第31話 名前は
いくつものクリーンルームを超え、事務所にたどり着くと同時、チャイムがなった。時計をみるとちょうど12時。休憩時間だ。
「おかえりなさい、試神さん」
事務所に入ると同時、椅子に座ったまま伸びをしているタタンを見つける。デスクに向かったままだったが、パソコンは閉じられていた。
「あれ、タタンひとりか?」
「苦同さんはクレーム対応に行かれました」
そういえば、朝に電話をもらっていた。
「絶命洞窟はどうでしたか……と言いたいところですが、休憩時間なので業務の話しはやめましょうか」
別にいいよ、とも思ったが、タタンがしたくないかもしれないので頷いておく。
「そういえば、試神さんはお昼どうします?」
お昼?
「あー……すっかり忘れてた。どうしようかな」
部屋にまだ昨日もらった総菜パンが残っているし、それを取りに戻ろうか。
「なら、ちょうどいい機会ですし、どこかで買ってきますか?」
「どこかって? もしかして地下のどこかに売店があるのか?」
残念ながらそこまで便利ではないですね、とタタン苦笑いを浮かべる。
「創造根底館の近くにお店はいくらでもありますから、パンでもお弁当でもお菓子でもなんでも好きなものを買ってきてください。ああ、お金は渡しますよ。もらうのが嫌なら貸すっていうのでもいいですが」
事務所の入口を見る。その向こうには玄関があり、外につながっている。
「……………………」
「午後は特にしていただかなくてはならないこともないので、のんびりと散歩してきていただいても構いませんよ」
「……買い物、俺、一人で行くの?」
「なに子どもみたいなこと言ってんですか」
あきれられてしまった。
「土地勘がなく不安だというのはわかりますがね。まあ、私がついていってもいいんですが、さすがにここを空にするわけにはいかないので。もし迷ったとか、誰かに絡まれてお金を取られたとかトラブルがあったら今朝お渡しした携帯にかけてください。ロロロさんからもらっていますよね」
ポケットの中に入っているそれを見せるとタタンは首を振った。
「位置情報は取得しているので私もいざというときはいけますから安心してください。……といっても、まだ不安そうな顔をされていますね。なにか不安事項がありますか?」
試神は顎に手を当て、それから言い難そうにぽつりと言った。
「ロロロさんから、魔物がいるって聞いたんだけど」
「ああ」とタタンが手を打つ。「言い忘れてましたが、確かにいますね、そんな存在。ですが、流石にそう簡単に人前にはでませんよ。向こうだって迂闊に人前にでて……倒されたくはないでしょうし、慎重になります」
「そう言われたけどなあ」
ふと、頭を触る。絶命洞窟内はあったロロロが作った傘はいつの間にか消えていた。ロロロから離れたせいか、供給されるという魔力が少なくなったからか試神にはわからない。
「ケガだけはしたくないからさ」
「誰だってしたくないと思いますよ」
うーん、と渋る試神を見て「ちょっと待っていてください」とタタンが席を立つ。
事務所の奥のほうに消えていき、そしてすぐ戻ってきた。
手には、紺色の布のようなものを持っている。
タタンと同じポンチョか、と思ったが。
「これを着てください。ちょっと大きいかもしれませんが、小さいよりはマシでしょう」
広げて見ると、ポンチョではなくジャージの上半身だった。下はなく、よく見る普通のジャージである。羽織ってみるとタタンの言う通り確かに少し大きい。袖も、親指が隠れてしまうほど長く、まくらないといけなかった。胸のあたりになにやらロゴがある以外はストライプもなにもなく、シンプルなものである。
「……ここの作業着か?」
「正解です。前いた人のものですが、とっておいてよかったです。試神さんのは今頼んでいるのでもう少ししたら届くと思いますが、それまでこれを使ってください」
「それはいいが……」
「それ、生地に魔物除けをいれているんです」
なんでこれを渡したのか、という疑問を先に答える。
「多少時間はたっていますが、生地に直接織り込んでいるので効果は問題ないと思いますよ」
「そっか……。それならありがたい」
ようやく安心したのか、試神の顔に笑みが戻る。
魔物除けは香のようなものかと思い、袖のあたりを嗅いでみるが埃の匂いがするだけで変な匂いはしなかった。生地を引っ張ってみても変わったところはない。だが、さすがに試神の制服よりは丈夫なつくりになっていた。
「お金は多めに渡しておきます。これで今日の夕飯もついでに買ってきてください」
「了解。……ああ、そういえば」
「なんですか?」
「その近くにコインランドリーとかある? 服とか洗える場所」
その問いに少し首を傾げたタタンだったが「そういえば、ゲストルームには洗濯機がなかったですね」と片目を瞑った。
「これはうっかりしてましたね。申し訳ありません。コインランドリーはもちろんありますが、もし試神さん嫌でなければ、うちの洗濯機を使ってもいいですよ。毎回洗いに出ていくのは大変でしょうし、お金もかかります」
「嫌じゃないけど……そっちこそいいのか?」
「洗濯物を干すのと畳むのを手伝ってくださるのでしたら」
「むしろそこはさせてくれ。もらってばかりで気が引ける」
交渉成功、ということで試神が大きく伸びをする。肩の荷がひとつ降りた気分だった。
「洗濯物は業務終了ぐらいにタタンの部屋に持っていく」
「わかりました。あとこれ、お金です」
10000と書かれたお札を一枚、受け取る。大きさも紙質も日本の紙幣とあまりかわらない。さすがにデザインは異なるが、外国の通貨をみているのと気分に差がなかった。単位は確かイルだったか。地球で考えると一万円札だが、物価が違うらしいのでこれが多いのかよくわからない。
「あまり裸のまま渡したくないんですが、財布がないですからね」
「じゃあ、もしお金が余ればそれも買って来ようかな」
折りたたんでジャージのポケットに入れる。お金を直接入れるのに少し抵抗があったが、こればかりは仕方ない。穴も空いてないようなので落とすことは無いだろう。
「じゃあ俺は行ってくるけど、タタンは?」
「私はお弁当ですので」
そういってデスクの下からバンダナにまかれた弁当箱を取り出す。買ってきたものではなく、ちゃんと作っているらしい。
「私は先に食べてます。試神さんはお弁当を買ってきてもいいですし、どこかで食べてきてもいいですよ」
そのほうがありがたい。もし待っていると言われたら駆け足で戻らなくてはいけないところだった。
「創造根底館を出てまっすぐ行けば、すぐわかると思います。舗装されてはいませんが道はありますし、獣道や森の中に入らなければ迷うこともないでしょう。戻るときも同じですね。まあ、それは煙を頼りにきていただいてもいいですが」
「ちなみにだけど、店とかある場所って、関わり禁止地区みたいな名前があるの?」
「もちろん、ありますよ。名前は――――」




