は絶命洞窟入口の部屋――休憩室だっけ? そこで待ってるよ。タタンはそこにはこれないだろうから、終わったら電話を頼むな」
「うーん、それでもいいんですが……」
ジッと試神の顔を見つめること数秒。そのままなにも言わず、パソコンに向き直った。パチパチとキーボードを打つ音が聞こえ。
「今、ロロロさんに来客が帰るまでいてもらうように頼みましたので」
「……俺、一人で待てないと思われてる?」
「そうではないのですが、念のためです」
いったい何が念のためなのだろう、ねちねち問い詰めてやりたくなったが、すでに絶命洞窟にロロロがいるとわかるとゆっくりもしてられなかった。
まだ少し熱いコーヒーを一気に飲み干し、リュックを背負う。「このコップどうしたらいい?」
「あとで一緒に洗うので、そこに置いてください」
「ありがと、助かる。じゃ、今日もよろしく!」
「はい、よろしくお願いします」
タタンが軽く頭を下げる。
視線が前に向くころには、事務所の外から駆ける音が聞こえるだけになっていた。




